【コミカライズ化】追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ
52.その歌姫は、気に入られる。
これは、いつの自分の夢だろう。
そう思った途端、深い闇に沈んでいたルヴァルの意識が浮上する。
誰かの泣き声がする、と俯いていたルヴァルが顔を上げたその先で幼い彼女と視線が絡んだ。
紫水晶の瞳に涙をこれでもかと溜めた黒髪の少女がしゃくりあげながら立ち止まる。
一瞬泣くのをやめた彼女はヒュッと息を呑む。
ああ、またか。と思った。どうにも自分は化け物染みているらしい。魔力にしても、戦闘能力にしても。
それは、言葉にするよりも明確に不気味な気配として相手を萎縮させるものらしい。
"分からないモノは分からない"
それで済ませてくれればいいのに、ヒトという生き物は突出したソレを放っておく事はできないらしい。
『さて、叫ぶか? 逃げるか? 失神するか? いずれにしても絵面的に悪者は俺だな』
ただ休憩していただけなのだが、この少女の証言は瞬く間に悪意ある人間の口に乗り、また自分の悪評が増えるのだろう。
ルヴァルはこれから起きる面倒ごとに辟易しながらその時を待つ。
だが、ゴシゴシと目を擦って泣くのをやめた少女は、
「お兄ちゃん……も、迷子?」
仲間を見つけたと勘違いしたらしく、怖かったねぇと何故か頭を撫でてきた。
「おい、コラ、チビ。いつまで付いてくるつもりだ」
「チビじゃない! エレナ!! お兄ちゃん口悪い」
エレナと名乗ったその少女は自分に臆する事なく言い返す。
「気の強い女はモテねぇぞ」
まぁ、もっともバーレーには気の強い女しかいないのだが。
そう言ったルヴァルの後ろをひょこひょこと付いて来るエレナは、
「いいもん。エリオット様がお嫁さんにしてくれるっていったもん」
得意げにそう言い返す。
「誰だよ、エリオット」
「婚約者……予定の人。とっても優しいの!えっとねぇ、魔法も使えて、頭も良くてね」
年端もいかない年齢だと言うのに、どうやら婚約者(候補)もいるらしい。
「惚気話語るには早すぎるだろ、チビ」
「チビじゃない! エレナ!! レディに向かってチビは失礼よ」
ぷくっと頬を膨らませた少女の髪を乱暴に撫でたルヴァルは、
「淑女を語るならあと10年は足らんな。誰もが振り返る絶世の淑女になったら詫びてやる」
そう言って不敵に笑う。
「約束したわよ! 絶対、謝らせる」
お兄ちゃんだってどう見てもまだ子どもじゃないと文句を言う勝ち気な紫水晶の瞳を見てルヴァルは、苦笑する。
「ああ、お前にできたらな」
ポンポンと軽く頭を撫でてやれば、ふふっと楽しげな声が少女から漏れた。
珍しい事もあるものだ、とルヴァルは思う。
基本的にルヴァルは子どもに好かれない。アルヴィン辺境伯の跡継ぎと仲良くしろと言い含められた貴族の子がたまに媚を売りにくるが、男女ともに大抵は泣き出し、脱兎の如く逃げ出すのが常だった。
「どうしたの?」
じっと見ていたらきょとんとした紫水晶の瞳が屈託なく自分を見返して来た。
その目からはおおよそ恐怖と言うものが読み取れない。
「お前、もうちょい警戒心持てよ。野生の生き物なら狩られてるぞ」
誰かを喰い殺すために生まれて来た国の番犬。
自分に直接そう言ってくる度胸のある人間は望み通り力で捩じ伏せてやったので、聞かないフリをしてやっているが、いまでもそう揶揄されていることをルヴァルは知っている。
国の防衛線の役目を果たすのは代々アルヴィン辺境伯の務めだ。
だから、バーレーを治めるためには並外れた、ヒトに恐れられ反逆心などへし折れるほどの強さが必要で。
ルヴァル自身そうあろうとしてきたのに。
そんな自分に対して微塵も恐怖も警戒心も抱かないどころかまるで普通の人間の様に扱う少女。
この子は魑魅魍魎しかいない社交界で無事生きていけるのだろうか、と他人事なのに心配になった。
「ふふ、だーいじょうぶ。王城勤めの騎士様やその候補生ってすごく強いんでしょ。お兄ちゃんいるからへーきだもん」
だからその初対面の相手に信頼を寄せるのを止めろと言っているんだが、とルヴァルは思ったが、ニコニコ笑うエレナを見ていたらどうでもよくなったので説得を諦めた。
