惨夢

 射られたように胸が痛くなった。見えないけれど、(えぐ)れて血が止まらない。
 代わりに涙となってあふれ出した。

「朝陽くん……。ねぇ、嘘だよね……?」

 ふらふらと歩み寄り、(すが)るように腕を掴んだ。
 彼の視線が彷徨(さまよ)いながらわたしの目に定まる。

「俺、は────」

 いくら待ってみても、その先に言葉が続けられる気配はなかった。

 何でもいいから口にして欲しかった。芳乃の言葉を否定して欲しかった。
 言い訳でもして信じさせて欲しかった。

 そこまで考えて、やっとひらめく。
 わたしはずっと勘違いしていた。

 “裏切り者”の記憶だって「本物」なんだ。
 でたらめな思い出が刻み込まれているわけじゃない。

 今回はたまたま噛み合わなかっただけで、本来はすべての記憶が確かなものとして植えつけられるから、記憶の整合性はとれる。

 そのように全員の記憶が改ざんされているから。偽物だけれど「本物」なのだ。

 “裏切り者”は、自分がそうだとは知らない。
 お互いの記憶に齟齬(そご)があることは“裏切り者”と疑う根拠にはならない。

(そっか……)

 黒猫の話。かくれんぼの話。

 (たび)重なる記憶の改ざんで不具合が起きていた、のはわたしではなく朝陽くんの方だった。

 本来の記憶や過去に植えつけられた偽物の思い出と混同していたりしたのだろう。

「……っ」

 力なく彼を離した。
 俯いて唇を噛み締める。

『────日南は変わってなさそう』

『俺も嬉しかった。“朝陽”って呼んでくれたの』

『何でそう自分のことしか考えないんだよ! 昨日だって、花鈴はおまえのこと心配してたのに────』

『花鈴は……特別だから』

『俺は花鈴のことが好き。その気持ちは、今も変わってなかった』

『どうなっても、何があっても、最後まで一緒にいる』

 先ほどの比じゃないくらい、彼との記憶が濃く強く押し寄せてきた。
 言葉、表情、仕草、そのひとつひとつが克明(こくめい)に思い出される。

 思い出もこの日々も偽物だった。
 想いもまやかしだった。

 それが分かっても、少しも揺らがない気持ちが痛くて息が苦しくなる。
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