【コミカライズ化】追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ
18.その歌姫は、自覚する。
随分とここでの生活になれたなとエレナは落ち着いた気持ちでお茶を飲む。
あれだけ荒れていた手はすっかり綺麗になり、おおよそ普通食が取れるようになり運動できるようになった事で体力も人並みには回復した。
贅沢な悩みだとは思いつつ、エレナは時間を持て余す。
サザンドラ子爵家にいた時はそれこそ朝から晩まで働いていたのだ。
妻としての役割は求めないとルヴァルには言われていたが、充分療養させてもらった今、自分も何かこの領地のためにできる事がしたかった。
『ルヴァル様はまだお戻りになられないのかしら?』
とエレナはスケッチブックに文字を綴り一緒にお茶を飲んでいたリーファと雑談する。
朝食を食べる約束をしていた日、時間より早く部屋にやったきたルヴァルは、
「悪いな。急だが、今から出る事になった。戻りは分からん。好きに過ごせ」
とだけ言うと荒っぽい動作でエレナの黒髪をくしゃっと撫でて足早に去って行った。
黒い外套を羽織り黒い革手袋をはめ帯刀していたところを見るに本当に出かける寸前だったのだろう。
誰かに言付けても良かっただろうにわざわざ顔を見に来てくれた事が嬉しくて、だと言うのにあまりに突然だったため驚き過ぎて何の反応も返せなかった自分の行動を悔いたのが今から1週間前の出来事だ。
それから一切ルヴァルから連絡は何もない。
「おやおやおやーエレナ様、もしやお館様がご不在でお寂しいのですか?」
リーファは揶揄うようにニヤニヤっと笑って、そう尋ねる。
リーファの言葉を聞いたエレナは紫水晶の瞳を大きく見開き瞬かせたあと、そのままフリーズする。
(……寂しい?)
城を空けているルヴァルが部屋に来ないと分かっているのにドアや廊下の音を気にしたり、屋敷内のどこかにルヴァルの気配が残っていないかと無意識に探してしまう自分がいることを急に自覚する。
(寂しいわ)
ルヴァルの銀白の髪をまとめる自分が贈った濃紺の髪紐を思い出す。
それだけで締め付けられるように胸の奥がきゅっと疼く。そんな感情はエリオットにも感じた事がなくて、エレナは戸惑う。
「えーっと、エレナ様? そんなに悩まなくても……」
(お姿を遠くから拝見するだけでいいから、会いたいわ)
エレナは熱を帯びた頬を両手で覆うと小さく頷いた。
私は存外単純な上に薄情なのかもしれない。エレナは急に自覚した感情を持て余し、処理できずにぐるぐると目を回し、涙目になりながら助けを求めるようにリーファの方を見る。
「エレナ様! エレナ様、とりあえず一旦! 一旦落ち着きましょう。はい、とりあえずお水を飲んで」
エレナの中にある無自覚な感情をルヴァル不在で自覚させてしまったらしいと察したリーファは心の中でごめーんとルヴァルに軽く謝りながら、コクコクと素直に水を飲むエレナの背をさする。
「……エレナ様大丈夫ですか?」
この城にルヴァルが連れてきた当初、ほとんどの事態に少なくとも表面上は動じる様子を見せなかったエレナがはっきり読み取れるほど表情を出すようになってきた。
それはとてもいい傾向なのだろうが、今回に関しては見てはいけないものを見てしまったなとリーファは苦笑する。
本人も自覚してしまったものが何なのか脳内処理が追いついておらず、何なら思考回路がショートしていそうだ。
これは順番間違えたなぁとやっちまった感を抱きつつ、まぁ無自覚なままよりはいいかと事態をルヴァルに丸投げる事にしたリーファは、ただただこの可愛い主人を愛でつつ見守ることに決めた。
とりあえず落ち着きを取り戻したエレナに、お館様がお戻りになるのはもう少しかかると思いますとリーファは静かに切り出す。
「今回の要請は魔物の巣窟の掃討ですからね。かなり大きな巣だったようですし、派遣場所もここからさらに北なので」
エレナにも分かるようにリーファは地図を広げる。
「この辺りは馬もドラゴンも立ち入れないので、移動手段がどうしても限られてしまい行ける人間も少数になります。それが今回お館様が出向かれた理由です」
頷きながら話を聞くエレナは、リオレートの瞬間移動魔法を思い浮かべる。
確かにアレなら馬やドラゴンの立ち入れない場所でも行けそうだが、大人数は難しいだろうなと思う。
「場合によっては1月城を不在にされる事もままあります」
言いづらそうに、だがはっきりとした口調でリーファは現状をエレナに伝える。
(……そんなに!?)
