【コミカライズ化】追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ
61.その歌姫は、自分を売り込む。
王都にあるウェイン侯爵邸。ここに再び足を運ぶ日が来るとは思わなかった、と思いながらエレナは通された応接室の窓から庭園を眺める。
そこは子どもの頃エリオットと遊んだ記憶と変わらない佇まいで、さまざまな思いが込み上げる。
「すまない。アルヴィン辺境伯夫人、待たせてしまったな」
ぼんやりしていたところに声をかけられ、
「……ジルハルトお兄様」
つい、いつもと変わらない呼び方をしてしまったエレナは慌てて立ち上がり、
「申し訳ございません。失礼いたしました。ウェイン侯爵令息」
綺麗なカーテシーをしてみせる。
エレナに席を勧めながら苦笑したジルハルトは、
「ジルハルトで構わない」
とエレナに告げる。
「あ、では私も」
言いかけて、エレナは言葉に詰まる。婚約破棄され、他家に嫁いだ自分がエレナと呼んでもらってもいいのだろうかと。
口を閉ざしたエレナを見ながら、ジルハルトは、
「夜会の時もそうだったが君にあんな仕打ちをした侯爵家の人間をまだ"お兄様"と呼んでくれるんだな」
と優しげな視線を向ける。
「先日は君のおかげで命拾いをした。本当に感謝している」
そういってジルハルトはエレナに礼を述べ、エレナの怪我の具合を心配する。
そして、
「婚約破棄の件もエリオットが今までエレナを傷つけてきた事も本当に申し訳なかった」
と丁寧に頭を下げてくれた。
長い時間を一緒にいたわけではないが、この人はいつだって公明正大で誠実な人であったとエレナはジルハルトの為人を思い出す。
「私は私にできる最善を選んだだけです。それに、私達の婚約破棄と私が実家で受けた仕打ちはジルハルト様のせいではございません」
実際、先日の件もサザンドラ子爵家で起きたこともジルハルトに非はない。
エレナの中にはジルハルトやウェイン侯爵家を恨む気持ちもエリオットに対する未練も全くなかった。
「私は本日、ジルハルトおに……ジルハルト様に感謝を伝えたくてお訪ねしたのです」
ジルハルトから見舞いの花束と先日の礼をしたいという丁寧な招待状を受け取り、エレナはウェイン侯爵邸への訪問を決断した。
エリオットと婚約破棄し、サザンドラ子爵家を継ぐ事がなくなった。本家筋に見限られた以上、もう2度と関わることはないだろうと思っていた。
それでも、エレナがこの場所に足を踏み入れたのは、どうしてもジルハルトに伝えたい事があったからだ。
「私が、北部に行けるようにと取り計らってくださったのはジルハルト様……なのでしょう?」
サザンドラ子爵家はウェイン侯爵家の分家筋で、カナリアという特殊な存在に関する最終決定権は侯爵家にある。
いくらルヴァルが金を積んだとしても、父が自分の存在を疎んでいたとしても、ウェイン侯爵家当主が了承しなければ自分はルヴァルの元に嫁げなかったはずだ。
「父に申し出を受けるよう進言したのは、提示された条件が良かった。それだけだ」
淡々と突き放すようにジルハルトはそう言うけれど、今のエレナには彼が密かに自分のことを助けようと尽力してくれたのだと確信を持って断言できる。
きっと、それは今世だけではない。
『死にましたよ。ジルハルト様もウェイン侯爵夫妻も』
1回目の人生でマリナに言われたセリフ。おそらくこの時もジルハルトは自分のことを助けようとしてくれていたのではないか、とエレナは思う。
この人は、そういう人だ。
「私、ジルハルト様はもちろん、侯爵様や夫人にもとても感謝しているのです」
エレナはジルハルトににこやかに笑いかける。真っ直ぐ向けられたエレナからの言葉にジルハルトはじっと見返す。
「私を助けてくれてありがとうございます。そのおかげで私は今、とても幸せです。なので、先日の魔物との鬼ごっこのお礼は必要ありません」
それだけはどうしても伝えたくて、とエレナは訪問目的を告げる。
