王子様はマーメイドを恋の海に溺れさせて
 ストレッチャーに移された母は苦悶の表情を浮かべ、額に汗を滲ませる。緊張感で冷え切った私の手を乗せてみると心なしか、呼吸が和らぐ。

「お母さん、私、ここにいるよ」

 狭い機内はプロペラ音が充満している為、声が届いているのか分からない。そもそも意識のない母に聞こえているか、確かめようもない。

 それでも伝えてみよう、寄り添って手を握る。

「お母さん、西園寺さんって覚えてる? お母さんの初恋の人よ。私ね、その人の息子さんに会ったの、晴臣さんって名前でね」

 語りかける傍ら、修司が処置にあたった。

「晴臣さんにお母さんの事を話したら、お見舞いに来てくれるって。西園寺グループの元社長がだよ? お母さん、そんな凄い人が初恋の人なんだね。驚いちゃった」

 これは私の勘であるが、母と西園寺さんはプラトニックな関係だったと思う。

 初恋が叶わなかったからこそ、母から娘へ聞かせる事が出来たのだ。やましさも後ろめたさもない初恋の記憶はキラキラ輝き、宝石みたいでーー。

「“人魚の涙”って名前なの、西園寺さんが身に着けているアクセサリー。お母さんも持ってたよね? あれ、どこにあるの? 家中探しても全然出てこないんだけど」

 不思議な力が働いたように私は晴臣さんに惹かれていくが、私の胸の内は母と違って美しくない。
 出来るならば今、隣に晴臣さんが居て欲しい、不安で押し潰される私を助けて欲しいと身勝手な願いを抱いてしまう。

「ねぇ、お母さん」

 母は応えず、握り返さない。

 あの青い瞳で大丈夫だよと言って貰い、優しく髪を梳いて欲しかった。
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