表面的には目を何度か瞬かせた程度だが、内心でエレナはそう叫ぶ。
(ルヴァル様、お怪我をされてないかしら?)
ルヴァルの強さは知っている。それでも強いからといっていつも無傷で済むとは限らない。
もし、ルヴァルや一緒に討伐に向かった誰かが命を落としたら?
エレナは魔物の群れに遭遇してしまった時の事を思い出し身がすくむ。
(怖い。でも、ここではそれが日常なんだわ)
きゅっと目を瞑ると考え込むように俯いて両手を組んで額にその手をあてる。
(私には無事でいて欲しいと祈る事しかできない)
なんて自分は無力なんだろう、エレナが唇を噛み締めていると、
「大丈夫ですよ、エレナ様」
リーファのふふっという笑い声とともにそんな言葉が落ちてきた。
その声に勇気づけられたエレナはそろりと顔を上げる。
「お館様に仕留められないモノはありません。もしそうなったらこの国が滅ぶだけの事ですよ」
まるで大した事なさそうにさらっとそんなことをいうが、それはかなりまずいのではとエレナはマジマジとリーファを見つめる。
「そうならないように、常日頃から備えています。ここはそういうところです」
この地では、諦めた人間から死んでいく。
だから、ルヴァルの部下であるためには何人たりともけして生きる事を諦めてはいけないのだとリーファは告げる。
「ここは要塞都市バーレー。この国が建国されてから一度だってこの防衛線が崩された事はありません。アルヴィン辺境伯歴代最高傑作と言われるお館様が領主を務めるここが堕ちるなんてありえません」
自慢げに胸を張るリーファは、
「だからエレナ様、あなたはただ信じて帰りを待てばいいのです。あなたはお館様が望んだ花嫁なのですから」
この程度で狼狽えてはなりませんよと静かな口調でそう言葉を締めくくった。
話を聞き終えたエレナはリーファにありがとうの言葉を綴る。
(強い、な。ここの人達は)
そして、どこよりも厳しいこの地で確かに前を向き生きているのだ。その現実を知ってエレナは唐突に自分が恥ずかしくなった。
(私、なんて失礼な事を)
突然エリオットから婚約破棄を告げられ、サザンドラ子爵家の後継者の座を奪われ、追い出されるようにルヴァルの元に嫁ぐよう指示されたとはいえ、あの時の自分は確かに思ったのだ。
『ここから立ち去れるなら、結婚相手がどんな人でも、嫁ぎ先がどんな場所でも構わない。叶うなら、私を殺す時は一思いに楽にさせてくれる人なら嬉しい』
と。
なんて、失礼で、身勝手で、浅はかな事を思ってしまったんだろう?
