ダメな大人の見本的な人生
09:勝負
「……ダーツにしない?」
口が裂けても〝ビリヤードはもうやめたい〟とは言いたくなかった美来は、もう一つの可能性に賭けて衣織に言う。
きっと衣織もここまで下手だとは思っていなかったのだろう。
あっさりと了承し、ダーツへと移動した。
「美来さん、お酒のむ?」
「飲む」
衣織の提案に速攻で返事をすると、衣織がダーツ台の前に美来を残して去っていった。
ダーツ台の正面にあるソファーに腰かけて、周りを見回す。
おしとやかそうに見える女の子ですら、楽しそうに笑っていた。
音楽もそうだが、どこもかしこも騒がしくて、誰も周りの事なんて気にしていない。
本当に、いったいいつから自分はこんな風になってしまったんだろう。
周りの目を気にして、自分の気持ちすら見失っている。
なんだかもう、帰りたい。
「はいどうぞ」
衣織はグラスに入った酒をソファーの横にあるテーブルに置いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そう言いながら、衣織は灰皿を置く。
美来は思わず衣織を見たが、彼は別に何一つ気にしていない様子で美来の隣に移動して座った。
「これ……」
「灰皿だけど」
「そうだけど、吸っていいの?」
「うん。……ここ、禁煙じゃないよ?」
衣織は終始不思議そうな顔をしている。
「そうだけど、服に匂いが付くとか気にならない?」
「ああ、そういう事。大学生が気にすると思う? タバコなんて何にも珍しくないよ」
「……そっか」
そうか。そうなのか。
大人がタバコを吸うのは凄く肩身が狭い。
どれだけ顔がよくてもタバコを吸っているだけで恋愛対象から外れるなんてことも、当たり前に起こるのだ。
しかし、よく考えてみれば、別に楽しい楽しくないかという事に、タバコを吸うも吸わないも関係ない。
そう思うと気楽になった美来は、タバコをとりだした。
「俺やりたい」
何をだ、と思っている美来に、衣織は手を差し出す。
自分が手に持っているのがライターだけという事に気付いた美来は、差し出された衣織の手にライターをそっと乗せてみる。
どうやら正解だったらしく、衣織は美来の咥えたタバコの近くへとライターを移動させた。
一度でライターをつけた衣織は、火を美来の所へ移動させる。
火が移った事を確認した衣織は親指を離した。
衣織は満足げに笑っている。
「ありがとうだけど、これの何が楽しいの?」
「美来さんと共同作業できた事が嬉しいの」
忘れてた。
この子はストーカーだったんだ。
その証拠に、衣織はタバコが吸う様子を真横の特等席でじーっと見ていた。
「そんなに見られると居心地悪いんですけど」
「こんなに近くにいるのに、見るなって言われる方が無理だよ。据え膳喰わぬは男の恥っていうでしょ」
使い方違うよ。
という真っ当な意見をぶつける気には到底なれなかった。
一瞬で〝人懐っこい男の子〟から〝ストーカー〟へ変貌を遂げた衣織は、美来の引いた視線なんて気にすることもなくニコニコと上機嫌で笑っていた。
「じゃあ、行ってみよー」
タバコを吸い終わってグラスに口をつけていると、衣織はダーツ台の方をまっすぐ指さした。
「ド真ん中ね」
そういって自分はソファにふんぞり返っている。
いやもう私の事、見限ってるじゃん。
完全に〝どうせお前ダーツも壊滅的に下手なんだろ〟って態度に出てるじゃん。
なんでこんな時だけわかりやすいんだよ。
という気持ちは反骨精神を連れてきて、クソ、見てろよ。と思いながら、大人としてあくまで涼しい態度を装って、ダーツ台の前に立った。
とはいっても、どうやって投げればいいのかわからない。
ダーツを手に取って線の前に立てば何か思い出すかと思ったが、残念ながら何一つ思い出すことはできなかった。
ダーツを手に持ったまま、隣のお兄さんを見る。
残念ながらお兄さんの行動を見た所でも何一つピンとくるものはなかったが、美来は見様見真似で構えて、ダーツを投げた。
気持ちのいい音を立てて、吸い込まれるように中央の赤い丸に突き刺さった。
「わお」
衣織は軽い口調でそう言う。
美来は一応、周りを見回した。
もしかすると海外のバーにいる様な殺し屋が、他の所からここを狙ったのではないか。
しかしそれは当然、妄想だった。
結論、自分の投げたダーツがたまたま当たった。
「やった……」
しかしそこでストッパーがかかる。
先ほどビリヤードでこれをやらかしたばかりだ。
ビリヤードって真ん中以外に当てるとか、そういうゲームじゃなかったよね……。
美来は恐る恐る衣織を振り返る。
彼はソファーに預けていた背を起こして、前のめりになっていた。
「美来さん凄いよ」
やっぱ凄いよね!? 凄いんだよね!?
