惨夢

 ほとんど流されるような動きで彼についていった。
 階段を上りきると、廊下に出る前に足を止める。

 姿勢を低くしてぴったりと壁に身体を沿わせていた。
 わたしも彼にならってそうした。

 自分の心音や息遣いまで聞こえてくるような、痛いくらいの静寂が肌を刺してくる。

「何も聞こえないな」

 逃げ回る柚の足音も叫び声も。
 あの化け物の気配も今のところ感じられない。

「柚、撒いたのかな?」

「……そうだね」

 朝陽くんが答える前に迷うような間があった。

 校舎は広いとはいえ吹き抜けで、騒々(そうぞう)しく逃げ惑っていたら大なり小なり何らかの物音は聞こえてくるはず。

 何も聞こえないということは、柚はもう追われていない。撒いて逃げきった。
 あるいは────の可能性は、考えたくもない。

 わたしたちはそのまま慎重に歩を進め、教室にたどり着いた。

 朝陽くんが取っ手に指をかけて引く。
 開かないだろう、という諦めがどこかにあったのだと思う。
 動作が淡々としていた。

 だけど、結果は予想と反していた。
 教室の扉は何にも阻まれることなくスライドしたのだ。

「開いた……」

 ただただその事実を受け止め、朝陽くんに続いて教室に足を踏み入れる。

 いつも通りのわたしたちの教室。
 整然(せいぜん)と並んだ机と椅子も、一部の男子がロッカーに置き勉している教科書の山も、昼間に見たのと変わらない。

「柚、いる……?」

 淡い期待を胸にそっと呼びかけてみたものの、返答はなかった。
 わたしと朝陽くんのほかに気配もない。

 わたしもスマホを取り出してライトをつける。
 自分の机に歩み寄り、その天板(てんばん)を照らしてみた。
 そこには柚が落書きしたうさぎの絵が残っている。

 自分たちのよく知っている学校、見慣れた教室のはずなのに、今は未知の異空間にしか思えない。

「……ねぇ、何か書いてある」

 不意に響いてきた朝陽くんの硬い声に顔を上げる。
 彼は黒板を照らしていた。

「飛び降りて……死ね?」

 歩み寄りながらその文字を追う。
 読み上げた声は小さく震えた。

 “飛び降りて死ね”。

 黒板には確かにチョークでそう殴り書きされている。
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