エレナの身なりや王城に出入りできる事から考えて、どこぞの貴族のお嬢様なのだろうが、生憎とルヴァルは社交界には疎いのでエレナという名前だけでは少女をどこに送り届けてやればいいのか分からない。
とりあえず人の多い方に向かって歩き、誰かに会えば押し付けようと思ったのだが時間帯のせいか誰にも会わない。
そんな静かな時間を選んで訓練をサボっていたのだから仕方ない。
「なぁ、お前一体どっから来たわけ? 覚えてる景色とかもう少しヒントを……って、いねぇし」
さっきまでひょこひょこ後ろを付いて来ていたくせに、妙に静かだと思ったら姿が見えない。勝手に帰り道を見つけて帰って行ったか、とルヴァルはため息をつく。
「俺もさっさと戻らねぇと、またジジイにどやされる。んで、アーサーに厄介ごと押し付けられる」
訓練場の方に戻ろうとルヴァルは歩みを進めるが、数歩進んだ所で歩みを止める。
思い浮かぶのは、紫水晶の瞳に溜まった今にも溢れそうな涙で。
「チッ、何で俺が」
ガシガシと乱暴に頭を掻いたルヴァルは仕方ないとつぶやいて、足早に来た道を引き返した。
「……何やってるんだ、チビ」
見つけたエレナは泣いてなどおらず呑気に花冠を作っていた。
「あ、お兄ちゃん。コレあげる」
迷子仲間だものとにこにこ笑って差し出すエレナにため息をついて、
「迷子はお前1人だ」
ぞんざいにルヴァルはそう言い返す。
視線を合わせるように膝を折ったルヴァルに、
「じゃあ、どうして泣きそうだったの?」
不思議そうな声が届いた。
「……泣いてねーよ」
自分が泣くなどありえない。そんな感情は遠の昔に捨てた。
なお、首をかしげるエレナはルヴァルの頭にふわりと花冠を載せる。
「迷子の時はね、歌を歌うといいんだよ。そしたら誰かが見つけてくれるから」
「だから迷子じゃ」
「でも、お兄ちゃんからお家に帰れなくて、泣きそうな音がするから」
私と一緒と、少女は自分の理解を超えることを宣う。
確かに望んでも本家に帰れない状態ではあった。
祖母が危篤だと言う知らせを受けても。こんな離れた地で、ただ持ち直すことを祈るしかできない状態に、ルヴァルが苛立ちを募らせていたのは事実だった。
「私、耳には自信があるから」
返事をできずにいると、彼女はそっと手を伸ばしてきてまるで小さな子どもをあやすかのようにルヴァルの頭を撫でた。
「お歌、私が歌ってあげる! 特別に」
頼んでない、といつもの自分ならたとえ子ども相手でも冷たくあしらうだけだっただろう。だけど、この時は無条件伸ばされた手の暖かさに触れていたくて、ルヴァルは拒むことができなかった。
「付き合ってやる。仕方ないから」
相変わらず自分の口をついて出るのは、愛想の欠片もないような冷たい言葉だったけれど、エレナはとてもうれしそうに笑ってうなずいた。
それからの時間はエレナの母親が見つかるまで、エレナの独唱会に耳を傾けたり、エレナの語る様々な話を聞いたり、ルヴァルの腕に訓練でついた大きな傷跡を見つけたエレナが"痛かったね"とまるで自分のことみたいにわんわん泣くのをなだめたりしていた。
エレナは感情豊かな子で、短時間でよくもまぁこれほどまでにくるくると表情が変わるものだと感心するほどで。
慰め方など分からずにやや乱暴に彼女の黒髪を撫でてやれば、花が綻ぶように笑った。
「お兄ちゃんからは、とっても優しい音がする」
「……なんだ、それは」
化け物だとか、気味が悪いとか、そんな言葉は言われ慣れてるが、そんなことをまるで当然の事実のように誰かに言われたのははじめてだった。
「優しくなんかねーよ」
この時すでに多くの命を蹴散らした上に立っている自分に対して、優しいなんて言葉は似合わない。そう思うルヴァルに対して、首を振ったエレナは、
「私、耳には自信があるから」
ちょっと自慢げに笑った。
一緒に過ごした時間は、本当にあっという間で。
自分を探す声を聞き取ったエレナは、静かに立ち上がる。
「またね!」
元気にかけていくその後ろ姿を見送りながら、きっともう二度と会う事はないだろうなとそんなことをぼんやり考えて、少しだけ名残惜しさを感じる。
エレナの姿が完全に見えなくなってから、ルヴァルは反対方向に歩み出した。
