惨夢

「うん……。ありがとう……」

 喉に貼りついた声を押し出すと掠れてしまった。

 ふらふらとした足取りですぐ近くのお手洗いに入る。

 蛇口を捻るのもままならないくらい、震えの止まらない手にはまるで力を込められなかった。

(何で……)

 泣きそうな気持ちで手や顔を洗い流し、ごしごしと制服をこすった。

(何でこんな目に遭わなきゃいけないの)

 軽い気持ちで怪談を試したせい?
 その(ばち)(たた)りがこれなの……?

 そんなの知らなかった。

 あの怪談がこんな悪夢や呪いに繋がっていたなんて。

 こんなつもりじゃなかった。

 わたしたちは誘い込まれただけだ。
 殺される(いわ)れなんてない。

(なのに……それなのに……!)

「!」

 じわ、と制服から染みてきた冷たい水が肌に触れた。
 お陰ではっと我に返る。

(……だめだ。こんなこと今考えてたって仕方ない)

 きっかけが何であれ、もう巻き込まれてしまっているのだ。

 嘆くだけで解放されるなら、ここまで追い詰められてはいない。

 怖いし、逃げ出したい。もう嫌だ。
 そんな感情で埋め尽くされる。

 けれど、こうやって現状を恨んで拒絶しているだけの時間は無益(むえき)でしかないと、頭ではちゃんと分かっている。

 ぎゅ、と制服を絞った。

 数度深呼吸して息を整え、どうにか自分を(ふる)い立たせる。

 震えはおさまっていた。
 周囲を警戒しながら廊下へ出る。

「……あ」

 ちょうど隣の男子トイレの方から朝陽くんも出てきた。

「大丈夫?」

「うん、ごめんね。ちょっと……びっくりしすぎて」

「無理ないって、あんなきもくてグロいもん降ってきたら。俺なら叫んでた」

 肩をすくめて笑う彼。

 わたしも決して冷静だったわけじゃなく、圧倒されて声が出なかっただけだ。

「きつかったらもうちょい休んでてもいいけど」

「ううん、もう大丈夫」

 自ら1階の探索を買って出たわけだし、それでなくても休んでいる時間はない。

 今日の成果は今のところゼロだ。

 このままじゃ何も掴めないまま、鍵も見つけられないまま、崩落に飲み込まれて無駄死にしてしまう。
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