と分かりやすくテンションが上がった美来はガッツポーズをした。
「やったー! 嬉しい!」
ソファーから立ち上がって手を出す衣織に、美来はハイタッチをする。
勝てる。これは勝てるぞ。
ビリヤードなんてさっさとやめてこっちにしておけばよかった。と大人げなさ全開の美来は華麗に刺さっているダーツを眺めた。
「負けた方が今度ご飯ご馳走するってどう?」
「いいよ。多分私勝つから」
衣織の言葉に、美来は調子に乗って間髪入れずに返事をする。
「じゃあ、残り二回投げて来て」
「はいはーい」
上機嫌で残り二回を投げる為にダーツ台前の線に移動する。
何をご馳走してもらおうか。
そう思って投げた二投目、右下に当たった。
「……あれ?」
真ん中を狙ったはずなのにおかしいな。と思いながら小さく呟いて投げた三投目は、的にすら刺さらず。
三投ともド真ん中に当たる予定だった脳内はそれを処理しきれないまま。
美来はさっさとその場を離れて、ニコニコと笑ってソファーに座っている衣織の前に移動して問いかけた。
「……やめない?」
「やめない」
ニコニコ笑顔を崩さない衣織に抱いた恐怖をかき消すように、美来は酒を煽った。
「何ご馳走してもらおうかな~」
衣織は上機嫌でそう言いながら、美来の家への帰り道を歩いている。
結果はぼろ負けだった。
真ん中に当たったのなんてあの一回だけだったし、やけになればなる程、点数は稼げない。
もう、思い出したくもない。
「くやしいー」
しかし、普段いかない場所、やらない事は、結構面白かった。
店を出るころには随分と酔っぱらっていて、もうこのまま風呂にも入らずにベッドに入ってしまいたい。
一投一投、笑ったり悔しくなったり。
あんなに感情を出したのは久しぶりだ。
皆が騒いでいるから、何も気にならないし、誰も気にしない。
そして酒呑まれる帰り道。
こんな感じだったな、と懐かしさと余韻を残した高揚感に美来は浸っていた。
「衣織くん、ちゃんと帰れる?」
酒を飲んだ今、残っているのは年下の衣織がちゃんと家に帰りつけるのだろうかという、完全に余計なお世話だった。
「帰れるよ。俺、飲んでないもん」
「気を付けて帰るんだよ。変な人について行かない様に」
「心配してくれてる?」
「一応はね」
「じゃあ、泊めてくれてもいいよ。美来さんも安心でしょ」
まあ、それもいいか。たまには。
と考えて、自分が相当酔っていることに気が付いた。
ダメだダメだ。
これ以上距離を近づけないと誓ったことを忘れたかと思ったが、でも、まあ……楽しかったし。
「今度のご飯、楽しみにしてるね」
そう言うと衣織は立ち止まった。
「おやすみ」
泊まっていかないのか。と考えているあたりがどうかしていると思うし、酔って取った行動はたいてい後悔することも長年の経験で知っていた。
「うん、おやすみ」
そういって家の前で別れる。
ちょっと寂しいと思っている理由の大部分は、酔っているからだ。
口が裂けても〝ビリヤードはもうやめたい〟とは言いたくなかった美来は、もう一つの可能性に賭けて衣織に言う。
きっと衣織もここまで下手だとは思っていなかったのだろう。
あっさりと了承し、ダーツへと移動した。
「美来さん、お酒のむ?」
「飲む」
衣織の提案に速攻で返事をすると、衣織がダーツ台の前に美来を残して去っていった。
ダーツ台の正面にあるソファーに腰かけて、周りを見回す。
おしとやかそうに見える女の子ですら、楽しそうに笑っていた。
音楽もそうだが、どこもかしこも騒がしくて、誰も周りの事なんて気にしていない。
本当に、いったいいつから自分はこんな風になってしまったんだろう。
周りの目を気にして、自分の気持ちすら見失っている。
なんだかもう、帰りたい。
「はいどうぞ」
