惨夢

 弾かれたように床を蹴って駆け出した。

 今になって心臓がばくばくと暴れ始める。
 酸素をうまく吸えなくて、溺れたみたいに苦しい。

「……っ」

 着地のたびに視界が揺れた。

 足がもつれて転びそうになるけれど、必死で前に進み続けた。

「う……!」

 突如(とつじょ)として数メートル先に化け物が現れ、慌てて急ブレーキをかける。

 けれど、つんのめった身体目がけ、容赦なく鉈が振り下ろされた。

 反射的に身を逸らせてぎりぎりで避ける。
 しかし、目と鼻の先まで迫っていた刃は頬のあたりを掠めていった。

「痛……っ」

 ビッ、と風切り音とともに鋭く熱いような痛みが走る。
 はらはらと髪がひと(ふさ)落ちていった。

(あ、危なかった……)

 安堵する暇もなく、間髪入れずに再び振りかざされる。
 ぎらりと光った刃を見てはっと我に返った。

「いや!!」

 咄嗟に(きびす)を返して走り出す。
 すくみそうになる足を必死で前へと運んだ。

「やだ! 来ないで!」

 とにかく無我夢中で駆け抜けた。
 化け物から離れたい。死にたくない。死にたくない!

 恐怖から涙が滲んで、余計に息苦しくなる。
 それでも、身を震わせながら死に物狂いで逃げ続けた。

 ──ジリリリリリリ!

 昨晩も聞いた非常ベルの音が、突然鳴り響いた。
 遠く霞んで聞こえる。

 だけど直接脳を揺さぶられるみたいに、わたしから正気を奪っていく。



 西階段を駆け上がり、4階の廊下を疾走する。

「花鈴!」

「!」

 反対側の階段へさしかかったとき、朝陽くんと出くわした。
 高月くんの姿もある。

「急げ!」

 ちゃり、と素早く鍵を提示した高月くんが先導して上へ駆けていく。

「屋上の!?」

「そう。追われてんだろ? こっち、早く!」

「うん……!」

 ぱっと差し出された朝陽くんの手を急いで掴む。

 わたし以上に冷えきっていたけれど、この上なく頼もしかった。

 肺が破れそうで、足に力が入らなくて、今にも恐怖に押し負けそうになる。

 すぐ後ろに凍てつくような化け物の気配があった。
 怖くてとても振り返れない。

「……っ」

 朝陽くんが手を引いてくれなければ、今頃わたしの身体は真っ二つだ────。

『……て、……ん』

 どうにか最上階にたどり着いた。
 ドアへ駆け寄った高月くんが取っ手を掴む。

『お……て。……りん』

 荒い呼吸を繰り返しながら、なだれ込むように床に手をつく。

『起きて……』

 心臓が破裂寸前だった。
 がくがくと手足の震えが止まらない。

 でも、あと少し────。

『花鈴! 起きて!』
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