凍えるほど冷たい北部の地で自分が守るものの先に、彼女の屈託のない笑顔があるのなら悪くはない、と柄にもないことを考えながら。
そう思った途端、深い闇に沈んでいたルヴァルの意識が浮上する。
誰かの泣き声がする、と俯いていたルヴァルが顔を上げたその先で幼い彼女と視線が絡んだ。
紫水晶の瞳に涙をこれでもかと溜めた黒髪の少女がしゃくりあげながら立ち止まる。
一瞬泣くのをやめた彼女はヒュッと息を呑む。
ああ、またか。と思った。どうにも自分は化け物染みているらしい。魔力にしても、戦闘能力にしても。
それは、言葉にするよりも明確に不気味な気配として相手を萎縮させるものらしい。
"分からないモノは分からない"
それで済ませてくれればいいのに、ヒトという生き物は突出したソレを放っておく事はできないらしい。
『さて、叫ぶか? 逃げるか? 失神するか? いずれにしても絵面的に悪者は俺だな』
ただ休憩していただけなのだが、この少女の証言は瞬く間に悪意ある人間の口に乗り、また自分の悪評が増えるのだろう。
ルヴァルはこれから起きる面倒ごとに辟易しながらその時を待つ。
だが、ゴシゴシと目を擦って泣くのをやめた少女は、
「お兄ちゃん……も、迷子?」
仲間を見つけたと勘違いしたらしく、怖かったねぇと何故か頭を撫でてきた。
「おい、コラ、チビ。いつまで付いてくるつもりだ」
「チビじゃない! エレナ!! お兄ちゃん口悪い」
エレナと名乗ったその少女は自分に臆する事なく言い返す。
「気の強い女はモテねぇぞ」
まぁ、もっともバーレーには気の強い女しかいないのだが。
そう言ったルヴァルの後ろをひょこひょこと付いて来るエレナは、
「いいもん。エリオット様がお嫁さんにしてくれるっていったもん」
得意げにそう言い返す。
「誰だよ、エリオット」
「婚約者……予定の人。とっても優しいの!えっとねぇ、魔法も使えて、頭も良くてね」
年端もいかない年齢だと言うのに、どうやら婚約者(候補)もいるらしい。
「惚気話語るには早すぎるだろ、チビ」
「チビじゃない! エレナ!! レディに向かってチビは失礼よ」
ぷくっと頬を膨らませた少女の髪を乱暴に撫でたルヴァルは、
「淑女を語るならあと10年は足らんな。誰もが振り返る絶世の淑女になったら詫びてやる」
そう言って不敵に笑う。
「約束したわよ! 絶対、謝らせる」
お兄ちゃんだってどう見てもまだ子どもじゃないと文句を言う勝ち気な紫水晶の瞳を見てルヴァルは、苦笑する。
「ああ、お前にできたらな」
ポンポンと軽く頭を撫でてやれば、ふふっと楽しげな声が少女から漏れた。
珍しい事もあるものだ、とルヴァルは思う。
基本的にルヴァルは子どもに好かれない。アルヴィン辺境伯の跡継ぎと仲良くしろと言い含められた貴族の子がたまに媚を売りにくるが、男女ともに大抵は泣き出し、脱兎の如く逃げ出すのが常だった。
「どうしたの?」
じっと見ていたらきょとんとした紫水晶の瞳が屈託なく自分を見返して来た。
その目からはおおよそ恐怖と言うものが読み取れない。
「お前、もうちょい警戒心持てよ。野生の生き物なら狩られてるぞ」
誰かを喰い殺すために生まれて来た国の番犬。
自分に直接そう言ってくる度胸のある人間は望み通り力で捩じ伏せてやったので、聞かないフリをしてやっているが、いまでもそう揶揄されていることをルヴァルは知っている。
国の防衛線の役目を果たすのは代々アルヴィン辺境伯の務めだ。
だから、バーレーを治めるためには並外れた、ヒトに恐れられ反逆心などへし折れるほどの強さが必要で。
ルヴァル自身そうあろうとしてきたのに。
そんな自分に対して微塵も恐怖も警戒心も抱かないどころかまるで普通の人間の様に扱う少女。
この子は魑魅魍魎しかいない社交界で無事生きていけるのだろうか、と他人事なのに心配になった。
「ふふ、だーいじょうぶ。王城勤めの騎士様やその候補生ってすごく強いんでしょ。お兄ちゃんいるからへーきだもん」
だからその初対面の相手に信頼を寄せるのを止めろと言っているんだが、とルヴァルは思ったが、ニコニコ笑うエレナを見ていたらどうでもよくなったので説得を諦めた。
エレナの身なりや王城に出入りできる事から考えて、どこぞの貴族のお嬢様なのだろうが、生憎とルヴァルは社交界には疎いのでエレナという名前だけでは少女をどこに送り届けてやればいいのか分からない。
