【リレーヒューマンドラマ】佐伯達男のおへんろさん
【子安大師から東へ…】
(ここより、じゅんぞうさんの話に変わります。)
横峰寺《よこみねじ》で参拝を終えた私は、六十一番札所・香園寺《こうおんじ》(通称・子安大師《こやすだいし》へ向かって歩いた。
六十一番札所・香園寺《こうおんじ》で参拝を終えたあとは、西条市内にある六十二から六十四番札所のお寺さんを経て、六十五番札所のお寺さんがある四国中央市へ向かう予定である。
伊予の札所の参拝が終えたあとは、六十六番札所・雲辺寺《うんぺんじ》からは讃岐の札所に入る。
間近に写る石鎚山《いしづちさん》を背に、私は東へ向かって歩いた。
夕方4時半過ぎであった。
ところ変わって、西条市紺屋町《さいじょうこんやまち》にある商店街のあるまちなか広場にて…
私は、ベンチに座って足を休めていた。
この時、近くのベンチに地元の公立高校の制服を着ている女子高生が座っていた。
女子高生は、スマホをいじりながら、売店で買ったコカ・コーラをのんでいた。
そんな時であった。
同じ公立高校の制服を着ている男子高校生がやって来た。
「ごめんごめん、おそくなった。」
「遅いわよ…また図書館で調べものをしていたの?」
「ごめん…テストのことで頭がいっぱいだったのだよ〜」
「分かってるわよ…ねえ、(フジ)グランに行かない?」
高校生のカップルは、このあとおててをつないでデートに行った。
高校生カップルを見た私は、つらそうな表情でつぶやいた。
あと20年…
いえ、あと30年遅く生まれていたら…
今ごろ…
違う人生を送っていたと思う。
時は、夕方5時過ぎであった。
まちなか広場で足を休めた私は、駅前の本通りを歩いて産業道路に抜けた。
六十五番札所までの道のりは遠い…
今日中にはたどり着かないと思う…
今夜は、新居浜市内のホテルで1泊することにした。
時は、夜7時半過ぎだった。
私は、新居浜市内に到着した。
新居浜市内に到着した私は、県道の大きな通りから敷島通りから登道《のぼりみち》の商店街《アーケード》を歩いた。
どれくらいの道を歩いたのか…
今何時頃だろうか…
ところ変わって、市内にあるカラオケ喫茶にて…
私は、ビールの大ジョッキと食べ物を2品注文した。
ステージにいるお客様が小金沢昇司さんの歌で『神楽坂』を歌っていた。
私は、小さな紙に北島三郎さんの歌で『帰ろうかな』と書いて店のマスターに出した。
私は、大ジョッキの生ビールを一口のんだ。
そんな時であった。
私は西条市紺屋町《さいじょうこんやまち》の商店街のまちなか広場にいた高校生カップルを思い出した。
高校生カップルたちは、幸せでいいな…
私はどうして…
つまらない学園生活を過ごしたのか…
私が子供の時は、勉強漬けの毎日を送った。
おふくろからはいつも、あつかましい声で私に言うた。
『勉強しなさい!!』
『トップになるのよ!!』
『学生の本分は勉強です!!』
ほかにも、こんなことを言われた。
『お父さんは、忘れ物ばかりしていたから会社のプロジェクトチームに入れなかったのよ!!』
『お父さんはナマケモノだから平社員のままよ!!』
ことあるごとに、母親は父親の悪口を私に対してボロクソに言いまくった。
ほかにも、こんなことを言われた。
『となりのヤマダさんの家の○○くんはね、△学園を目指してがんばっているのよ!!』
『□□くんは、○△学園に受かったのよ!!あんたも、○△学園を受けなさい!!』
母親は、となり近所の家のお子さんがどーのこーのと言うたあと私にお受験を強くすすめた。
それから私は、勉強漬けの毎日になった。
やっとの思いで、私はK医大の付属小学校に合格した。
小学校から医大までの18年間エスカレーター式…
なんの苦労も知らずに学園生活を送った…
就職もラクチンコネで大学の付属病院に就職した。
ラクチンラクチンの学園生活を送った結果、私は手痛いしっぺ返しを受けた。
こんなはずではなかった…
なんで私は、エスカレーター式の学園に行ったのか…