自分を窮地に追いやった侯爵家に恨み言のひとつを言ったとしても許されるだろうに、エレナはただ感謝を述べ微笑む。
「私の用件は以上です」
そう告げて、エレナは凛と背筋を伸ばし淑女らしく礼をする。
純粋で、素直で、誠実で。そして、芯の強い女の子。
前を向く彼女からはどん底に落ちていた時の悲壮感など微塵も感じない。
「……ふっ、礼はいらない、と。それは辺境伯も同意しているのかな?」
「えっと、ルヴァル様はただ私の判断に任せる、と」
今回の件についてルヴァルに相談し、自分の意向を伝えたところただ"エレナの思う通りに"とだけ言われた。
ウェイン侯爵家嫡男であり、次期当主となるジルハルトを助けた上その本人から礼をしたいと言われたのだ。
本来なら今後のために貸しにするか、ノルディアとの争いを見据えて早々に協力を取り付けるかすべきなのだろうけれど。
「私は、北部に嫁いだことで今までジルハルト様に護られていたのだと気づくことができました。たかが子爵家の娘には十分過ぎるほどです。なので今回はルヴァル様のご厚意に甘えさせて頂く事にいたしました」
今世はジルハルトはもちろん、ウェイン侯爵家を失いたくない。だから、この件に関わらせない方がいいのではないかとエレナは判断した。
「なるほど、な」
ふむ、と頷いたジルハルトは優しくエレナに笑いかける。
「辺境伯は残忍で冷酷な男だと聞いていたが、噂とは本当に当てにならないな。随分、大事にされているようで安心した」
エレナが身につけている品は全て一級品で、女主人として恥ずかしくない装いだ。
その上ルヴァルはエレナに重要な交渉の場の決定権を委ねている。それだけで彼女がアルヴィン辺境伯の元でとても大事に扱われているのだと分かる。
「はいっ、ルヴァル様はとってもとっても、優しいのです!」
悪評が付き纏う事の多いルヴァルが褒められた事が嬉しくて、前のめり気味にそう言ったエレナは、
「私の事もすごく大事にしてくれ……」
先日のルヴァルからの宣言を思い出し、顔を紅くする。
言葉を途切れさせ、頬を両手で覆うエレナを見て吹き出すように笑ったジルハルトは、エレナを北部に送り出せて本当に良かったとルヴァルに感謝した。
「エレナ。私もまだ、君の事を妹のように思っていても構わないだろうか?」
エレナが落ち着いたタイミングで、ジルハルトはそう尋ねる。
エレナは驚いたように紫水晶の瞳を瞬かせ、幼少期にジルハルトと交わした言葉をいくつも思い出す。
彼のくれた助言はいつも的確で、それは様々な場面で役に立った。
ジルハルトの言葉を咀嚼し、エレナは迷い躊躇う。申し出はありがたいがこの手を取れば彼らを危険に晒してしまう。
沈黙したエレナにジルハルトは言葉を重ねる。
「エリオットが行方不明だ。私は先日の件にエリオットの関与を疑っている。家門としても責を取らねばならない」
そう言ったジルハルトはとても厳しい顔をしていて、それは何かを決断するときのルヴァルの声の響きに似ていた。
それは自分の役目を全うしようとする重く、強い、意志。
「エレナ、君はこれから辺境伯の隣に立つのだろう? 使えるモノはなんでも使いなさい」
選んだその責任も君が負うんだと厳しくも優しい言葉にエレナは静かに頷く。
ジルハルトは自分などよりよほど状況が読めていて、人脈も実力もあり頼りになる存在だ。
「エリオット様と縁を結ぶ事はありませんが、ジルハルト様のことを私を助けてくれたお兄様としてこれから先もお慕いしていてもいいですか?」
ジルハルトに背を押され、エレナは決断する。
もちろんと頷いてくれたジルハルトに、
「早速ですが、ジルハルトお兄様のお力をお借りできますか?」
そう尋ねながらエレナは自分の耳をそっと触る。
『人間とは、なんて……欲深いのかしら?』
ヒトに裏切られ絶望し、能力を晒したことを心底後悔したカリアの感情が苦々しく蘇る。
選択を間違えてしまったらと思うと怖いし、ノルディア以外からもこの力を狙われ新たな争いの火種になるかもしれない。
けれど、きっとこれは自分にしかできない事。