とりあえず人の多い方に向かって歩き、誰かに会えば押し付けようと思ったのだが時間帯のせいか誰にも会わない。
そんな静かな時間を選んで訓練をサボっていたのだから仕方ない。
「なぁ、お前一体どっから来たわけ? 覚えてる景色とかもう少しヒントを……って、いねぇし」
さっきまでひょこひょこ後ろを付いて来ていたくせに、妙に静かだと思ったら姿が見えない。勝手に帰り道を見つけて帰って行ったか、とルヴァルはため息をつく。
「俺もさっさと戻らねぇと、またジジイにどやされる。んで、アーサーに厄介ごと押し付けられる」
訓練場の方に戻ろうとルヴァルは歩みを進めるが、数歩進んだ所で歩みを止める。
思い浮かぶのは、紫水晶の瞳に溜まった今にも溢れそうな涙で。
「チッ、何で俺が」
ガシガシと乱暴に頭を掻いたルヴァルは仕方ないとつぶやいて、足早に来た道を引き返した。
「……何やってるんだ、チビ」
見つけたエレナは泣いてなどおらず呑気に花冠を作っていた。
「あ、お兄ちゃん。コレあげる」
迷子仲間だものとにこにこ笑って差し出すエレナにため息をついて、
「迷子はお前1人だ」
ぞんざいにルヴァルはそう言い返す。
視線を合わせるように膝を折ったルヴァルに、
「じゃあ、どうして泣きそうだったの?」
不思議そうな声が届いた。
「……泣いてねーよ」
自分が泣くなどありえない。そんな感情は遠の昔に捨てた。
なお、首をかしげるエレナはルヴァルの頭にふわりと花冠を載せる。
「迷子の時はね、歌を歌うといいんだよ。そしたら誰かが見つけてくれるから」
「だから迷子じゃ」
「でも、お兄ちゃんからお家に帰れなくて、泣きそうな音がするから」
私と一緒と、少女は自分の理解を超えることを宣う。
確かに望んでも本家に帰れない状態ではあった。
祖母が危篤だと言う知らせを受けても。こんな離れた地で、ただ持ち直すことを祈るしかできない状態に、ルヴァルが苛立ちを募らせていたのは事実だった。
「私、耳には自信があるから」
返事をできずにいると、彼女はそっと手を伸ばしてきてまるで小さな子どもをあやすかのようにルヴァルの頭を撫でた。
「お歌、私が歌ってあげる! 特別に」
頼んでない、といつもの自分ならたとえ子ども相手でも冷たくあしらうだけだっただろう。だけど、この時は無条件伸ばされた手の暖かさに触れていたくて、ルヴァルは拒むことができなかった。
「付き合ってやる。仕方ないから」
相変わらず自分の口をついて出るのは、愛想の欠片もないような冷たい言葉だったけれど、エレナはとてもうれしそうに笑ってうなずいた。
それからの時間はエレナの母親が見つかるまで、エレナの独唱会に耳を傾けたり、エレナの語る様々な話を聞いたり、ルヴァルの腕に訓練でついた大きな傷跡を見つけたエレナが"痛かったね"とまるで自分のことみたいにわんわん泣くのをなだめたりしていた。
エレナは感情豊かな子で、短時間でよくもまぁこれほどまでにくるくると表情が変わるものだと感心するほどで。
慰め方など分からずにやや乱暴に彼女の黒髪を撫でてやれば、花が綻ぶように笑った。
「お兄ちゃんからは、とっても優しい音がする」
「……なんだ、それは」
化け物だとか、気味が悪いとか、そんな言葉は言われ慣れてるが、そんなことをまるで当然の事実のように誰かに言われたのははじめてだった。
「優しくなんかねーよ」
この時すでに多くの命を蹴散らした上に立っている自分に対して、優しいなんて言葉は似合わない。そう思うルヴァルに対して、首を振ったエレナは、
「私、耳には自信があるから」
ちょっと自慢げに笑った。
一緒に過ごした時間は、本当にあっという間で。
自分を探す声を聞き取ったエレナは、静かに立ち上がる。
「またね!」
元気にかけていくその後ろ姿を見送りながら、きっともう二度と会う事はないだろうなとそんなことをぼんやり考えて、少しだけ名残惜しさを感じる。
エレナの姿が完全に見えなくなってから、ルヴァルは反対方向に歩み出した。
凍えるほど冷たい北部の地で自分が守るものの先に、彼女の屈託のない笑顔があるのなら悪くはない、と柄にもないことを考えながら。