衣織はグラスに入った酒をソファーの横にあるテーブルに置いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そう言いながら、衣織は灰皿を置く。
美来は思わず衣織を見たが、彼は別に何一つ気にしていない様子で美来の隣に移動して座った。
「これ……」
「灰皿だけど」
「そうだけど、吸っていいの?」
「うん。……ここ、禁煙じゃないよ?」
衣織は終始不思議そうな顔をしている。
「そうだけど、服に匂いが付くとか気にならない?」
「ああ、そういう事。大学生が気にすると思う? タバコなんて何にも珍しくないよ」
「……そっか」
そうか。そうなのか。
大人がタバコを吸うのは凄く肩身が狭い。
どれだけ顔がよくてもタバコを吸っているだけで恋愛対象から外れるなんてことも、当たり前に起こるのだ。
しかし、よく考えてみれば、別に楽しい楽しくないかという事に、タバコを吸うも吸わないも関係ない。
そう思うと気楽になった美来は、タバコをとりだした。
「俺やりたい」
何をだ、と思っている美来に、衣織は手を差し出す。
自分が手に持っているのがライターだけという事に気付いた美来は、差し出された衣織の手にライターをそっと乗せてみる。
どうやら正解だったらしく、衣織は美来の咥えたタバコの近くへとライターを移動させた。
一度でライターをつけた衣織は、火を美来の所へ移動させる。
火が移った事を確認した衣織は親指を離した。
衣織は満足げに笑っている。
「ありがとうだけど、これの何が楽しいの?」
「美来さんと共同作業できた事が嬉しいの」
忘れてた。
この子はストーカーだったんだ。
その証拠に、衣織はタバコが吸う様子を真横の特等席でじーっと見ていた。
「そんなに見られると居心地悪いんですけど」
「こんなに近くにいるのに、見るなって言われる方が無理だよ。据え膳喰わぬは男の恥っていうでしょ」
使い方違うよ。
という真っ当な意見をぶつける気には到底なれなかった。
一瞬で〝人懐っこい男の子〟から〝ストーカー〟へ変貌を遂げた衣織は、美来の引いた視線なんて気にすることもなくニコニコと上機嫌で笑っていた。
「じゃあ、行ってみよー」
タバコを吸い終わってグラスに口をつけていると、衣織はダーツ台の方をまっすぐ指さした。
「ド真ん中ね」
そういって自分はソファにふんぞり返っている。
いやもう私の事、見限ってるじゃん。
完全に〝どうせお前ダーツも壊滅的に下手なんだろ〟って態度に出てるじゃん。
なんでこんな時だけわかりやすいんだよ。
という気持ちは反骨精神を連れてきて、クソ、見てろよ。と思いながら、大人としてあくまで涼しい態度を装って、ダーツ台の前に立った。
とはいっても、どうやって投げればいいのかわからない。
ダーツを手に取って線の前に立てば何か思い出すかと思ったが、残念ながら何一つ思い出すことはできなかった。
ダーツを手に持ったまま、隣のお兄さんを見る。
残念ながらお兄さんの行動を見た所でも何一つピンとくるものはなかったが、美来は見様見真似で構えて、ダーツを投げた。
気持ちのいい音を立てて、吸い込まれるように中央の赤い丸に突き刺さった。
「わお」
衣織は軽い口調でそう言う。
美来は一応、周りを見回した。
もしかすると海外のバーにいる様な殺し屋が、他の所からここを狙ったのではないか。
しかしそれは当然、妄想だった。
結論、自分の投げたダーツがたまたま当たった。
「やった……」
しかしそこでストッパーがかかる。
先ほどビリヤードでこれをやらかしたばかりだ。
ビリヤードって真ん中以外に当てるとか、そういうゲームじゃなかったよね……。
美来は恐る恐る衣織を振り返る。
彼はソファーに預けていた背を起こして、前のめりになっていた。
「美来さん凄いよ」
やっぱ凄いよね!? 凄いんだよね!?
