惨夢

 困惑するわたしたちを置き去りにして、踵を返した彼は駆け出した。

 ふらふらとおぼつかない足取りだ。
 何度も転びそうになりながら、必死で身体を前に運んでいる。

「どこ行くんだよ!」

 いったい、急にどうしたというのだろう。

 顔を見合わせたわたしたちは、それを合図に彼のあとを追った。

 見知った学校だけれど、どこか異質で奇妙な空間。

 こんなよく分からない状況下ではぐれるのはよくない気がする。
 夏樹くんをひとりにするべきじゃない。



 彼は先ほどまでいた正面玄関に戻ってきていた。
 その扉の前で立ち尽くしてから慌てて振り返る。

 瞬いた瞬間、夏樹くんの目の前に人影が現れた。
 気のせいでなければ、わずかに残像も見えた。

 彼に駆け寄ろうとした足が図らずも止まる。

「何……!?」

「誰?」

 濡れそぼった長い黒髪に制服姿。
 プールで見たのと恐らく同じだ。

 その右手に握られているのは大きな包丁のような刃物。だけど刃が四角だ。

(なた)……?」

 彼女がそれを振り上げる。
 まるでスローモーションのように見えた。

「ああああああっ!!」

 追い詰められた夏樹くんは扉にぴったりと背をくっつけたまま、でたらめに叫んだ。

 ──ザシュ……ッ

 勢いよく鉈が()ぎ払われる。
 聞き慣れない音とともに、刃が鮮血を舞わせた。

 一瞬、時が止まって、またすぐに動き出した。

 ずる、と滑った夏樹くんの上半身がぐらつき、そのまま力なく床に落ちる。
 鉄製の扉とぶつかって重たい音がした。

 がく、と膝をついた下半身もばったりと倒れる。
 その切断面が、骨が、はっきりと見えた。

 彼の下にみるみる赤黒い血溜まりが広がっていく。

 動かなくなってもなお、断面からは間欠泉(かんけつせん)さながらに血が噴き出している。

 飛び出した内臓はライトの明かりでてらてらと光っており、どこか昆虫じみた禍々しい生きものに見えた。

「い、いやぁぁあ……っ!!」

 甲高い悲鳴が響き渡る。

 そう叫んだのは柚だったか、わたしだったか、自分でも分からなかった。

 心臓がばくばくと暴れ、手足の震えが止まらない。

 何が起きているのかまったく理解が追いつかない。
 だけど、現実感だけは痛いほど感じている。

 夏樹くんが死んだ。
 たった今、得体の知れない化け物に殺された。
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