惨夢

 思い出したかのように早鐘(はやがね)を打つ心臓の音を意識した。
 直前まで走ったことで加速していた鼓動は、それ以上に激しく速く響いていた。

「に、逃げないと……」

 震える声でたまらず言った。

 ここを通り抜けることができないなら、北校舎側から回り込んで東階段を目指すしかない。

 でも、結局は階段前で化け物に待ち伏せされてしまうだろうか。
 よりにもよって、どうしてこんな厄介な位置にいるのだろう。

「ああ、でもその前に“あれ”何とかしねーと……」

 身構えたままの夏樹くんが言う。
 あれ、が何を指すのか一拍置いて理解した。

(鍵……!)

 こと切れている高月くんの手のそばに、鍵が転がっていたのだ。
 プレートは“屋上”。
 あれを回収しないことには、脱出口を(ひら)けない。

 屋上の鍵を見つけたのは高月くんだったのだろう。
 階段へ向かう前に運悪く殺されてしまった。

「どうやって」

 余裕のない声色で朝陽くんが尋ねる。

 こちらを見てはいるものの、化け物は動こうとしない。
 鍵は恐らく餌なのだ。とった瞬間に襲いかかってくるだろう。

 彼女は圧倒的な力をもって人間を瞬殺できるくせに、たびたびこうしてわたしたちを追い詰めては(もてあそ)んでいた。



「……くそっ!」

 夏樹くんが振り切るように声を上げ、床を蹴った。
 素早い動きで高月くんの(かたわ)らに屈み、落ちている鍵を掴む。

「逃げろ!」

 そう言うと同時に、こちらへ向かって鍵を投げた。
 放物線を描き、飛んできたそれを反射的に朝陽くんが受け取る。

 ──ザン……ッ

 鋭い音が空気を割る。

 夏樹くんに目を戻すと、口から血をあふれさせていた。
 ぐらついた上半身が滑り落ち、ばったりと前に倒れる。切断面からは間欠泉(かんけつせん)のように血が噴き出して止まない。

「い……急げ!」

 突然のことに気圧(けお)されていたけれど、ぐい、と再び手を引かれたことで我を取り戻した。

 真っ赤な血の海と惨殺(ざんさつ)死体、不気味に(たたず)む化け物の横を一瞬のうちに通り過ぎる。

 もつれそうになる足を必死で動かし、東階段を上っていく。

「これ持って!」

 目の前に差し出されたスマホを反射的に受け取る。
 白い光が上下して揺れながら、おぼつかない足元を照らした。

「これも」

 ちゃり、と音が鳴る。
 屋上の鍵だ。言われるがままに受け取った。

 何か言ったり尋ねたりする前に最上階へとたどり着く。
 朝陽くんの手が離れると、わたしは倒れ込むようにしてドアに(すが)りついた。

「花鈴、早く!」

「うん! 分かってる……っ」

 震える手で挿し込んだ鍵を回して解錠し、慌てて彼を振り返った。

「朝陽く────」
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