【リレーヒューマンドラマ】佐伯達男のおへんろさん
【そして私は、なりたくない弁護士になった…】
父と大ゲンカを起こして家出した私は、淡路島の南淡町(南あわじ市)に住んでいる遠い親戚の家をたずねた。
母方のいとこにあたる人の家である。
私は『今は生活が出来る場所が欲しい…何が何でも自立したい…』と申し出た。
それから1ヶ月後であった。
私は、鳴門市(徳島県)にある製薬会社のレトルト食品工場に就職した。
住まいは、鳴門市撫養町《しないむやちょう》にある家賃3万円のアパートである。
与えられた仕事は、出来上がった製品を段ボール箱につめて行く仕事であった。
私は、朝から晩まで働き通した。
残業も、いやと言わずに引き受けた。
段ボール箱に出来上がったレトルトカレーの商品を決められた数だけ詰めて行く作業だけで、月給は14万円である。
私は、高校に行きたい気持ちは全くなかった。
時は流れて…
私と同い年の高校生が卒業する日を迎えた。
この日は、朝から雨が降っていた。
休憩室のテレビの画面に四国放送のニュースが映っていた。
この時、地元の高校の卒業式のニュースが伝えられていた。
私は、テレビから目をそらした。
それから数時間後であった。
私は、出来上がったレトルトカレーの商品を段ボール箱に詰めて行く作業をしていた。
この時、工場長さんが私の元にやって来た。
工場長さんは、私にこう言うた。
「お前さんはどうして高校に行かなかったのかな?」
工場長さんからの問いに、私はこう答えた。
「行きたくなかっただけです…それよりも、高校はなんのために行くのですか?」
私の言葉に対して、工場長さんは『そうだなぁ…』とひとこと言うたあと私にこう言うた。
「思い出を…作るために行く…かな…」
「思い出を作るため…それは何しょうか…」
「そうだなぁ…例えば…恋とか…友人とか…」
「友人。」
「まあ、何て言うのかな…高校時代の友人が一生の友達と言う場合もあるし…あるいは、高校時代の淡い恋とか…」
「工場長さんが言う言葉は理解できません!!」
工場長さんは、私にこう言うた。
「説明の仕方が悪かったらあやまるよ…私は…お前さんのお父さんが戦後の混乱期に…」
「オヤジの話を出すなよ!!」
「まあまあ、お前さんのお父さまは戦後の混乱期からずっとご苦労なされた人だった…そんなおとうさまは…」
「仕事に戻ります!!」
私は、工場長さんに言うたあと仕事にもどった。
それから2週間後であった。
工場長さんは、私に徳島県内《けんない》にある定時制高校に入学を勧めた。
私は、入学案内書を手にとった。
工場長さんは、私に言うた。
「定時制だったら、無理なく行けるだろう…ここで働きながら学びなさい。」
工場長さんに言われた私は、徳島県内《けんない》にある定時制高校に入学した。
それから私は、工場で働きながら定時制高校に通う暮らしをした。
それから4年後に、定時制高校を卒業した。
大学は、関西の経済大学の通信制に進学した。
大学卒業後、私は工場長さんの勧めで東京にある製薬会社の本社への再就職することが決まった。
しかし、義父が待ったをかけた。
義父は、私に対して『恩返しができていない!!』と言うたあと義父が経営する弁護士事務所に再就職としろと強要した。
その後、弁護士の資格を取得して弁護士になった。
そして、イヤイヤ国選の弁護人を引き受けた。
この時、私の両親は病気で亡くなった。
弁護士になってから何年か後に子持ちの妻と結婚した。
それから、地獄の日々がつづいた…
私は…
大失敗したみたいだ…
母方のいとこにあたる人の家である。
私は『今は生活が出来る場所が欲しい…何が何でも自立したい…』と申し出た。
それから1ヶ月後であった。
私は、鳴門市(徳島県)にある製薬会社のレトルト食品工場に就職した。
住まいは、鳴門市撫養町《しないむやちょう》にある家賃3万円のアパートである。
与えられた仕事は、出来上がった製品を段ボール箱につめて行く仕事であった。
私は、朝から晩まで働き通した。
残業も、いやと言わずに引き受けた。
段ボール箱に出来上がったレトルトカレーの商品を決められた数だけ詰めて行く作業だけで、月給は14万円である。
私は、高校に行きたい気持ちは全くなかった。
時は流れて…
私と同い年の高校生が卒業する日を迎えた。
この日は、朝から雨が降っていた。
休憩室のテレビの画面に四国放送のニュースが映っていた。
この時、地元の高校の卒業式のニュースが伝えられていた。
私は、テレビから目をそらした。
それから数時間後であった。
私は、出来上がったレトルトカレーの商品を段ボール箱に詰めて行く作業をしていた。
この時、工場長さんが私の元にやって来た。
工場長さんは、私にこう言うた。
「お前さんはどうして高校に行かなかったのかな?」
工場長さんからの問いに、私はこう答えた。
「行きたくなかっただけです…それよりも、高校はなんのために行くのですか?」
私の言葉に対して、工場長さんは『そうだなぁ…』とひとこと言うたあと私にこう言うた。
「思い出を…作るために行く…かな…」
「思い出を作るため…それは何しょうか…」
「そうだなぁ…例えば…恋とか…友人とか…」
「友人。」
「まあ、何て言うのかな…高校時代の友人が一生の友達と言う場合もあるし…あるいは、高校時代の淡い恋とか…」
「工場長さんが言う言葉は理解できません!!」
工場長さんは、私にこう言うた。
「説明の仕方が悪かったらあやまるよ…私は…お前さんのお父さんが戦後の混乱期に…」
「オヤジの話を出すなよ!!」
「まあまあ、お前さんのお父さまは戦後の混乱期からずっとご苦労なされた人だった…そんなおとうさまは…」
「仕事に戻ります!!」
私は、工場長さんに言うたあと仕事にもどった。
それから2週間後であった。
工場長さんは、私に徳島県内《けんない》にある定時制高校に入学を勧めた。
私は、入学案内書を手にとった。
工場長さんは、私に言うた。
「定時制だったら、無理なく行けるだろう…ここで働きながら学びなさい。」
工場長さんに言われた私は、徳島県内《けんない》にある定時制高校に入学した。
それから私は、工場で働きながら定時制高校に通う暮らしをした。
それから4年後に、定時制高校を卒業した。
大学は、関西の経済大学の通信制に進学した。
大学卒業後、私は工場長さんの勧めで東京にある製薬会社の本社への再就職することが決まった。
しかし、義父が待ったをかけた。
義父は、私に対して『恩返しができていない!!』と言うたあと義父が経営する弁護士事務所に再就職としろと強要した。
その後、弁護士の資格を取得して弁護士になった。
そして、イヤイヤ国選の弁護人を引き受けた。
この時、私の両親は病気で亡くなった。
弁護士になってから何年か後に子持ちの妻と結婚した。
それから、地獄の日々がつづいた…
私は…
大失敗したみたいだ…