ここでの暮らしをルヴァルの事をよく知りもしなかったくせに。
(私、ここで生きていきたいわ。これから先、みんなと一緒に)
もっとルヴァルの事やバーレーの事が知りたい。ルヴァルは何もしなくていいと言ったけれど、ここの一員になるために自分にも何かできないだろうかとエレナは真剣に考える。
(私にも、できる事。任せてもらえる事、何か一つでも見つけたい)
それはカナリアでなくなってから、エレナが初めて前向きに願ったことだった。
あれだけ荒れていた手はすっかり綺麗になり、おおよそ普通食が取れるようになり運動できるようになった事で体力も人並みには回復した。
贅沢な悩みだとは思いつつ、エレナは時間を持て余す。
サザンドラ子爵家にいた時はそれこそ朝から晩まで働いていたのだ。
妻としての役割は求めないとルヴァルには言われていたが、充分療養させてもらった今、自分も何かこの領地のためにできる事がしたかった。
『ルヴァル様はまだお戻りになられないのかしら?』
とエレナはスケッチブックに文字を綴り一緒にお茶を飲んでいたリーファと雑談する。
朝食を食べる約束をしていた日、時間より早く部屋にやったきたルヴァルは、
「悪いな。急だが、今から出る事になった。戻りは分からん。好きに過ごせ」
とだけ言うと荒っぽい動作でエレナの黒髪をくしゃっと撫でて足早に去って行った。
黒い外套を羽織り黒い革手袋をはめ帯刀していたところを見るに本当に出かける寸前だったのだろう。
誰かに言付けても良かっただろうにわざわざ顔を見に来てくれた事が嬉しくて、だと言うのにあまりに突然だったため驚き過ぎて何の反応も返せなかった自分の行動を悔いたのが今から1週間前の出来事だ。
それから一切ルヴァルから連絡は何もない。
「おやおやおやーエレナ様、もしやお館様がご不在でお寂しいのですか?」
リーファは揶揄うようにニヤニヤっと笑って、そう尋ねる。
リーファの言葉を聞いたエレナは紫水晶の瞳を大きく見開き瞬かせたあと、そのままフリーズする。
(……寂しい?)
城を空けているルヴァルが部屋に来ないと分かっているのにドアや廊下の音を気にしたり、屋敷内のどこかにルヴァルの気配が残っていないかと無意識に探してしまう自分がいることを急に自覚する。
(寂しいわ)
ルヴァルの銀白の髪をまとめる自分が贈った濃紺の髪紐を思い出す。
それだけで締め付けられるように胸の奥がきゅっと疼く。そんな感情はエリオットにも感じた事がなくて、エレナは戸惑う。
「えーっと、エレナ様? そんなに悩まなくても……」
(お姿を遠くから拝見するだけでいいから、会いたいわ)
エレナは熱を帯びた頬を両手で覆うと小さく頷いた。
私は存外単純な上に薄情なのかもしれない。エレナは急に自覚した感情を持て余し、処理できずにぐるぐると目を回し、涙目になりながら助けを求めるようにリーファの方を見る。
「エレナ様! エレナ様、とりあえず一旦! 一旦落ち着きましょう。はい、とりあえずお水を飲んで」
エレナの中にある無自覚な感情をルヴァル不在で自覚させてしまったらしいと察したリーファは心の中でごめーんとルヴァルに軽く謝りながら、コクコクと素直に水を飲むエレナの背をさする。
「……エレナ様大丈夫ですか?」
この城にルヴァルが連れてきた当初、ほとんどの事態に少なくとも表面上は動じる様子を見せなかったエレナがはっきり読み取れるほど表情を出すようになってきた。
それはとてもいい傾向なのだろうが、今回に関しては見てはいけないものを見てしまったなとリーファは苦笑する。
本人も自覚してしまったものが何なのか脳内処理が追いついておらず、何なら思考回路がショートしていそうだ。
これは順番間違えたなぁとやっちまった感を抱きつつ、まぁ無自覚なままよりはいいかと事態をルヴァルに丸投げる事にしたリーファは、ただただこの可愛い主人を愛でつつ見守ることに決めた。
とりあえず落ち着きを取り戻したエレナに、お館様がお戻りになるのはもう少しかかると思いますとリーファは静かに切り出す。
「今回の要請は魔物の巣窟の掃討ですからね。かなり大きな巣だったようですし、派遣場所もここからさらに北なので」
エレナにも分かるようにリーファは地図を広げる。
「この辺りは馬もドラゴンも立ち入れないので、移動手段がどうしても限られてしまい行ける人間も少数になります。それが今回お館様が出向かれた理由です」
頷きながら話を聞くエレナは、リオレートの瞬間移動魔法を思い浮かべる。
確かにアレなら馬やドラゴンの立ち入れない場所でも行けそうだが、大人数は難しいだろうなと思う。
「場合によっては1月城を不在にされる事もままあります」
言いづらそうに、だがはっきりとした口調でリーファは現状をエレナに伝える。
(……そんなに!?)
