天河と七星
「部長って自分でも歩けるんですね」
「この研究施設は広いから、移動だけで体力を消耗するみたい。すぐ息切れしてるし」

しかもF棟は特に離れたところにある。歩いている途中でもし倒れたら?運悪く近くに誰もいなかったら?
最悪のシナリオが浮かんでしまった。

「…もう!」

こんなに心配になるなら最初からついていけばよかった。

私は天河が置いて行った車椅子を押して後を追う。

「乗ってください部長。F棟までですよね」
「……別にいい。歩いていける。忙しいんだろう?」
「途中で倒れられたりしたら、そのほうが忙しくなりますから」

半ば強引に天河を車椅子に座らせた。

「次は岩井さんにお願いしてください」
「嫌だ。僕にとって車椅子は自分の一部。坂道や階段で手を離されたら終わりだ。誰でもいいわけじゃない」
「それって、私を信用してるってことですか」
「まぁ、一応キミは僕の配偶者だからな」

こんなニヒルな笑い方、私の知ってる天河には似合わない。
この二カ月見てきて知った。もう、天河は勢いと若さで突っ走れた18歳ではない。自信を身にまとい、すっかり落ち着いた大人になった。
こんなに近くにいるのにずいぶんと遠くに感じる。

「それ本当ですか?さすがに離婚届を提出してない、なんてことありませんよね」
「もう……昔のことすぎて忘れたな」

それっきり天河は物憂げに遠くを見て黙ってしまった。

何を考えているのだろう。
もしかしたら、昔のことを思い出したりしているのだろうか。

刹那の幸せで世界のすべてが光り輝いて見えた、あの頃のことを。



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