初恋のお兄ちゃんはIT社長?!執着社長の溺愛デイズ
天沢由紀は酔わされる
出社前、車内で聞いた連絡先にメッセージを送ってみると、すぐに返事が返ってきた。
――あ、そうそう。
――でも簡単なことしかしてないから。そんなに気にしないで
彼がしてくれた簡単なことって、何だろう。サイトを見ても素人には変化を発見できない。仕方なくネットに詳しい平野に聞くと、どうやら予約者以外の口コミが書き込めないような設定になったとか、同じIPアドレスからは複数回書き込めないようになったとか、そういうシステム変更があったらしい。
どう考えても簡単なことではない。直接お礼をしようと電話をしたけれど、彼は電話を取らなかった。
昼休みまでに3日分のメールを読み返す。大多数は見たことのない名前の方からの、苦情が相当数届いていた。中にはセクハラまがいのことや、色仕掛けして入社したんだろうといった憶測だけで書いているメールもある。
悪意に塗れた言葉は、読むのにもかなりの体力を使う。同僚達にかなり面倒なメール対応をさせてしまった。今更落ち込んでも時間は巻き戻せないけれど、100通単位のメールなんて相当大変だったはず。
本当にごめんと謝ると、悪質なものは全て情報開示請求をかけることにしたから大丈夫だと、平野は笑った。どうやらこれも、ヒロくんの入れ知恵らしい。
(こういう、ネットに強い人を敵に回してはいけないわ……私には全く手が出ないもの)
SNS世代の芹沢がいち早く炎上に気付き、ネットに強い平野が店の立場としての謝罪と状況下確認中であることをホームページへ掲載したことで、たった4日のうちに事態はひとまず落ち着き始めていた。
ネットに疎い由紀が触れる間もなく、問題はどんどんと解決していく。自身が招いたとは言い切れない問題だからこそ、この解決スピードについていけない由紀は、ただ続々と届く報告メールを見つめていることしかできなかった。
店長についての大きな動きがあったのは、その日の昼過ぎ。先日の事態を重く見た上層部は3週間の謹慎と2ヶ月の言及を内示したらしい。けれど、どうやら今回の炎上以外にも大きな問題をいくつも起こしていたことが発覚し、結局大事になる前に自己都合退職を選んだ、と知らされた。
「ねえ、動きが早すぎて、私全然理解できてないんだけど……」
「不正店長は成敗、クレームも解決! あとは俺らが誠意を持って働くだけっす!」
「元々天沢は巻き込まれただけだったし、素直に解決を喜べばいいよ」
思ってたより早く終わってラッキー!とはしゃぐ芹沢は、帰りに3人で飯いきましょうよと企画してきた。後ろで話を聞いていた平野も乗り気で、定時にはしっかりと各々のパソコンを閉じて退社することができた。
居酒屋がいいとか、イタリアンにしようとか、食事の話題で盛り上がりながら店を出ると、店先に見覚えのある黒塗りの高級車が待っていた。側には……今朝と同じネイビーのスリーピースを着たヒロくん。
「あ、先輩の彼氏さん! この間はどうも!」
お調子者の芹沢は何も考えずにヒロくんに近づいていく。ヒロくんは気さくな感じでにこりと笑って、やぁと返した。
「よかったら食事でも、と思ったんだけど……お邪魔だったかな?」
やけに余裕ありげな表情でこちらを見ている。目線が重なると、こっちへおいでと言われているような気がしてしまうのは、私がもうこの淡い恋心に気付いているからなのか。
「あっじゃあ俺らこれから打ちあ」
「おいこら芹沢。……ここは気を利かせろよ」
「……あ、すんません! 先輩、ファイトっす!」
