その執着は、花をも酔わす 〜別れた御曹司に迫られて〜
二十一時。
『ペールエールとかピルスナーあたりが飲みやすいかな』
半地下になった仄暗い立ち飲みのパブで、クラフトビールのメニューを見せながら彼が言う。
仕事が終わってからどこかで待っていてくれたのか、スーツのままだ。
『ていうか、〝男を舐めるな〟じゃなかったんですか? 飲みに連れ出したりして』
のこのこついてくる方もついてくる方だけど。
彼は『ははっ』と笑って身分証として名刺を差し出した。
『碇ビールの碇さん……?』
歳は二十五歳だと教えてくれた。
『覚えやすいだろ? だから入社できたのかな』
あくまでも一般社員だという彼の言葉をすんなり信じてしまうくらいには子どもだった。

『おいしいっ!』
初めて飲んだクラフトビールは、それまで飲んでいた缶ビールとも店のロベリアビールとも口に広がる風味が全く違った。
『酒が好きそうだし、慣れてきたらスタウトやラオホなんかも飲んでみるといい』
満足げな顔。
たしかにおいしくて、新しい扉を開いてもらった気はするけど……。
『クラフトビールじゃ、碇さんの会社の売り込みにはならないんじゃない?』
『いいんだよ、べつに。ビールもいろいろあるって伝われば』
『ふーん……』
その夜はビールを二杯だけ飲んだところで解散になって、碇さんがタクシーを手配してくれた。

『すみません、あそこのコンビニに寄ってもらえます?』
家に帰った私の目の前には、ロベリアビールと碇ビールの缶が並んでいた。
それぞれを開けて、わざわざグラスに注いで飲み比べる。
『ふーん』

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