惨夢
「お、走ってるー。陸上部かな」
ふちの少し高くなっている部分に夏樹くんが腰を下ろした。外側を向いて座り、足を投げ出している。
怖がりな割に、高いところは平気みたいだ。
夢の中で飛び降りたことがあるから、大して危なっかしいと思えなくなっているのかもしれない。
グラウンドの方からかけ声が聞こえてくる。風に乗って微かに。
「5月なのに暑いくらいだよね。走ったら汗だくじゃん」
だれたように柚が言い、夏樹くんと少し離れた位置に座った。さすがに内側を向いて。
購買で買ってきたオレンジジュースのストローに口をつけていた。
「今日が日曜日でよかったー。体育あったら地獄だったわ」
「あってもどうせサボるだろ」
「大正解」
目の前で普段通りの何気ない会話が繰り広げられるけれど、わたしの意識は勝手に逸れていってしまう。
足元に目を落とした。ざらついたコンクリートの表面。
ふちの方へ歩み出ると、昨晩の最後が思い出される。
「昨日────」
ほとんど無意識のうちに口を開いていた。
記憶をなぞっているうちに言葉がこぼれ落ちた。
「飛び降りる直前、名前を呼んだの」
「……誰の? 白石芳乃?」
きょとんとした柚に尋ねられ、こくりと頷く。
「結局すぐに殺されそうになったけど、一瞬動きが止まった。声が届いてた」
そう言うと、あの血走った恐ろしい目が鮮明に蘇ってきた。
耳にこびりついて離れない「死ね」という言葉も。
「意外だな。話すことは一応可能なわけか」
高月くんが思案顔で腕を組んだ。
「でも、だからってどうにもなんねーよな。“助けてくれ”とか頼んだところで聞いてくれるわけないし」
「せいぜい……一瞬の足止めくらい? いや、それももう通用しないか」
夏樹くんに朝陽くんが続く。
ふたりが悲観的なわけではなく、実際そうだと思う。
(でも)
怖い、死にたくない、逃げ出したい、そんな弱気な感情に押し負けることなく、浮かんできたある考えが心に居座っていた。
もう一度、ちゃんと白石芳乃と話したい。
無謀かもしれない。昨晩だって“一度”にカウントできるほどまともに話せたわけじゃない。
だけど、真っ向から向き合うべきだと思った。
……わたしが“裏切り者”かもしれないから。
ずっと、その可能性が引っかかっていた。
朝陽くんの口にした場面がうまく思い出せなかったりとか、そんな曖昧な記憶が自分自身への疑惑を強めていくのだ。
度重なる記憶の改ざんによって、何か不具合のようなことが起きているのかもしれない。
そのせいで、書き換えられた記憶に齟齬が生まれてしまったのかも。
いずれにしても、わたし自身を完璧に信用しきれなくなっていた。
『死ね』
だからこそ、そんな彼女の言葉を真に受けて、圧倒されてしまった。