すべては…
あの日から人生が狂ったのだ…
横峰寺《よこみねじ》で参拝を終えた私は、六十一番札所・香園寺《こうおんじ》(通称・子安大師《こやすだいし》へ向かって歩いた。
六十一番札所・香園寺《こうおんじ》で参拝を終えたあとは、西条市内にある六十二から六十四番札所のお寺さんを経て、六十五番札所のお寺さんがある四国中央市へ向かう予定である。
伊予の札所の参拝が終えたあとは、六十六番札所・雲辺寺《うんぺんじ》からは讃岐の札所に入る。
間近に写る石鎚山《いしづちさん》を背に、私は東へ向かって歩いた。
夕方4時半過ぎであった。
ところ変わって、西条市紺屋町《さいじょうこんやまち》にある商店街のあるまちなか広場にて…
私は、ベンチに座って足を休めていた。
この時、近くのベンチに地元の公立高校の制服を着ている女子高生が座っていた。
女子高生は、スマホをいじりながら、売店で買ったコカ・コーラをのんでいた。
そんな時であった。
同じ公立高校の制服を着ている男子高校生がやって来た。
「ごめんごめん、おそくなった。」
「遅いわよ…また図書館で調べものをしていたの?」
「ごめん…テストのことで頭がいっぱいだったのだよ〜」
「分かってるわよ…ねえ、(フジ)グランに行かない?」
高校生のカップルは、このあとおててをつないでデートに行った。
高校生カップルを見た私は、つらそうな表情でつぶやいた。
あと20年…
いえ、あと30年遅く生まれていたら…
今ごろ…
違う人生を送っていたと思う。
時は、夕方5時過ぎであった。
まちなか広場で足を休めた私は、駅前の本通りを歩いて産業道路に抜けた。
六十五番札所までの道のりは遠い…
今日中にはたどり着かないと思う…
今夜は、新居浜市内のホテルで1泊することにした。
時は、夜7時半過ぎだった。
私は、新居浜市内に到着した。
新居浜市内に到着した私は、県道の大きな通りから敷島通りから登道《のぼりみち》の商店街《アーケード》を歩いた。
どれくらいの道を歩いたのか…
今何時頃だろうか…
ところ変わって、市内にあるカラオケ喫茶にて…
私は、ビールの大ジョッキと食べ物を2品注文した。
ステージにいるお客様が小金沢昇司さんの歌で『神楽坂』を歌っていた。
私は、小さな紙に北島三郎さんの歌で『帰ろうかな』と書いて店のマスターに出した。
私は、大ジョッキの生ビールを一口のんだ。
そんな時であった。
私は西条市紺屋町《さいじょうこんやまち》の商店街のまちなか広場にいた高校生カップルを思い出した。
高校生カップルたちは、幸せでいいな…
私はどうして…
つまらない学園生活を過ごしたのか…
私が子供の時は、勉強漬けの毎日を送った。
おふくろからはいつも、あつかましい声で私に言うた。
『勉強しなさい!!』
『トップになるのよ!!』
『学生の本分は勉強です!!』
ほかにも、こんなことを言われた。
『お父さんは、忘れ物ばかりしていたから会社のプロジェクトチームに入れなかったのよ!!』
『お父さんはナマケモノだから平社員のままよ!!』
ことあるごとに、母親は父親の悪口を私に対してボロクソに言いまくった。
ほかにも、こんなことを言われた。
『となりのヤマダさんの家の○○くんはね、△学園を目指してがんばっているのよ!!』
『□□くんは、○△学園に受かったのよ!!あんたも、○△学園を受けなさい!!』
母親は、となり近所の家のお子さんがどーのこーのと言うたあと私にお受験を強くすすめた。
それから私は、勉強漬けの毎日になった。
やっとの思いで、私はK医大の付属小学校に合格した。
小学校から医大までの18年間エスカレーター式…
なんの苦労も知らずに学園生活を送った…
就職もラクチンコネで大学の付属病院に就職した。
ラクチンラクチンの学園生活を送った結果、私は手痛いしっぺ返しを受けた。
こんなはずではなかった…
なんで私は、エスカレーター式の学園に行ったのか…
すべては…
あの日から人生が狂ったのだ…