私の好きな人には、好きな人がいます
1話 世界が交わる時
「はぁ……」
思わず零れてしまったため息に、彼女、柏崎 愛華は慌てて口元に手を当てる。
愛華が立っているのは、自身の通う高校の最寄り駅のホームだ。会社員や学生が多い、所謂帰宅ラッシュの時間帯。一人の少女の小さなため息など、きっと誰も気にも留めないだろう。しかし愛華は人前でため息をついたり、欠伸をしたりということに、少し羞恥の念を抱いていた。
はしたなかったかな、と少し反省する。
愛華は真面目できっちりとした性格である。たまに抜けていることももちろんあるにはあるが、基本的には優等生を絵に描いたようなタイプだった。
胸までまっすぐに伸びた黒髪は艶やかな光を帯びており、前髪は目に掛からぬよう、ヘアピンで留めている。
高校二年生に進級して半年の経つ愛華の制服は、昨日入学したかのように綺麗で、ピンと伸びた背筋によく似合う紺色のブレザーだ。スカートはきっちり膝丈で、花の女子高生としては些か長いかもしれない。
そんな真面目で人の目を気にするような愛華が、思わずため息をついてしまったのには、重なってしまった三つの要因があった。
一つは、体育の授業で指先を少し怪我してしまったこと。
バレーボールの授業中、パスやトスの練習をしていると、乾燥からか人差し指が切れてしまい少し血が出てしまった。突き指のように大事にならなくてよかったものの、愛華にとって指を怪我するということは、あってはならないことだった。
愛華は幼い頃からピアノを習っている。
教室に通うのは週に二回程度ではあるが、ピアノの練習は毎日している。指先を怪我するということは、ピアノを弾く愛華にとってはかなりの精神的ダメージだった。
二つ目の要因はそれに伴うことだった。
放課後。音楽室のピアノを使わせてもらっている愛華は、今日もいつもと同じように練習をしていた。普段は一人でピアノを独占している愛華だが、今日に限ってピアノ教室で一緒の男子が愛華の練習を監視しにきており、愛華が指に怪我をしたことに対してぐちぐちと言ってきたのだ。やれ注意不足だの、ドジだのと言われ、大事な発表会前なのだから体育は見学しろとまで言われた。
彼からのお小言はいつものことではあるが、彼がいつも以上に文句を言うのにはもちろん理由がある。次のピアノ教室での発表会の連弾相手が愛華だからだ。
愛華と一緒に二台のピアノで一つの曲を弾くことになっている。しかもその発表の結果によって、大学や海外留学の推薦も考えうると言うものなので、彼も熱が入るというものだ。
指は怪我するし、散々お小言を言われ練習に集中はできないしで、愛華は疲労困憊だった。
そして三つ目の要因。これが愛華にとってはかなり大事なことだった。
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