【リレーヒューマンドラマ】佐伯達男のおへんろさん

【野球選手の子は野球しかないって誰が決めたのだよ!!】

私の前職は、プロ野球パーフェクリーグで審判《アンパイア》をしていた。

私は、プロ野球選手として野球の仕事にかかわりたかった…

けれど、どういうわけか知らないがアンパイアの仕事についた。

私が、父親のいいなりで野球の仕事についた。

私の父親は、旧制中学野球のチームから職業野球(プロ野球の前身)の選手になった。

花形選手で高給取りであった父は、ことあるごとに私に対して口うるさく言うた。

「お前は野球しかないのだ!!野球人の家だから、お前も野球にかかわる仕事をしろ!!野球さえできればいいのだ!!」

両親は、息子を野球選手に育てるために大金を過剰にかけた。

私は、両親のいいなりで地元のリトルリーグのチームに加入した。

しかし、レギュラーを取ることができなかった。

両親は『中学野球でレギュラーを取ればいい!!それがだめなら高校野球から大学野球やノンプロでレギュラーになればいいじゃないか…悔しかったら、練習でアピールすればいい!!』と口うるさく言うた。

その後、私は地元の中学の野球部から埼玉県の私立高校《コーコー》の野球部に入った。

練習でアピールすればいいとばかり思ったが、練習をさせてもらえなかった。

なぜならば、グラウンドキーパーと部員たちの世話係しかさせてもらえなかった。

毎日毎日、グラウンド整備と部員たちのアンダーシャツの洗濯や部室の掃除ばかりの暮らしを送った。

それは、私立高校《コーコー》の野球部でも同じだった。

グラウンド整備や部室の掃除…

遠征先では、バスにつんでいる道具の積み降ろし…

洗濯係…

…で3年間を過ごした。

両親は私に対してアレコレと聞きまくった。

『レギュラーは取れたか?』
『野球はうまくなれたか?』
『ドラフトの指名はもらえそうか?』

…などと言われた私は、ものすごくうんざりした。

結局私は、3年間雑用ばかりをつづけた。

そして、プロ野球のドラフト会議の日がやって来た。

私の同期の選手3人がセンチュリーリーグの東京ヤンキースと大阪タイガースと中京ドジャースへの指名を獲得した。

3人とも一位指名である。

テレビのドラフト会議を見ていた両親は、私にこう言うた。

「心配するな…大学野球かノンプロがあるぞ。」

両親は、私に対して大学野球かノンプロで活躍して欲しいと求めた。

大学へ進学したいと思ったが、担任の先生から『お前さんの今の状態では大学は無理だ!!やめておけ!!』と言われた。

それなら、ノンプロを選ぼう…

だけど、どの会社のチームにすればいいのだ…

この時、両親は知り合いの人のつてで横浜市にあるギャラクシー石油の社会人野球のチームの監督さんに会いに行った。

息子を野球選手にさせて欲しい…

雑用ばかりが続いたから、チャンスを与えてください…

…とお願いした。

私は、ギャラクシー石油の面接を受けることにした。

私が面接に行く前に、両親から『絶対に採用をもらいなさい!!ギャラクシー石油だったらレギュラーは取れる保証はあると監督さんが言って下さったのよ!!ギャラクシー石油の野球部でがんばりなさい!!』と口うるさく言うた。

そして、面接を受けに行った。

しかし、私が面接に来た早々に面接官から『誰が来てもいいと言うた!?』と凄まれた。

ふざけるな!!

もう野球なんかやめたらぁ!!

思い切り怒った私は、野球にかかわる仕事をしないと決意した。

そして私は、進路未定のまま私立高校《コーコー》を卒業した。

その後、私は両親と大ゲンカした。

その末に、父親に『出ていけ!!』と言われた。

言われた私は、家出した。

家出したあと、私は野球とは関係のない仕事を選んだ。

飲食店をかけもちして、カネをかせいだ。

両親は私が野球にかかわる仕事につくことにこだわりつづけたが、ふざけるな!!

億単位の年棒と高額の契約金がもらえることしか頭にないからなお悪い!!

あれは、私が3つか4つの時だった。

父が金銭がらみのトラブルを繰り返すようになった。

私がプロ野球選手になったら高額のお金が入るとわけのわからないことを言うた。

酒をのめば底なし…

かけマージャンにのめり込んだ…

カネに困ったら、友人知人の家に行く…

蓄音機《レコードプレーヤー》などの高価な品物を貸してくれと言うたあと、質屋に入れておカネを借りる…

『お給料が入るからいいか…お給料で返せばいいや…』とのんきにかまえていたので、友人知人との約束をヘーキで破る。

ほかにも、父は悪いことをしていた。

住宅ローンの支払い方法をごまかすなど…規約《ルール》を無視していたことであった。

父は、職業野球で成功した大金で家を建てた。

しかし、予算が大幅に不足していたことに気がついた。

パニックになった父は、人の家から百万円(今のお金で1500万円)を借り入れた。

父は、借り入れた百万円の返済をしなかった。

『経済的に苦しい…』と言うて逃げ回った。

許せない!!

私は、ものすごく怒り狂った。

その結果、親子間の関係が悪化した。

私が二十歳になった時であった。

両親の知人が私の元にやって来た。

両親の知人は、私に対して両親がシッソウしたことを伝えた。

何てこった…

お先真っ暗だ…

それから3日後であった。

私の両親が、ヤクザのテッポウに撃たれて死んだ…

両親を撃ったヤクザは、父の旧友の知人のヤクザだった。

両親が遺した手紙を受け取った私は、手紙を読んだ。

手紙には、私が野球にかかわる仕事をしてほしかったのに残念だ…と記されていた。

両親の知人は私に対して『両親の願いをかなえてあげると言うことはできないのか!?』とあつかましく言うた。

私は『ふざけるな!!』と言うたあと手紙を破り捨てた。

両親の知人は、泣きそうな声で『お前さんはどうしてひどいことをするのだよ…』と言うた。

あんたがどう言おうとオレはオレだ…

私は、野球に関わる仕事はしないとかたくちかった。

それから6か月後であった。

私は、高校時代の先輩からプロ野球の審判の資格を取ることを勧められた。

プロ野球の審判の資格を取ったあと、パーフェクリーグの審判で登録された。

そこから地獄の日々が始まった。
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