私の好きな人には、好きな人がいます
愛華と水原の演奏する楽曲は、セルゲイ・ラフマニノフの2台のピアノのための組曲「舟歌(バルカローレ)」だ。水面に反射するきらきらとした日差し、少し波立つ水の動き。
愛華なりに解釈して、練習してきたつもりだ。あとはそう、本当に楽しむだけ。水原が言ったように、椿がいつもそうしているように。
気が付けば愛華と水原はお辞儀をし、大きな温かい拍手に包まれていた。
舞台を後にした愛華は拍手を背に受けながら、ようやくほっと息を吐き出した。
(終わった…終わっちゃった…)
手ごたえとしては、今までで一番いい演奏ができたと思う。愛華らしくリラックスして楽しく弾くことができた。
(これも妄想椿くんのおかげ…!、それと…)
妄想の中の椿にお礼を言いつつ、もう一人応援してくれた人へと向き直る。
「水原くん、」
「愛華!」
呼び掛けると、水原は愛華を強く抱きしめた。愛華は突然のことに何が起きているのか分からず、固まってしまう。
(え?え…?)
愛華をぎゅっと抱きしめた水原は、はっとしたように愛華から離れ、しかし興奮冷めやらぬと言った口調で捲し立てる。
「最高の演奏だった!今までで一番」
水原がここまで絶賛してくれたことは一度だってなかった。愛華はその絶賛ぷりにも驚いてしまい、尚も驚きで口をぱくぱくと開けてしまう。
「お前を連弾相手に選んで、本当によかったよ。ありがとう、コンクールに向けていい刺激になった」
「ど、どういたしまして……?」
「次は個人で挑むコンクールだ。また競い合えるのを楽しみにしてる」
「あ、……うん」
言うだけ言って、水原はさっさと行ってしまった。
遅れてきた照れくささのようなものが、愛華を襲う。
(え!?なに今の!?抱きしめられた!?)
演奏の褒めようにも驚いたが、スキンシップにも驚いた。
(水原くんってあんな人だったっけ!?)
水原もいい演奏ができ、それなりに興奮していたのかもしれない。
(それにしたって抱きしめてくるなんて、意外にも程がある…!)
いつも冷静で不愛想な水原ではあるが、彼だって愛華と同じ高校二年生だ。手放しで喜ぶことくらいあるだろう。もしかしたら男子の友人達の前でははっちゃけているかもしれない。
(そんなわけないか…)
愛華の心臓はまだ少し慌ただしく動いていた。
「びっくりした…」