惨夢

「生きていけないなら、今ここでいなくなれ。飛び降りて死ね!」

 気がついたらそう口走っていた。
 頭に血が上って、息まで切れる。

「…………」

 芳乃は愕然(がくぜん)とした表情で僕を見ていた。
 絶望とも失望とも言えないような、心そのものが壊死(えし)してしまったかのような。

 怒ることも泣くことも追いつかないで、ただただ茫然自失(ぼうぜんじしつ)している。

「……ひ、どい」

 ややあって、彼女の掠れた声が静寂を割った。
 そうして時が動き出すまで、僕の頭の中はずっと空っぽになっていた。

 芳乃が涙を浮かべ、苦しげに顔を歪めていく。
 ひどく傷ついた顔をして、そろそろと腕を下ろした。
 握り締めたままの右手を見下ろしている。

「……昔は、あんなに優しかったのに……」

 彼女が拳をほどくと、その掌にカラフルな色が見えた。
 ビーズでできた小さな指輪。

「……!」

 心臓が跳ねる。射られたように沈み込む。
 
 顔が熱くなった。
 爆発した激情が突き抜けていく。先ほどの比じゃないほど、身体の芯から沸騰(ふっとう)する。

「そんなもん……さっさと捨てろよ!」

 “昔”────幼稚園の頃だ。
 ままごとの延長のような感じで「大きくなったら結婚しようね」なんてばかばかしい約束をした。

 そのときにあげた指輪だ。
 今、目にするまで、そんな出来事は意識の外側にあって、一瞬たりとも思い出すことはなかった。

 未だに持っているということは、芳乃の方はそれも「特別な出来事」として記憶しているのかもしれないが。

「いや! これだけは絶対手放さないから!」

 負けじと言い返し、宝物みたいに大切そうに両手で包み込む。

 冗談じゃない。

 かっとまた頭に血が上って顔が熱くなり、直後に血の気が引いて寒くなった。
 額と背中に冷や汗が滲み出す。

 こんなものがあったら、もしこれをあげたのが僕だとバレたら、おしまいだ。

 僕まで標的にされる。同類にされる。冗談じゃない!
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