芹沢の言葉を遮るように、平野が肩を掴んで引っ張った。私としてはちょっと気まずさもあって、一緒に参加でも良かったんだけど。平野が気を利かせてくれたおかげで、引っ込みがつかない。ふたりにお疲れ様でした、と声をかけてから小走りで彼の元へ向かった。
彼はお姫様を扱うように手を差し出して、ドアを開けてくれる。何も言わないけれど、乗ってということらしい。
「あの……お昼、勝手に電話しちゃってごめんなさい」
「あぁ、由紀が謝ることないよ。会議で出られなくて、悪かったね」
「なんかすごく変わってたみたいで、直接お礼言いたくて。ありがとうございました」
シートベルトをしているけれど、それでも動ける範囲で彼の方を向いて、素直に頭を下げた。自分のことのように心配して、対策をしてくれた彼には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「いや、いつかはちゃんと対策するべきことだったんだ。いい機会だったよ」
「でも皆さんのお手間を取らせたんじゃ……」
「まあ彼らはそれが仕事だから」
「じゃあせめて、ヒロくんには、お礼させて?」
お願いっ!と手を合わせると、口元に手を寄せて彼はクスクスと笑った。
「絶対にそうするって決めたら、曲げないとこも昔のままだね」
「だって……ありがたいって思ったら、お礼するのは当たり前だもん」
親からもそうしろと言われてきたし、自分自身もそうして当然だと思う。ヒロくんの期待に答えられるかどうかわからなくても、できる限りのことはしたい。
(あんまり高いご飯屋さんやプレゼントは難しいけど……)
「じゃあ、俺と一緒に晩御飯食べてくれる?」
「え……そんなことでいいの?」
あまりに軽いお願いに拍子抜けする。きっとヒロくんのことだから、その辺りの居酒屋やレストランじゃないだろうという予想はついたけれど、夕食ということなら由紀にだって付き合えそうだ。
「むしろ、俺からどうしてもお願いしたいくらい」
「あ、もちろん、私でよければっ」
どんな食事か楽しみだと話すと、宏樹は運転手に何かをボソボソと伝えた。次の交差点をUターンし、車は恵比寿のビル群の中へ戻っていく。ついたよと下ろされた先は、恵比寿駅の東側、高級フレンチの目の前だった。
フランスの古城を思わせる石作りのお城。入り口から、大きなシャンデリアが見えている。
「ここってもしかして……?」
「そう。ひとりだとなかなか来難いから。付き合ってくれるんでしょ」
おひとり様ライフをエンジョイしている由紀にでも、憧れくらいはある。ここはその最たるもので、いつかは素敵な彼と……なんて想像していたレストランのひとつ。特別な日にしか来てはいけないお店という認識だった。
「……ほ、本当にここ?」
「ん。ほら行こう」
どうしたものかと思っていても、彼の手を前に出されると握ってしまう。これはもう昔からの癖。身長も見た目も違うふたりなのに、何故か当時を思い出して、くすぐったい気持ちになる。
(10年以上離れていても、何も変わらないんだ)
彼の手に乗せた手のひらは、そのまま彼の左腕へと回された。自然なエスコートにどきりとしながら、慣れていることにほんの少しの寂しさもある。とはいえ彼の年齢を考えれば至極当然のこと。由紀は彼にエスコートされるがまま、最上階の個室へと進んだ。
彼のおまかせでメニューを選んでもらう。食前酒として運ばれてきたのはロゼのシャンパンで、可愛さに目を惹かれる。思わず見つめていると、乾杯しようかと声をかけられた。
たとえランチでだって、こんな高級そうなフレンチに来たことはない。急にマナーが不安になって、背筋にドッと汗をかいた。
(やだどうしよう……フォークとナイフは端からだっけ?)
