その執着は、花をも酔わす 〜別れた御曹司に迫られて〜
七年振りに訪れたのは、彼と初めて行ったパブだった。
以前と変わらず半地下で仄暗く、私にはよくわからないけどUKロックが流れている。

彼と別れてからは一度も近づくことが無かった。

「グリーンネックIPA」
私は苦味の強いクラフトビールを注文した。
彼が注文したのは黒ビールの一種のスタウト。

私はまた、渋々の表情で乾杯をする。
今日は美味しくても、口元が緩むのを我慢した。

「そんなに警戒しないでくれないか? 今日はべつに、君と昔の話をするつもりじゃない」
彼は苦笑い。
「ならどうして?」
「君と初めてこの店に来た日のことをよく思い出す」
「やっぱり昔の話」
私は眉を寄せる。彼はまた苦笑い。
「あの時の君は、ビールに興味が無かっただろ?」
確かに〝どれでも同じ〟だと思っていた。
「それをあの日、覆すことができたのが嬉しくて、今でも俺の仕事の指標になっている」
「え? 社長なのに?」
彼は頷く。
「トップに立ったからこそ、立場に胡座をかいて大事なことを見失いたく無いんだ」
「大事なこと?」
「昔の君みたいな、酒はなんでも同じだと思っているような人間を感動させたい。それが俺の仕事の指標。俺の人生で、あの日のビールが一番うまかった。それを伝えたかったんだ。昔の話なんかじゃなくて、今の話だ」

そんなの……私だってそう。
今でもクラフトビールを飲むたびにあの日のことを思い出してしまう。
だけど私たちの最後の記憶があの日なわけじゃないから、私はあなたみたいに笑えない。

「あの日みたいな笑顔を期待したが、やっぱり難しいんだな」
彼の見せるどこか切なげな表情が、また私の胸を締めつける。
「君がこの業界にいてくれて良かった」
「……」
「企画、通るといいな」
「……はい」
自分の感情が、よくわからない。



「え……」
朝一番に全社一斉メールを見て、思わず声が出る。

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