表面的には目を何度か瞬かせた程度だが、内心でエレナはそう叫ぶ。
(ルヴァル様、お怪我をされてないかしら?)
ルヴァルの強さは知っている。それでも強いからといっていつも無傷で済むとは限らない。
もし、ルヴァルや一緒に討伐に向かった誰かが命を落としたら?
エレナは魔物の群れに遭遇してしまった時の事を思い出し身がすくむ。
(怖い。でも、ここではそれが日常なんだわ)
きゅっと目を瞑ると考え込むように俯いて両手を組んで額にその手をあてる。
(私には無事でいて欲しいと祈る事しかできない)
なんて自分は無力なんだろう、エレナが唇を噛み締めていると、
「大丈夫ですよ、エレナ様」
リーファのふふっという笑い声とともにそんな言葉が落ちてきた。
その声に勇気づけられたエレナはそろりと顔を上げる。
「お館様に仕留められないモノはありません。もしそうなったらこの国が滅ぶだけの事ですよ」
まるで大した事なさそうにさらっとそんなことをいうが、それはかなりまずいのではとエレナはマジマジとリーファを見つめる。
「そうならないように、常日頃から備えています。ここはそういうところです」
この地では、諦めた人間から死んでいく。
だから、ルヴァルの部下であるためには何人たりともけして生きる事を諦めてはいけないのだとリーファは告げる。
「ここは要塞都市バーレー。この国が建国されてから一度だってこの防衛線が崩された事はありません。アルヴィン辺境伯歴代最高傑作と言われるお館様が領主を務めるここが堕ちるなんてありえません」
自慢げに胸を張るリーファは、
「だからエレナ様、あなたはただ信じて帰りを待てばいいのです。あなたはお館様が望んだ花嫁なのですから」
この程度で狼狽えてはなりませんよと静かな口調でそう言葉を締めくくった。
話を聞き終えたエレナはリーファにありがとうの言葉を綴る。
(強い、な。ここの人達は)
そして、どこよりも厳しいこの地で確かに前を向き生きているのだ。その現実を知ってエレナは唐突に自分が恥ずかしくなった。
(私、なんて失礼な事を)
突然エリオットから婚約破棄を告げられ、サザンドラ子爵家の後継者の座を奪われ、追い出されるようにルヴァルの元に嫁ぐよう指示されたとはいえ、あの時の自分は確かに思ったのだ。
『ここから立ち去れるなら、結婚相手がどんな人でも、嫁ぎ先がどんな場所でも構わない。叶うなら、私を殺す時は一思いに楽にさせてくれる人なら嬉しい』
と。
なんて、失礼で、身勝手で、浅はかな事を思ってしまったんだろう?
ここでの暮らしをルヴァルの事をよく知りもしなかったくせに。
(私、ここで生きていきたいわ。これから先、みんなと一緒に)
もっとルヴァルの事やバーレーの事が知りたい。ルヴァルは何もしなくていいと言ったけれど、ここの一員になるために自分にも何かできないだろうかとエレナは真剣に考える。
(私にも、できる事。任せてもらえる事、何か一つでも見つけたい)
それはカナリアでなくなってから、エレナが初めて前向きに願ったことだった。