「ふふ。緊張しなくて大丈夫だよ、気にせず楽しんでくれたらそれでいい」
「えっでも……」
「食べ辛ければお箸も出してくれるし、スタッフの人目なんて気にしなくていい」
給仕を担当するスタッフは壁沿いで待機しているようで、軽く目線を合わせるとにこりと微笑んだ。彼の言葉を信じて、小さく乾杯をすると、ロゼを口に入れる。色味と合った甘く可愛らしい酸味にすっかり虜になる。
「……美味しい!」
「よかった。由紀にぴったりのシャンパンだよね」
「えっ、私ってこんなにかわいくて美味しいイメージ?」
「うん。ぴったり」
照れるそぶりもなく褒められると、こちらが赤面してしまう。お酒のせいだと言い張っても、その赤さもかわいいと言われると、謙遜の言葉も出てこない。
軽く頬杖をついて、こちらを見つめる彼の目線の甘いこと。
まだ前菜も出ていないというのに、その甘さに酔ってしまいそう。少し憂いを帯びたまつ毛と濡れたように光る瞳が、由紀を捉えて離さない。
――あ、そうそう。
――でも簡単なことしかしてないから。そんなに気にしないで
彼がしてくれた簡単なことって、何だろう。サイトを見ても素人には変化を発見できない。仕方なくネットに詳しい平野に聞くと、どうやら予約者以外の口コミが書き込めないような設定になったとか、同じIPアドレスからは複数回書き込めないようになったとか、そういうシステム変更があったらしい。
どう考えても簡単なことではない。直接お礼をしようと電話をしたけれど、彼は電話を取らなかった。
昼休みまでに3日分のメールを読み返す。大多数は見たことのない名前の方からの、苦情が相当数届いていた。中にはセクハラまがいのことや、色仕掛けして入社したんだろうといった憶測だけで書いているメールもある。
悪意に塗れた言葉は、読むのにもかなりの体力を使う。同僚達にかなり面倒なメール対応をさせてしまった。今更落ち込んでも時間は巻き戻せないけれど、100通単位のメールなんて相当大変だったはず。
本当にごめんと謝ると、悪質なものは全て情報開示請求をかけることにしたから大丈夫だと、平野は笑った。どうやらこれも、ヒロくんの入れ知恵らしい。
(こういう、ネットに強い人を敵に回してはいけないわ……私には全く手が出ないもの)
SNS世代の芹沢がいち早く炎上に気付き、ネットに強い平野が店の立場としての謝罪と状況下確認中であることをホームページへ掲載したことで、たった4日のうちに事態はひとまず落ち着き始めていた。
ネットに疎い由紀が触れる間もなく、問題はどんどんと解決していく。自身が招いたとは言い切れない問題だからこそ、この解決スピードについていけない由紀は、ただ続々と届く報告メールを見つめていることしかできなかった。
店長についての大きな動きがあったのは、その日の昼過ぎ。先日の事態を重く見た上層部は3週間の謹慎と2ヶ月の言及を内示したらしい。けれど、どうやら今回の炎上以外にも大きな問題をいくつも起こしていたことが発覚し、結局大事になる前に自己都合退職を選んだ、と知らされた。
「ねえ、動きが早すぎて、私全然理解できてないんだけど……」
「不正店長は成敗、クレームも解決! あとは俺らが誠意を持って働くだけっす!」
「元々天沢は巻き込まれただけだったし、素直に解決を喜べばいいよ」
思ってたより早く終わってラッキー!とはしゃぐ芹沢は、帰りに3人で飯いきましょうよと企画してきた。後ろで話を聞いていた平野も乗り気で、定時にはしっかりと各々のパソコンを閉じて退社することができた。
居酒屋がいいとか、イタリアンにしようとか、食事の話題で盛り上がりながら店を出ると、店先に見覚えのある黒塗りの高級車が待っていた。側には……今朝と同じネイビーのスリーピースを着たヒロくん。
「あ、先輩の彼氏さん! この間はどうも!」
お調子者の芹沢は何も考えずにヒロくんに近づいていく。ヒロくんは気さくな感じでにこりと笑って、やぁと返した。
「よかったら食事でも、と思ったんだけど……お邪魔だったかな?」
やけに余裕ありげな表情でこちらを見ている。目線が重なると、こっちへおいでと言われているような気がしてしまうのは、私がもうこの淡い恋心に気付いているからなのか。
「あっじゃあ俺らこれから打ちあ」
「おいこら芹沢。……ここは気を利かせろよ」
「……あ、すんません! 先輩、ファイトっす!」
芹沢の言葉を遮るように、平野が肩を掴んで引っ張った。私としてはちょっと気まずさもあって、一緒に参加でも良かったんだけど。平野が気を利かせてくれたおかげで、引っ込みがつかない。ふたりにお疲れ様でした、と声をかけてから小走りで彼の元へ向かった。
