デブ眼鏡の片思い~飾り文字に心を乗せて~

一話 片思いは必然

「おい、デブ眼鏡、また返事を書いておけ」

「兄さん、いい加減に自分で書いた方がいいですよ」

「うるさい、お前の長所は字しかないんだから、少しは役に立て!」



 アダムはそう言い捨てると、婚約者から届いた手紙をトマスに投げつけ、部屋を出て行った。

 きっと今夜も、どこかの舞踏会で未亡人との逢い引きを楽しむのだろう。

 はあ、と溜め息をつくと、トマスは落ちた手紙を拾い上げた。

 淡い黄色の封筒には、可憐な文字で宛名が書かれている。

 ひっくり返すと、そこには差出人であるレディントン侯爵令嬢ルシンダのサイン。

 トマスはその名を、愛おし気に指で撫でた。



 ◇◆◇



 アダムとルシンダが婚約をしたのは、今から3年前のことだった。

 アダム22歳、ルシンダ16歳、お互いの祖父同士が知り合いで、縁を結んだ。

 届けられたルシンダの肖像画を見て、兄弟は全く違う感想を呟いた。



「まだ子どもじゃないか」

「なんて美しい人だろう」

 

 ルシンダより6つ年上のアダムにとってルシンダは幼く子どもに見えたが、ルシンダより3つ年上のトマスにとってルシンダは非の打ち所がない美少女に見えた。

 ルシンダが20歳になるのを待って、アダムと結婚するという。

 トマスは兄をうらやましく思った。

 ラドフォード伯爵家の長男として生まれたアダムは、なにもせずともこのまま家を継ぐ。

 次男のトマスは、必死に勉強をして中級文官の職を得た。

 独り立ちするには上級文官まで出世しなくてはならない。

 そんな苦労をしなくてもよい兄には、政略とは言え婚約者まで用意されている。

 長男との格差に、どうしても虚しさを感じてしまうトマスだった。



「手紙もついている。見ろ、内容まで子どもだ」



 そんなトマスの胸中を知らぬアダムは、ルシンダの書いた手紙をはばかることなく見せてきた。

 プライベートなものだから、人の手紙を見るのは良くないと思いながらも、トマスはあの美少女がどんな内容を書いてきたのか、気になって読んでしまった。

 そこには――。



『おじい様から贈っていただいた白馬が可愛くて、乗馬の練習を始めました。いつかアダムさまと一緒に、遠乗りができると嬉しいです』



 可憐な外見に似合った流麗な文字によって、アダムと仲良くしたいというルシンダの思いが綴られていた。

 

(肖像画では、長い銀髪をそのまま下ろしていたが、馬に乗るときは髪を結うのだろうか。あの若葉のような緑の瞳をキラキラさせて、白馬を可愛がっているのだろうか)



 想像するだけで、胸がぽっと温かくなったトマスだった。

 しかし、アダムは吐き捨てるようにルシンダを罵った。



「乗馬だと? 年頃の令嬢のすることか? これだから領地育ちは、田舎臭くて嫌なんだ」



 アダムは、ぱっと手紙から手を放し、テーブルの上にそれを放り出す。

 ルシンダは自然豊かなレディントン侯爵領で暮らしているらしく、主に王都の邸で過ごすアダムやトマスとは生活習慣が違うのだろう。

 王都に住む貴族は乗馬を嗜まない。

 基本的な移動手段は馬車だからだ。

 鍛錬の一環として、子どもに乗馬をさせる親もいるが、主に武官を輩出する家に限られる。

 アダムは手紙を睨みつけながら、長い溜め息をついた。



「やれやれ、返事をしなくてはいけないなんて、億劫だな。おい、お前が書け。おキレイな字で、職を得たんだろう?」

「字については確かに褒められますが、それで職を得たわけでは……」

「口答えするな! 伸び伸びお育ちください、とでも書いてやれ。馬でも牛でも、好きに乗りこなせばいい!」

 

 アダムはそれっきり、肖像画を見ることもなかった。

 そのときから、ルシンダの手紙に返事を書くのはトマスの役目となった。

 最初はルシンダの手紙を読んだアダムが、いい加減な受け答えをトマスに言いつけていたが、それもその内に面倒になったのか、封を開けてもいないルシンダの手紙を直接トマスに渡すようになった。

