【コミカライズ化】追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ
66.その歌姫は、挑発する。
ゆっくりとエレナの意識が浮上する。まず"じゃら"っという硬質で冷たい音を耳が拾い、ついで頬にピリッとした痛みを感じた。
痛い、という事はコレは、過去の夢ではなく、現在進行形なのだろう。
「……あれから、どれくらい時間が経ったのかしら?」
随分と長い夢を見ていた気がするとぼんやりした頭でエレナは冷たい床に横たわったまま、紫水晶の瞳で鉄格子のはめられた窓を見上げる。青白いぼんやりとした光を放つ満ちた月が夜空にその存在を主張していた。
狩猟大会前夜に見上げた月の形から考えて、ここに連れて来られた日からおおよそ3日といった所か。
浮いたり沈んだりする意識のせいで時間の感覚がおかしくなりそうだ。
「今日飛んでいた意識はきっと半日くらいね。その日のうちに目覚めてよかった」
独り言をつぶやいた瞬間、口元に痛みが走り、口内に血の味が広がった。そういえば扇子で殴られたんだったとエレナはぼんやり今日の出来事を思い出す。
「……ルル」
エレナはルヴァルの顔を思い出し、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
ルヴァルが教えてくれたのは、生き残るための戦い方。ならば、少しでも生存率をあげるために時間を稼がなくては。
「私は、負けない。だから、どうかあなたも無事で」
そうつぶやいたエレナは静かに五感を研ぎ澄ませ情報を整理し始めた。
**
エリオットの光魔法を追いかけて森の脇道に入ってすぐ、エレナは見知らぬローブを被った男たちに囲まれた。
薬を嗅がされ意識を失い、目が覚めた時にはここにいた。
まるで、南部の実家にあった納屋みたい。
またあの頃に戻ったのではないかと、錯覚しそうになるほど精巧な造りに思わず寒気がした。
ぎぃーっと音がして、納屋の戸が開く。
「あら、やっーと目を覚ましましたの? お姉様ったら、相変わらずグズな上に怠け癖が抜けないのねぇ」
エレナの耳に届くのは嘲笑する聞き覚えのある甘ったるい声。
「……マリナ」
エレナはなんとか身体を起こし、マリナに視線を送る。
「あなた、自分が何をしているか分かっているの?」
「ええ、もちろん♪」
エメラルドのような綺麗な瞳がふわりと微笑む。
「お姉様が恥をかかないように"教育"して差し上げているのですわ」
その笑顔は実家で嬉々として自分のことを踏み躙っていた彼女のソレで。
「嫁がれて生意気になられたお姉様に身の程ってものを教えてあげてようっていう、姉を思う妹の親切心というやつですわ」
バーレーで癒えたと思っていた過去の記憶に引きずられエレナの身が強張る。
「あら、お姉様ったらそんなに怯えた顔をされて……一体どうしたというのです?」
怯えた紫水晶の瞳を満足気に眺めながら、マリナは一切悪びれる様子を見せず言葉を紡ぐ。
「夜会でのおいたなら私全く怒っておりませんわぁ〜。ちょっと勘違いしてしまったのよね? "自分は愛されているんじゃないか"って」
マリナは腰を屈めるとエレナの首につけたれた首輪の鎖をぐっと力任せに引っ張り、その顔を覗き込む。
「そんなわけないでしょう? エレナ。あなたを愛してくれる人なんて、この世のどこにもいないのよ」
毒気を孕んだその言葉は、過去何度も何度も義母やマリナから聞かされたセリフだ。
透き通るようなエメラルドの瞳はあの頃と変わらず無邪気な子どものように残酷で。
自分が正義だと言わんばかりに、自信に満ち溢れていて。
萎縮してしまいそうになる。
だけど。
「訂正、して頂戴」
『俺が生涯妻とし、愛するのは"エレナ・アルヴィン"ただ一人だ』
ルヴァルは自分の誇りを賭けてそう誓ってくれた。
ルヴァルがくれた想いだけが、エレナにとっての真実だ。
「マリナ。あなたの世界では"エレナは誰からも愛されない"のかもしれないけれど、私はそんな世界には存在しない」
