惨夢

「ふざけんな! 捨てろっつってんだろ!」

 手を伸ばしたものの、彼女はさっと腕を引いて(かわ)す。
 むかついた。もどかしい。

 芳乃の髪を掴んだ。か細い腕を掴んだ。
 ちぎれようが骨が折れようがどうだってよかった。

「や、だ……!!」

 彼女は頑固だった。
 細くてぼろぼろのその身体のどこにそんな力があるのだろう、と不思議に思うほど、強く張り合ってくる。

 指輪を死守するべく固く握り締めた拳を僕から遠ざけ、掴まれても怯まなかった。

 力では僕の方が上だ。きつく痛めつければさすがに放さざるを得なくなるだろう、と思ったのに、逆だった。

 僕が力を加えるほど、芳乃も比例して強く指輪を握り締めるのだ。
 決して離すまい、という強い意思が窺える。

「離せよ!」

 がっ、とたまらず芳乃の首を掴んだ。
 さすがに苦しかったらしく、彼女の意識がわずかに指輪から逸れる。

 今だ、と片手で拳を捉えたものの、芳乃が必死で腕を捻ってもがくせいで(ひら)けない。
 首を掴んでいた手も剥がされた。

「痛……っ。痛い!」

 そんな言葉も無視して勢い任せに再び手を伸ばす。

 それが、偶然にも芳乃の肩を突く形になった。彼女の身体がバランスを崩す。

「あ……」

 重心が傾き、後ろに踏み出した足が地面を捉え損ねた。
 ぐら、と背中から倒れ込んでいく。

 一瞬の出来事だった。
 瞬くと、芳乃の姿が消えていた。

 ──バシンッ

 聞き慣れない音が耳に届き、ようやく我に返る。

「……白石?」

 頭が考えることをやめた。
 一歩、二歩、漂うような足取りでふらつきながらふちへ歩み寄る。
 恐る恐る下を覗き込んだ。

 コンクリートの上に鮮明な赤が広がっていた。その血溜まりに横たわる芳乃の姿が見える。

 腕も脚も、関節がおかしな方向に曲がっていた。
 傾げているように見える首も恐らく折れている。

(うそ、だ……)

 心臓が破裂(はれつ)しそうなほど打っていた。うまく酸素を取り込めない。

 彼女をうっとうしいとは思っていた。
 いなくなればいい、とも、死ね、とも言った。
 だけど……こんなつもりじゃなかった。

 走馬灯のように記憶が駆け巡った。ひび割れた芳乃との思い出。
 そのすべてが血みどろになり、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。

「……っ」
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