 

「いいか、当たり障りのない返事を書いておけ。文官なんだから、それくらい出来るだろう?」

「せめて目を通すべきです。ルシンダ嬢に失礼ですよ、兄さん。それに、婚約者がいるのに、どうして夜に昼にと遊び歩いているんですか? 父さんにバレていないとでも思っているんですか?」

「うるさいな、自分がそんなデブ眼鏡だからって、モテる俺に嫉妬するなよ。同じ茶髪で青い瞳なのに、どうしてこんなに外見に差がついたんだろうな? 父上は、あえて俺を見逃しているんだ。独り身の間の火遊びくらい、貴族男性なら当たり前だ。デブ眼鏡のお前には、縁がないだけの話なんだよ」

 

 アハハと高笑いをして、アダムは踵を返した。

 トマスは残された手紙を手に、文机へと向かう。

 引き出しを開けると、銀色に光るペーパーナイフを取り出した。

 ルシンダが心をこめて選んだであろうライラック色の封筒に沿わせ、丁寧に封を開ける。

 中から、封筒と同じライラック色の便せんが滑り出る。

 きちんと角を合わせて折られた便せんに、トマスはルシンダの真っすぐな思いを見た気がした。

 

「こんなに、ルシンダ嬢に思ってもらっているのに――」



 トマスが椅子に腰かけると、ギシィと悲鳴のような音がした。

 アダムに言われなくても、トマスは自分の外見が女性受けしないことを知っている。

 女性はアダムのような長身痩躯を好むのだろう。

 トマスは、背こそアダムとそう変わらないが、横幅は倍以上もあった。

 そして顔の肉に埋まるような黒縁の眼鏡も、トマスの冴えなさを一層際立たせている。

 文官の試験勉強を深夜までしていたせいで、眼鏡が手放せないほどトマスは目が悪い。

 そんな眼鏡をクイと指の背で持ち上げると、ペーパーナイフを取り出した引き出しの、一段下の引き出しからレターセットを取り出す。

 これからルシンダに宛てた、手紙を書かなくてはならない。



「ルシンダ嬢は、今回はどんなことを書いてくれたのだろう」



 思いがけず続いているルシンダとの文通は、トマスにとって大きな喜びだった。

 これまでの手紙には、自然の中で活き活きと暮らすルシンダの、飾らない姿があった。

 

『お父さまの猟犬が五匹の仔犬を生みました。それぞれ毛色が違って、みんなとても可愛いです』

『そろそろ雪が解け、領地に春がやってきます。一面に青い花が咲く丘を、アダムさまにも見てもらいたいです』

『仔犬たちに訓練をさせています。一番末の女の子を、私の猟犬にすることにしました。名前を一生懸命考えています』

『名前はワンダにしました。ワンダは賢くて、すぐにそれが自分の名前だと覚えたんですよ。毎日、丘の上を元気いっぱいに駆け回っています』



 受け取ったどの手紙の内容も、トマスはしっかり思い浮かべることが出来る。

 今日届いたばかりの、ライラック色の便せんを開く。

 ふわりと花のような香りがした。

 その香りに癒されながら、いつもより長い文面に目を落とす。

 

『一度、王都を観光してはどうかと、お父さまから勧められました。私が領地のことしか知らないから、心配しているのだと思います。そのときはエスコートをお願いしてもいいでしょうか? アダムさまにお会いできるのを、楽しみにしています』



 ついにルシンダが王都にやってくる。

 3年前に届いた16歳のときの肖像画から、どれだけ成長し、美しくなっていることだろう。

 ルシンダも、もう19歳だ。

 来年にはアダムとの結婚を控えている。

 16歳の肖像画を子どもだと貶したアダムも、19歳のルシンダを見て同じ感想を抱くとは思えない。

 これまで手紙を通じて交流してきたのがトマスだとしても、ルシンダの正式な婚約者はアダムだ。

 ルシンダはラドフォード伯爵家の後継者に嫁ぐ。

 トマスには、永遠に手の届かない人だ。

 ルシンダと並ぶアダムを見て、トマスはそのことをまざまざと思い知らされるのだろう。

 これから、ずっと――。
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