「陛下のお命に関わる事です」
エレナはルヴァルのために考えられる最善を選ぶ。
私、耳には少々自信がありますとエレナは自分の能力を売り込んだ。
そこは子どもの頃エリオットと遊んだ記憶と変わらない佇まいで、さまざまな思いが込み上げる。
「すまない。アルヴィン辺境伯夫人、待たせてしまったな」
ぼんやりしていたところに声をかけられ、
「……ジルハルトお兄様」
つい、いつもと変わらない呼び方をしてしまったエレナは慌てて立ち上がり、
「申し訳ございません。失礼いたしました。ウェイン侯爵令息」
綺麗なカーテシーをしてみせる。
エレナに席を勧めながら苦笑したジルハルトは、
「ジルハルトで構わない」
とエレナに告げる。
「あ、では私も」
言いかけて、エレナは言葉に詰まる。婚約破棄され、他家に嫁いだ自分がエレナと呼んでもらってもいいのだろうかと。
口を閉ざしたエレナを見ながら、ジルハルトは、
「夜会の時もそうだったが君にあんな仕打ちをした侯爵家の人間をまだ"お兄様"と呼んでくれるんだな」
と優しげな視線を向ける。
「先日は君のおかげで命拾いをした。本当に感謝している」
そういってジルハルトはエレナに礼を述べ、エレナの怪我の具合を心配する。
そして、
「婚約破棄の件もエリオットが今までエレナを傷つけてきた事も本当に申し訳なかった」
と丁寧に頭を下げてくれた。
長い時間を一緒にいたわけではないが、この人はいつだって公明正大で誠実な人であったとエレナはジルハルトの為人を思い出す。
「私は私にできる最善を選んだだけです。それに、私達の婚約破棄と私が実家で受けた仕打ちはジルハルト様のせいではございません」
実際、先日の件もサザンドラ子爵家で起きたこともジルハルトに非はない。
エレナの中にはジルハルトやウェイン侯爵家を恨む気持ちもエリオットに対する未練も全くなかった。
「私は本日、ジルハルトおに……ジルハルト様に感謝を伝えたくてお訪ねしたのです」
ジルハルトから見舞いの花束と先日の礼をしたいという丁寧な招待状を受け取り、エレナはウェイン侯爵邸への訪問を決断した。
エリオットと婚約破棄し、サザンドラ子爵家を継ぐ事がなくなった。本家筋に見限られた以上、もう2度と関わることはないだろうと思っていた。
それでも、エレナがこの場所に足を踏み入れたのは、どうしてもジルハルトに伝えたい事があったからだ。
「私が、北部に行けるようにと取り計らってくださったのはジルハルト様……なのでしょう?」
サザンドラ子爵家はウェイン侯爵家の分家筋で、カナリアという特殊な存在に関する最終決定権は侯爵家にある。
いくらルヴァルが金を積んだとしても、父が自分の存在を疎んでいたとしても、ウェイン侯爵家当主が了承しなければ自分はルヴァルの元に嫁げなかったはずだ。
「父に申し出を受けるよう進言したのは、提示された条件が良かった。それだけだ」
淡々と突き放すようにジルハルトはそう言うけれど、今のエレナには彼が密かに自分のことを助けようと尽力してくれたのだと確信を持って断言できる。
きっと、それは今世だけではない。
『死にましたよ。ジルハルト様もウェイン侯爵夫妻も』
1回目の人生でマリナに言われたセリフ。おそらくこの時もジルハルトは自分のことを助けようとしてくれていたのではないか、とエレナは思う。
この人は、そういう人だ。
「私、ジルハルト様はもちろん、侯爵様や夫人にもとても感謝しているのです」
エレナはジルハルトににこやかに笑いかける。真っ直ぐ向けられたエレナからの言葉にジルハルトはじっと見返す。
「私を助けてくれてありがとうございます。そのおかげで私は今、とても幸せです。なので、先日の魔物との鬼ごっこのお礼は必要ありません」
それだけはどうしても伝えたくて、とエレナは訪問目的を告げる。
自分を窮地に追いやった侯爵家に恨み言のひとつを言ったとしても許されるだろうに、エレナはただ感謝を述べ微笑む。
「私の用件は以上です」
そう告げて、エレナは凛と背筋を伸ばし淑女らしく礼をする。
