眠れる海の人魚姫〜政略結婚のはずが、御曹司の一途な執着愛に絡め取られました〜
ちらり、と隣に座る人を見やる。美雨とよく似て、でも少しだけ大人びた横顔。長い黒髪も大きな二重瞼の瞳もそっくりな、姉の美波だ。
彼女は美雨よりも硬い顔つきで父を見つめている。並ぶと姉の方が凛々しくて、美雨の方がおっとりしているとよく言われる。
今もきな臭さを感じとっているのか、美波は美雨よりも硬い顔つきで父を見つめていた。でも美雨だって不思議だ。
美雨の婚約の話なのに、なぜ姉まで執務室に呼ばれたのか。
「それで、私はどなたと結婚すればよろしいでしょうか」
問いを重ねた美雨に、父は執務机に両肘をついて言った。
「美雨、お前は岬グループの岬嶺人氏に嫁げ」
「えっ……⁉︎」
そこで初めて美雨の呼吸が乱れた。思わず隣を凝視し、美波の目元がぴくりと引きつるのを見て取り慌てて身を乗り出す。
「お、お待ちください。私が嶺人さんと婚約するのですか? 美波姉様ではなく?」
岬嶺人。その名を聞いただけで、美雨の心臓はどきどきと忙しなく脈打つ。それは美雨にとって劇薬であり、甘露でもある名前だった。
狼狽える美雨の足元で、からん、と軽い音を立てて歩行杖が倒れた。十年前から愛用している杖は、真鍮の持ち手が可愛らしい小鳥の形をした特注品だ。
『不幸な事故』によって足を痛めた美雨に、父が作らせたものだった。執務室のリフォームも正座ができなくなった美雨のためだ。
西城ホテルの経営に辣腕を振るう父も娘には情深い。だからこそ今のは聞き間違えではないかと——あるいは、美雨の密かな恋心が現実を歪めたのではないかと息を詰める。
父は美雨と美波を見比べた。精悍な眉の下で、三白眼気味の目が鋭く光る。
「これは決定事項だ。美雨は岬嶺人氏に嫁ぎ、美波は今のまま西城ホテルの社長秘書を続けてもらう。反論は許さない。いいな、美雨、美波」
「そんな。お父様、お待ちくださ——」
「わかりましたわ、お父様」
言い立てる美雨を遮ったのは美波だった。もはやその片顔は凪いでいて、動揺は欠片も見当たらない。唖然と見つめていると、美波がこちらを向いた。
「婚約おめでとう、美雨ちゃん」
美しい微笑まで浮かべてみせる。美雨は何も言えなかった。ただ緩く首を振って、腰を上げる美波を見上げるしかできなかった。
(どうして?)
執務室を去る姉の背中を見送りながら、美雨は心の中で呆然と呟く。
(だって、嶺人さんは美波姉様と両思いのはずなのに——!)
彼女は美雨よりも硬い顔つきで父を見つめている。並ぶと姉の方が凛々しくて、美雨の方がおっとりしているとよく言われる。
今もきな臭さを感じとっているのか、美波は美雨よりも硬い顔つきで父を見つめていた。でも美雨だって不思議だ。
美雨の婚約の話なのに、なぜ姉まで執務室に呼ばれたのか。
「それで、私はどなたと結婚すればよろしいでしょうか」
問いを重ねた美雨に、父は執務机に両肘をついて言った。
「美雨、お前は岬グループの岬嶺人氏に嫁げ」
「えっ……⁉︎」
そこで初めて美雨の呼吸が乱れた。思わず隣を凝視し、美波の目元がぴくりと引きつるのを見て取り慌てて身を乗り出す。
「お、お待ちください。私が嶺人さんと婚約するのですか? 美波姉様ではなく?」
岬嶺人。その名を聞いただけで、美雨の心臓はどきどきと忙しなく脈打つ。それは美雨にとって劇薬であり、甘露でもある名前だった。
狼狽える美雨の足元で、からん、と軽い音を立てて歩行杖が倒れた。十年前から愛用している杖は、真鍮の持ち手が可愛らしい小鳥の形をした特注品だ。
『不幸な事故』によって足を痛めた美雨に、父が作らせたものだった。執務室のリフォームも正座ができなくなった美雨のためだ。
西城ホテルの経営に辣腕を振るう父も娘には情深い。だからこそ今のは聞き間違えではないかと——あるいは、美雨の密かな恋心が現実を歪めたのではないかと息を詰める。
父は美雨と美波を見比べた。精悍な眉の下で、三白眼気味の目が鋭く光る。
「これは決定事項だ。美雨は岬嶺人氏に嫁ぎ、美波は今のまま西城ホテルの社長秘書を続けてもらう。反論は許さない。いいな、美雨、美波」
「そんな。お父様、お待ちくださ——」
「わかりましたわ、お父様」
言い立てる美雨を遮ったのは美波だった。もはやその片顔は凪いでいて、動揺は欠片も見当たらない。唖然と見つめていると、美波がこちらを向いた。
「婚約おめでとう、美雨ちゃん」
美しい微笑まで浮かべてみせる。美雨は何も言えなかった。ただ緩く首を振って、腰を上げる美波を見上げるしかできなかった。
(どうして?)
執務室を去る姉の背中を見送りながら、美雨は心の中で呆然と呟く。
(だって、嶺人さんは美波姉様と両思いのはずなのに——!)