惨夢

 何も知らなければ、告白か? なんて浮かれていたかもしれない。
 でも、僕にこんなことをする奴はひとりしかいない。

(芳乃……)

 ぐしゃりと手の中でメモを潰した。

 窓際の一番後ろに座る彼女を鋭く見やる。悪意にまみれた落書きだらけの机ごと。

 実のところ、彼女がこうしてアクションを起こしてくることは今までにもあった。
 何度かメモを入れられていたことがある。

 内容は“たすけて”とか、大抵そういった感じだ。

 うっとうしい、とは思っても完全に無視することができないのは、たぶん僕も幼なじみという腐れ縁に(とら)われているから。

(……分かったよ。行ってやる)

 芳乃が直接のコンタクトを図ってくるのは初めてのことだった。僕が応じようと思ったのも。

 とはいえ、芳乃を助けたい、なんて考えたわけじゃない。

 釘を刺すためだ。
 これ以上、下手なことを吹聴(ふいちょう)しないように。
 僕たちが「特別」な関係だなんて勘違いしないように。



     ◇



 放課後、当番の掃除を済ませて、さらに学級日誌を書き終えてから屋上へ向かった。

 だいぶ時間がかかってしまったが、芳乃はまだ待っているんだろうか。

 最上階まで上がると、ドアノブを(ひね)った。
 屋上への出入りは許されている。事故や自殺でもあろうものなら即座に閉鎖されるだろうが。

 キィ、と軋んだ音を立てながらドアを開ける。
 ふちの方に芳乃が(たたず)んでいた。

(え?)

 その姿を見てぎょっとした。
 ぽた、ぽた、と髪や制服から雫が滴っている。彼女の足元は水が染みて色が濃くなっていた。

「……!」

 僕に気づいた芳乃が顔を上げる。
 それで我に返った僕は歩みを再開した。

「……突き落とされたんだ。プールに」

 彼女が口を開いた。
 自嘲(じちょう)気味に笑う姿が痛々しい。

 よく見ると、髪に()が絡みついていた。それに気づいた彼女は震える手で取り払う。

 今は水泳の時期じゃない。
 きっと水は不衛生な緑色に変色していて、藻や虫が無数に漂っていたはずだ。
 想像したせいか、生臭いようなにおいがしてきた。

「それでね、わたし……。わ、たし……先輩、に……」

 かたかたと身を震わせる芳乃は、自分を抱き締めるようにして強く両腕を掴んでいた。
 青ざめた顔が腫れていることに今さら気がつく。

 ばか女たちの会話を思い出す。
 殴られたのか、と思った。だけど、たぶんそれだけじゃない。

 芳乃の胸元からリボンが消えていた。
 それに、この怯えようはとても尋常じゃない。
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