真っ向からマリナの言葉を否定したエレナに、怒りで顔を染めたマリナは持っていた鎖を乱暴に引っ張り手を離す。
後ろで手を結ばれていたエレナは無抵抗のまま床に打ち付けられ小さく呻き声をあげた。
「せっかく丁寧に何年もかけて教えてあげたのに、すっかり忘れてしまうだなんて本当にお姉様は物覚えが悪いんだから」
マリナから向けられた冷たく、凍るような瞳には侮蔑の色が浮かぶ。
エレナは無言のままただその視線を受け止める。
それが余計マリナを苛立たせた。
「ねぇ、お姉様? 束の間の"幸せ"は楽しかった? だとしたら壊しがいがあるわぁ」
マリナは顔を醜く歪める。
「ドブネズミがいくら着飾ったって、所詮、ネズミはネズミでしかないのよ。いい? あなたは、泥棒猫の子。望まれたのは私。だからエレナは私よりも不幸でいないといけないの。だってそうじゃないと、私がかわいそうじゃない?」
「……マリナ。あなたを"かわいそう"にしているのは、あなた自身でしょう?」
淡々とした口調でエレナがそう言い返す。その声は怯えてなどいなかった。
「私の"家族"はルヴァル様とバーレーのみんなよ。あんな父親欲しければくれてあげるわ。エリオット様の婚約者の座もサザンドラ子爵家も」
どうぞご自由になさって? と微笑むエレナの頬をマリナは平手で容赦なく叩く。
「どうして怒るの? 欲しかったのでしょう?」
怯えるな、とエレナは自分に言い聞かせる。
感情が乱れている時ほど、本音が拾いやすいとルヴァルが言っていたことをエレナは思い出しながら言葉を紡ぐ。
「ああ、本当に欲しいモノが手に入らないからいつもみたいに癇癪を起こしているのね。だってあなたには"サザンドラ家"の血が一滴だって流れていない」
バシッ、ビシッという連続的な音が響き、エレナの口内に血の味が広がる。
「調子に乗ってるんじゃないわよ! アンタなんかいつでも殺せるのよ!!」
悔しそうに肩を震わせるマリナを見ながらエレナは血を床に吐き出す。
エレナには圧倒的に実践経験が足りない。だからこそ、生き残りたいなら冷静に見極めなくては、と自分に言い聞かせる。
「やってごらんなさいな? でも、そんな事をしたら、あなたの大事な人はどう思うかしら?」
挑発するエレナの言葉にマリナのエメラルドの瞳が揺らぐ。
「あのノルディアの王子様が必要としているのは"カナリア"の力。あなたじゃないわ」
命令されているから、殺せないのでしょう? そう言ったエレナの腹部に鈍い痛みが走る。
「傷つけるな、とは言われていないわ」
思いっきりエレナを蹴ったマリナは、
「私、殺さない程度に甚振るのには少々自信があるの」
身に覚えがあるでしょう? そう言って口角を上げた。
「彼の前に出すには調教が必要みたいね。しっかり躾けてあげるわ」
そう捨て台詞を吐くとくるりと背を向け、ヒールを鳴らしてマリナは去って行った。完全に音が消えてからエレナは静かに息を吐く。
「……憎さが勝れば解けるかと思ったのだけど。魅了、思ったより厄介だわ」
マリナから聞こえた彼女以外の魔法の音。それはリオレートの中に鳴り響くものと同種だった。
違うのは、マリナには呪術の類が仕込まれていないという点。
「あんな男の、どこがいいのよ。ヒトを見る目がないわね」
そういえば自分も散々ルヴァルに男を見る目がないと言われたな、とエレナは初めてマリナとの共通点を見つけ苦笑する。
回帰前での人生でもそうだった。マリナは、ノルディアの王太子に恋をしていたのだ。
今世ではそんな乙女の恋心をまんまと利用され、踏み躙られているらしい。
そうでなければあれほど言い返した仕返しがこの程度の怪我で済むはずがない、と自覚して蹴られた腹部がズキっと痛んだ。
「……痛っ。煽りすぎたわ」
だが、コレで確信した。
まだ利用価値のある自分は簡単には殺されない。ならば、多少の無理は利くだろう。
「あなただけは、絶対に許さない」