と分かりやすくテンションが上がった美来はガッツポーズをした。
「やったー! 嬉しい!」
ソファーから立ち上がって手を出す衣織に、美来はハイタッチをする。
勝てる。これは勝てるぞ。
ビリヤードなんてさっさとやめてこっちにしておけばよかった。と大人げなさ全開の美来は華麗に刺さっているダーツを眺めた。
「負けた方が今度ご飯ご馳走するってどう?」
「いいよ。多分私勝つから」
衣織の言葉に、美来は調子に乗って間髪入れずに返事をする。
「じゃあ、残り二回投げて来て」
「はいはーい」
上機嫌で残り二回を投げる為にダーツ台前の線に移動する。
何をご馳走してもらおうか。
そう思って投げた二投目、右下に当たった。
「……あれ?」
真ん中を狙ったはずなのにおかしいな。と思いながら小さく呟いて投げた三投目は、的にすら刺さらず。
三投ともド真ん中に当たる予定だった脳内はそれを処理しきれないまま。
美来はさっさとその場を離れて、ニコニコと笑ってソファーに座っている衣織の前に移動して問いかけた。
「……やめない?」
「やめない」
ニコニコ笑顔を崩さない衣織に抱いた恐怖をかき消すように、美来は酒を煽った。
「何ご馳走してもらおうかな~」
衣織は上機嫌でそう言いながら、美来の家への帰り道を歩いている。
結果はぼろ負けだった。
真ん中に当たったのなんてあの一回だけだったし、やけになればなる程、点数は稼げない。
もう、思い出したくもない。
「くやしいー」
しかし、普段いかない場所、やらない事は、結構面白かった。
店を出るころには随分と酔っぱらっていて、もうこのまま風呂にも入らずにベッドに入ってしまいたい。
一投一投、笑ったり悔しくなったり。
あんなに感情を出したのは久しぶりだ。
皆が騒いでいるから、何も気にならないし、誰も気にしない。
そして酒呑まれる帰り道。
こんな感じだったな、と懐かしさと余韻を残した高揚感に美来は浸っていた。
「衣織くん、ちゃんと帰れる?」
酒を飲んだ今、残っているのは年下の衣織がちゃんと家に帰りつけるのだろうかという、完全に余計なお世話だった。
「帰れるよ。俺、飲んでないもん」
「気を付けて帰るんだよ。変な人について行かない様に」
「心配してくれてる?」
「一応はね」
「じゃあ、泊めてくれてもいいよ。美来さんも安心でしょ」
まあ、それもいいか。たまには。
と考えて、自分が相当酔っていることに気が付いた。
ダメだダメだ。
これ以上距離を近づけないと誓ったことを忘れたかと思ったが、でも、まあ……楽しかったし。
「今度のご飯、楽しみにしてるね」
そう言うと衣織は立ち止まった。
「おやすみ」
泊まっていかないのか。と考えているあたりがどうかしていると思うし、酔って取った行動はたいてい後悔することも長年の経験で知っていた。
「うん、おやすみ」
そういって家の前で別れる。
ちょっと寂しいと思っている理由の大部分は、酔っているからだ。