私の好きな人には、好きな人がいます

 少し冷静に考えられるようになると、椿に渡そうと思っていたチョコがどこにもないことに気が付く。


(チョコ、もしかしてD組の廊下に落としてきた…?)


 取りに行くべきなのだろうが、まだ椿がいるかもしれない。今顔を合わせるのは正直避けたかった。どんな顔をして顔を合わせろというのだろうか。まだ気持ちの整理なんて全くついていないのだ。


 しかし、そんな愛華の気持ちなど無視したように、廊下をぱたぱたと駆ける音がして、それは次第にこちらに近付いてきた。


 足音は渡り廊下の隅にいた愛華を通り越して、A組へと入って行く。


「愛華さん!?」


 自分の名前が大声で呼ばれて、愛華はびくっと肩を揺らす。椿の声だ。恐らく教室を出た椿が、廊下に落ちていたチョコを見付けたのだろう。しかもそこにはメッセージが付いていた。DearもFromもご丁寧に書いてしまったのだ。


 愛華は言い逃れできないと覚悟を決め、自分の頬が濡れていないことを確認してA組へと顔を出す。


「椿くん」


 振り返った椿は、ほっとしたように愛華を見た。


「愛華さん、良かった。これ、届けようとしてくれてた?ありがとう!」


 椿はいつもの明るい笑顔を愛華へと向ける。


「あ、うん、そうなんだけど…、どこかで落としちゃったみたいで…」


 もごもごと言い訳をしてみるが、愛華が立ち聞きしていたなんて椿が知ったらどんな風に思うだろうか。


「でも、椿くんの手に渡ったならよかったよ…」


(よかった…なんて、いいことなんて何もないよ…。渡しに行くんじゃなかった…)


 行かなければ、愛華はまだ椿に想いを寄せ、幸せな気持ちでいられたのだ。


 その時が遅かれ早かれ来るのだとしても。


 今ではない。そんな覚悟、できているはずがなかった。


 精一杯の笑顔を椿に向ける愛華。しかしその笑顔は当然引き攣っていて、愛華に元気のないことは椿にはバレバレだった。


「愛華さん…平気?なんかあった?」


 椿は心配そうに愛華の顔を覗き込む。


(椿くんはいつも、平気?って訊いてくれる。いつも私の心配をしてくれる。でもそれは、私に好意があるからでもなんでもない。ただ椿くんは、誰にでも同じように優しいだけなんだ)


 椿の「特別」な優しさは、きっと美音にしか使われないものだ。


 愛華はまた泣き出したい気持ちをぐっと堪えて、笑顔で返した。


「平気!何もないよ。チョコ、良かったら食べてね。それじゃあ」


 愛華は振り返らずに教室を後にする。


 慌てて音楽室まで引き返して来て、我慢できずに溢れ出した涙を、拭うことも出来ずにただただ流し続けたのだった。


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