エレナは夜会で会ったノルディアの王太子の顔を思い浮かべ、奥歯を噛み締める。
自分は綺麗な所から見物し、人を駒のように使って奪い取る、そんな影のような存在を。
痛い、という事はコレは、過去の夢ではなく、現在進行形なのだろう。
「……あれから、どれくらい時間が経ったのかしら?」
随分と長い夢を見ていた気がするとぼんやりした頭でエレナは冷たい床に横たわったまま、紫水晶の瞳で鉄格子のはめられた窓を見上げる。青白いぼんやりとした光を放つ満ちた月が夜空にその存在を主張していた。
狩猟大会前夜に見上げた月の形から考えて、ここに連れて来られた日からおおよそ3日といった所か。
浮いたり沈んだりする意識のせいで時間の感覚がおかしくなりそうだ。
「今日飛んでいた意識はきっと半日くらいね。その日のうちに目覚めてよかった」
独り言をつぶやいた瞬間、口元に痛みが走り、口内に血の味が広がった。そういえば扇子で殴られたんだったとエレナはぼんやり今日の出来事を思い出す。
「……ルル」
エレナはルヴァルの顔を思い出し、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
ルヴァルが教えてくれたのは、生き残るための戦い方。ならば、少しでも生存率をあげるために時間を稼がなくては。
「私は、負けない。だから、どうかあなたも無事で」
そうつぶやいたエレナは静かに五感を研ぎ澄ませ情報を整理し始めた。
**
エリオットの光魔法を追いかけて森の脇道に入ってすぐ、エレナは見知らぬローブを被った男たちに囲まれた。
薬を嗅がされ意識を失い、目が覚めた時にはここにいた。
まるで、南部の実家にあった納屋みたい。
またあの頃に戻ったのではないかと、錯覚しそうになるほど精巧な造りに思わず寒気がした。
ぎぃーっと音がして、納屋の戸が開く。
「あら、やっーと目を覚ましましたの? お姉様ったら、相変わらずグズな上に怠け癖が抜けないのねぇ」
エレナの耳に届くのは嘲笑する聞き覚えのある甘ったるい声。
「……マリナ」
エレナはなんとか身体を起こし、マリナに視線を送る。
「あなた、自分が何をしているか分かっているの?」
「ええ、もちろん♪」
エメラルドのような綺麗な瞳がふわりと微笑む。
「お姉様が恥をかかないように"教育"して差し上げているのですわ」
その笑顔は実家で嬉々として自分のことを踏み躙っていた彼女のソレで。
「嫁がれて生意気になられたお姉様に身の程ってものを教えてあげてようっていう、姉を思う妹の親切心というやつですわ」
バーレーで癒えたと思っていた過去の記憶に引きずられエレナの身が強張る。
「あら、お姉様ったらそんなに怯えた顔をされて……一体どうしたというのです?」
怯えた紫水晶の瞳を満足気に眺めながら、マリナは一切悪びれる様子を見せず言葉を紡ぐ。
「夜会でのおいたなら私全く怒っておりませんわぁ〜。ちょっと勘違いしてしまったのよね? "自分は愛されているんじゃないか"って」
マリナは腰を屈めるとエレナの首につけたれた首輪の鎖をぐっと力任せに引っ張り、その顔を覗き込む。
「そんなわけないでしょう? エレナ。あなたを愛してくれる人なんて、この世のどこにもいないのよ」
毒気を孕んだその言葉は、過去何度も何度も義母やマリナから聞かされたセリフだ。
透き通るようなエメラルドの瞳はあの頃と変わらず無邪気な子どものように残酷で。
自分が正義だと言わんばかりに、自信に満ち溢れていて。
萎縮してしまいそうになる。
だけど。
「訂正、して頂戴」
『俺が生涯妻とし、愛するのは"エレナ・アルヴィン"ただ一人だ』
ルヴァルは自分の誇りを賭けてそう誓ってくれた。
ルヴァルがくれた想いだけが、エレナにとっての真実だ。
「マリナ。あなたの世界では"エレナは誰からも愛されない"のかもしれないけれど、私はそんな世界には存在しない」
真っ向からマリナの言葉を否定したエレナに、怒りで顔を染めたマリナは持っていた鎖を乱暴に引っ張り手を離す。