彼はお姫様を扱うように手を差し出して、ドアを開けてくれる。何も言わないけれど、乗ってということらしい。
「あの……お昼、勝手に電話しちゃってごめんなさい」
「あぁ、由紀が謝ることないよ。会議で出られなくて、悪かったね」
「なんかすごく変わってたみたいで、直接お礼言いたくて。ありがとうございました」
シートベルトをしているけれど、それでも動ける範囲で彼の方を向いて、素直に頭を下げた。自分のことのように心配して、対策をしてくれた彼には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「いや、いつかはちゃんと対策するべきことだったんだ。いい機会だったよ」
「でも皆さんのお手間を取らせたんじゃ……」
「まあ彼らはそれが仕事だから」
「じゃあせめて、ヒロくんには、お礼させて?」
お願いっ!と手を合わせると、口元に手を寄せて彼はクスクスと笑った。
「絶対にそうするって決めたら、曲げないとこも昔のままだね」
「だって……ありがたいって思ったら、お礼するのは当たり前だもん」
親からもそうしろと言われてきたし、自分自身もそうして当然だと思う。ヒロくんの期待に答えられるかどうかわからなくても、できる限りのことはしたい。
(あんまり高いご飯屋さんやプレゼントは難しいけど……)
「じゃあ、俺と一緒に晩御飯食べてくれる?」
「え……そんなことでいいの?」
あまりに軽いお願いに拍子抜けする。きっとヒロくんのことだから、その辺りの居酒屋やレストランじゃないだろうという予想はついたけれど、夕食ということなら由紀にだって付き合えそうだ。
「むしろ、俺からどうしてもお願いしたいくらい」
「あ、もちろん、私でよければっ」
どんな食事か楽しみだと話すと、宏樹は運転手に何かをボソボソと伝えた。次の交差点をUターンし、車は恵比寿のビル群の中へ戻っていく。ついたよと下ろされた先は、恵比寿駅の東側、高級フレンチの目の前だった。
フランスの古城を思わせる石作りのお城。入り口から、大きなシャンデリアが見えている。
「ここってもしかして……?」
「そう。ひとりだとなかなか来難いから。付き合ってくれるんでしょ」
おひとり様ライフをエンジョイしている由紀にでも、憧れくらいはある。ここはその最たるもので、いつかは素敵な彼と……なんて想像していたレストランのひとつ。特別な日にしか来てはいけないお店という認識だった。
「……ほ、本当にここ?」
「ん。ほら行こう」
どうしたものかと思っていても、彼の手を前に出されると握ってしまう。これはもう昔からの癖。身長も見た目も違うふたりなのに、何故か当時を思い出して、くすぐったい気持ちになる。
(10年以上離れていても、何も変わらないんだ)
彼の手に乗せた手のひらは、そのまま彼の左腕へと回された。自然なエスコートにどきりとしながら、慣れていることにほんの少しの寂しさもある。とはいえ彼の年齢を考えれば至極当然のこと。由紀は彼にエスコートされるがまま、最上階の個室へと進んだ。
彼のおまかせでメニューを選んでもらう。食前酒として運ばれてきたのはロゼのシャンパンで、可愛さに目を惹かれる。思わず見つめていると、乾杯しようかと声をかけられた。
たとえランチでだって、こんな高級そうなフレンチに来たことはない。急にマナーが不安になって、背筋にドッと汗をかいた。
(やだどうしよう……フォークとナイフは端からだっけ?)
「ふふ。緊張しなくて大丈夫だよ、気にせず楽しんでくれたらそれでいい」
「えっでも……」
「食べ辛ければお箸も出してくれるし、スタッフの人目なんて気にしなくていい」
給仕を担当するスタッフは壁沿いで待機しているようで、軽く目線を合わせるとにこりと微笑んだ。彼の言葉を信じて、小さく乾杯をすると、ロゼを口に入れる。色味と合った甘く可愛らしい酸味にすっかり虜になる。
「……美味しい!」
「よかった。由紀にぴったりのシャンパンだよね」
「えっ、私ってこんなにかわいくて美味しいイメージ?」
「うん。ぴったり」
照れるそぶりもなく褒められると、こちらが赤面してしまう。お酒のせいだと言い張っても、その赤さもかわいいと言われると、謙遜の言葉も出てこない。
軽く頬杖をついて、こちらを見つめる彼の目線の甘いこと。
まだ前菜も出ていないというのに、その甘さに酔ってしまいそう。少し憂いを帯びたまつ毛と濡れたように光る瞳が、由紀を捉えて離さない。