純粋で、素直で、誠実で。そして、芯の強い女の子。
前を向く彼女からはどん底に落ちていた時の悲壮感など微塵も感じない。
「……ふっ、礼はいらない、と。それは辺境伯も同意しているのかな?」
「えっと、ルヴァル様はただ私の判断に任せる、と」
今回の件についてルヴァルに相談し、自分の意向を伝えたところただ"エレナの思う通りに"とだけ言われた。
ウェイン侯爵家嫡男であり、次期当主となるジルハルトを助けた上その本人から礼をしたいと言われたのだ。
本来なら今後のために貸しにするか、ノルディアとの争いを見据えて早々に協力を取り付けるかすべきなのだろうけれど。
「私は、北部に嫁いだことで今までジルハルト様に護られていたのだと気づくことができました。たかが子爵家の娘には十分過ぎるほどです。なので今回はルヴァル様のご厚意に甘えさせて頂く事にいたしました」
今世はジルハルトはもちろん、ウェイン侯爵家を失いたくない。だから、この件に関わらせない方がいいのではないかとエレナは判断した。
「なるほど、な」
ふむ、と頷いたジルハルトは優しくエレナに笑いかける。
「辺境伯は残忍で冷酷な男だと聞いていたが、噂とは本当に当てにならないな。随分、大事にされているようで安心した」
エレナが身につけている品は全て一級品で、女主人として恥ずかしくない装いだ。
その上ルヴァルはエレナに重要な交渉の場の決定権を委ねている。それだけで彼女がアルヴィン辺境伯の元でとても大事に扱われているのだと分かる。
「はいっ、ルヴァル様はとってもとっても、優しいのです!」
悪評が付き纏う事の多いルヴァルが褒められた事が嬉しくて、前のめり気味にそう言ったエレナは、
「私の事もすごく大事にしてくれ……」
先日のルヴァルからの宣言を思い出し、顔を紅くする。
言葉を途切れさせ、頬を両手で覆うエレナを見て吹き出すように笑ったジルハルトは、エレナを北部に送り出せて本当に良かったとルヴァルに感謝した。
「エレナ。私もまだ、君の事を妹のように思っていても構わないだろうか?」
エレナが落ち着いたタイミングで、ジルハルトはそう尋ねる。
エレナは驚いたように紫水晶の瞳を瞬かせ、幼少期にジルハルトと交わした言葉をいくつも思い出す。
彼のくれた助言はいつも的確で、それは様々な場面で役に立った。
ジルハルトの言葉を咀嚼し、エレナは迷い躊躇う。申し出はありがたいがこの手を取れば彼らを危険に晒してしまう。
沈黙したエレナにジルハルトは言葉を重ねる。
「エリオットが行方不明だ。私は先日の件にエリオットの関与を疑っている。家門としても責を取らねばならない」
そう言ったジルハルトはとても厳しい顔をしていて、それは何かを決断するときのルヴァルの声の響きに似ていた。
それは自分の役目を全うしようとする重く、強い、意志。
「エレナ、君はこれから辺境伯の隣に立つのだろう? 使えるモノはなんでも使いなさい」
選んだその責任も君が負うんだと厳しくも優しい言葉にエレナは静かに頷く。
ジルハルトは自分などよりよほど状況が読めていて、人脈も実力もあり頼りになる存在だ。
「エリオット様と縁を結ぶ事はありませんが、ジルハルト様のことを私を助けてくれたお兄様としてこれから先もお慕いしていてもいいですか?」
ジルハルトに背を押され、エレナは決断する。
もちろんと頷いてくれたジルハルトに、
「早速ですが、ジルハルトお兄様のお力をお借りできますか?」
そう尋ねながらエレナは自分の耳をそっと触る。
『人間とは、なんて……欲深いのかしら?』
ヒトに裏切られ絶望し、能力を晒したことを心底後悔したカリアの感情が苦々しく蘇る。
選択を間違えてしまったらと思うと怖いし、ノルディア以外からもこの力を狙われ新たな争いの火種になるかもしれない。
けれど、きっとこれは自分にしかできない事。
「陛下のお命に関わる事です」
エレナはルヴァルのために考えられる最善を選ぶ。
私、耳には少々自信がありますとエレナは自分の能力を売り込んだ。