死に戻り令嬢と顔のない執事
忘れたくない存在
それから、リーシャの目まぐるしい日々が始まった。
彼女が無実の罪で断罪される日まで、時間はない。ジェドが繋いでくれたコネクションを武器に、リーシャは反撃の舞台を着実にととのえていく。
そんな彼女の傍には、常に執事がついていてくれた。
彼女の手足となり、身を粉にして尽くしてくれる執事。最初こそ記憶にない彼に警戒心を抱いていたものの、今ではもう、彼は彼女の半身ともいえる存在にまでなっている。
……それなのに、リーシャは未だに彼の顔も名前も覚えられずにいた。朝を迎えるたびに彼の名前を尋ねる毎日。そのことに、リーシャは得体のしれない焦燥感に駆られる。
――何度聞いても記憶に残らない彼の名前、そして姿。
その名を耳にするたびに今度は絶対に忘れまいと強く思うのに、少し彼と離れただけでその記憶はすぐに薄れていく。まるで指の間からこぼれ落ちていく水のように。そしてそれはいくら振り返ろうと、思い出すことのできない記号となってしまうのだ。
そんな現象に対抗して、彼の名前を書きつけておこうとしたこともあった。しかし、そうすると今度はペンを手にした途端に、自分が何をしようとしていたのかすっぽりと抜けてしまう。
それはもはや、ツルギを記憶することは許さないという何らかの大きな意思が働いているかのようだった。
そんな不可思議な現象に、リーシャはただただ不安を覚える。
ツルギの正体が掴めなくて不安なのではない。いつか自分が彼のことを忘れ、彼の居ない生活を当然のものとして過ごすようになってしまうのではないかと不安なのだ。
現に、リーシャは死に戻る前の人生でツルギのことを覚えていない。
死に戻ってからの僅かな時間であっても、ツルギの存在はリーシャにとって非常に大きなものとなっていた。
常に彼女の傍に控え、彼女の感情に寄り添い、そして的確な助言を口にしてくれるツルギ。彼がリーシャの人生から消えてしまったら、リーシャは間違いなくひとりぼっちになってしまう。欠けた半身の正体を知らぬまま、それでも虚しさだけを抱えて生きていく――そんなの、想像するだけで身震いがする。
「報告ありがとう、ツルギ」
今日もまた彼と言葉を交わしながら、リーシャはツルギのパーツひとつひとつを丁寧に視線でなぞる。それでも、その全体を形作る彼の顔は相変わらず掴めないけれど。
「ツルギ、何度でも貴方の名前を教えてね」
――そうやって名前を呼び続けることだけが、彼女にとって唯一彼を忘れないためにできる対抗策だから。
顔がなくても、名前を忘れても、彼は私の大切な執事だ。
向かい合う灰緑のゆらめく瞳がまっすぐにリーシャを映し出した。じっと視線をそらさず、ツルギは真摯に答える。
「もちろんです、お嬢様」