私の好きな人には、好きな人がいます
2話 穏やかな日常
ふわふわした気持ちのまま帰宅した愛華は、お風呂に浸かりながら先程の出来事に想いを馳せる。
「こんなことがあったばっかだし、よければ家まで送ろうか?」と言う彼に対して、愛華は是非お願いしたい気持ちをぐっと堪え、
「いえ!大丈夫です!」と返答した。これ以上彼に迷惑は掛けたくない。
しかし奇遇なことに自宅の最寄駅が一緒だった愛華と彼は、同じ電車に乗って帰路に就くことになった。
何本か電車を見送っていたため、少し空いた電車内で愛華と彼はドアの傍で向かい合って立っていた。
愛華は何度したか分からないお礼を、また繰り返す。
「本当にありがとうございました!あなたは命の恩人です!」
「もういいって。ま、無事でよかった!」
「あの!差し支えなければ、お名前と、連絡先を教えてもらえませんでしょうかっ!」
「連絡先?」
名前と連絡先を知りたいのは、愛華の私利私欲のためである。
「あ、今度お礼をさせていただきたく!」
今日助けてくれたお礼をしたいので連絡先を教えてくれ、ということなら、彼もすんなり教えてくれるのではないかと思った。お礼をしたいのはもちろんではあるが、この機にお近づきになりたい気持ちが大きい。
断られるだろうか…とそわそわ返答を待つ愛華に、彼はやはりすんなりとOKしてくれた。
「お礼とかは別にいらないけど…」と言いながら、スマホをこちらに差し出してくれた。
愛華は目を輝かせながらスマホに表示されたQRコードを読み取る。
メッセージアプリに表示されたのは「三浦 椿」という名前だった。
「みうら、つばき、くん…」
ようやく名前を知ることができた憧れの人に、愛華はまた羽の生えるような気持ちだった。
「何年何組ですか?」
「え?二年D組だけど」
「二年生!一緒です!私はA組」
「A組?音楽科なんだ?…えっと、柏崎さん」
メッセージアプリの愛華の名前を確認したらしい椿は、覚えようとするかのように名前を口にした。
「音楽科です!」
(柏崎さん…!名前呼んでもらっちゃった…名字だけど)
愛華達の通う高校は、音楽科と普通科に分かれている。音楽科は文字通り将来音楽関係に進みたい生徒が所属しており、授業内容も普通科目に加え、音楽科目が多くなっている。
一学年H組まであるが、A組の音楽科とD組の普通科では合同授業などもない。教室は離れていないため、トイレに行きがてらD組を覗けば、椿の姿はあるのかもしれない。
(そっかぁ、D組かぁ!)
生憎とD組に友人はいないが、クラスと名前が分かっただけでぐっと彼に近付いた気がする。
尚も家まで送らなくて平気?と気に掛けてくれていた椿と最寄り駅で別れて、お互い正反対の方角へと歩み出す。やはり送ってもらわなくてよかったと、愛華は内心安堵した。もし送ってもらっていたら遠回りをさせてしまうところだった。