後ろで手を結ばれていたエレナは無抵抗のまま床に打ち付けられ小さく呻き声をあげた。
「せっかく丁寧に何年もかけて教えてあげたのに、すっかり忘れてしまうだなんて本当にお姉様は物覚えが悪いんだから」
マリナから向けられた冷たく、凍るような瞳には侮蔑の色が浮かぶ。
エレナは無言のままただその視線を受け止める。
それが余計マリナを苛立たせた。
「ねぇ、お姉様? 束の間の"幸せ"は楽しかった? だとしたら壊しがいがあるわぁ」
マリナは顔を醜く歪める。
「ドブネズミがいくら着飾ったって、所詮、ネズミはネズミでしかないのよ。いい? あなたは、泥棒猫の子。望まれたのは私。だからエレナは私よりも不幸でいないといけないの。だってそうじゃないと、私がかわいそうじゃない?」
「……マリナ。あなたを"かわいそう"にしているのは、あなた自身でしょう?」
淡々とした口調でエレナがそう言い返す。その声は怯えてなどいなかった。
「私の"家族"はルヴァル様とバーレーのみんなよ。あんな父親欲しければくれてあげるわ。エリオット様の婚約者の座もサザンドラ子爵家も」
どうぞご自由になさって? と微笑むエレナの頬をマリナは平手で容赦なく叩く。
「どうして怒るの? 欲しかったのでしょう?」
怯えるな、とエレナは自分に言い聞かせる。
感情が乱れている時ほど、本音が拾いやすいとルヴァルが言っていたことをエレナは思い出しながら言葉を紡ぐ。
「ああ、本当に欲しいモノが手に入らないからいつもみたいに癇癪を起こしているのね。だってあなたには"サザンドラ家"の血が一滴だって流れていない」
バシッ、ビシッという連続的な音が響き、エレナの口内に血の味が広がる。
「調子に乗ってるんじゃないわよ! アンタなんかいつでも殺せるのよ!!」
悔しそうに肩を震わせるマリナを見ながらエレナは血を床に吐き出す。
エレナには圧倒的に実践経験が足りない。だからこそ、生き残りたいなら冷静に見極めなくては、と自分に言い聞かせる。
「やってごらんなさいな? でも、そんな事をしたら、あなたの大事な人はどう思うかしら?」
挑発するエレナの言葉にマリナのエメラルドの瞳が揺らぐ。
「あのノルディアの王子様が必要としているのは"カナリア"の力。あなたじゃないわ」
命令されているから、殺せないのでしょう? そう言ったエレナの腹部に鈍い痛みが走る。
「傷つけるな、とは言われていないわ」
思いっきりエレナを蹴ったマリナは、
「私、殺さない程度に甚振るのには少々自信があるの」
身に覚えがあるでしょう? そう言って口角を上げた。
「彼の前に出すには調教が必要みたいね。しっかり躾けてあげるわ」
そう捨て台詞を吐くとくるりと背を向け、ヒールを鳴らしてマリナは去って行った。完全に音が消えてからエレナは静かに息を吐く。
「……憎さが勝れば解けるかと思ったのだけど。魅了、思ったより厄介だわ」
マリナから聞こえた彼女以外の魔法の音。それはリオレートの中に鳴り響くものと同種だった。
違うのは、マリナには呪術の類が仕込まれていないという点。
「あんな男の、どこがいいのよ。ヒトを見る目がないわね」
そういえば自分も散々ルヴァルに男を見る目がないと言われたな、とエレナは初めてマリナとの共通点を見つけ苦笑する。
回帰前での人生でもそうだった。マリナは、ノルディアの王太子に恋をしていたのだ。
今世ではそんな乙女の恋心をまんまと利用され、踏み躙られているらしい。
そうでなければあれほど言い返した仕返しがこの程度の怪我で済むはずがない、と自覚して蹴られた腹部がズキっと痛んだ。
「……痛っ。煽りすぎたわ」
だが、コレで確信した。
まだ利用価値のある自分は簡単には殺されない。ならば、多少の無理は利くだろう。
「あなただけは、絶対に許さない」
エレナは夜会で会ったノルディアの王太子の顔を思い浮かべ、奥歯を噛み締める。
自分は綺麗な所から見物し、人を駒のように使って奪い取る、そんな影のような存在を。