惨夢

 たっ、と彼が床を蹴った。駆けていく足音が徐々に遠ざかっていく。

 ──ズズ……ッ

 化け物が動いた気配があった。
 見えないけれど、恐らく朝陽くんを追っていったのだろう。

「……っ」

 呼吸と全身を震わせながら、わたしは動けないでいた。

 朝陽くんがいなかったら、きっと正気を失っていた。

 あのまま発狂していたかもしれないし、耐えられなくて廊下へ飛び出していたかもしれない。
 その場合、衝動的な行動でしかなく、間違いなく殺されていた。



「……大丈夫か、日南」

 ややあって高月くんに声をかけられる。

「だ、大丈夫……」

 喉がからからで、張りついた声は掠れてしまう。
 それでも何とか感情を落ち着けて、平静を取り戻そうとした。

「助かったな。今のうち、さっさと鍵を探そう」

「うん……」

 あのままいたら、きっと時間だけが無駄に消費されていただろう。
 鍵を探すことも逃げ出すこともできず、ただ恐怖しているうちに時間切れになっていたかもしれない。

 そういう意味でも、わたしたちは朝陽くんに助けられた。

(本当にごめん……。ありがとう、朝陽くん)

 棚を支えにふらふらと立ち上がる。
 膝に力が入らないけれど、倒れそうになるのを気力でこらえた。

 やれることをやるしかない。
 彼のためにも。



「あったか?」

「ううん……」

 棚も書庫もデスクも調べ終えたけれど、メモどころか鍵のひとつも出てこなかった。
 昨晩のスムーズさが嘘のように思えるほど、一向に見つかる気配がない。

「まずいな」

 結局、職員室には30分近く時間を奪われた。1階はまだ半分以上手つかずだというのに。

「さすがに分担した方がいいよね」

「ああ、さっき言った通りに……」

「じゃあわたしが南校舎行くよ。高月くんはこのまま北校舎の残りをお願い」

「分かった。終わったら手伝いに行く」

 こく、と頷き返して扉の方へ向かおうとしたとき「日南」と背中に呼びかけられた。
 振り向くと、彼が歩んでくる。

「これ持ってけ」
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