ダメな大人の見本的な人生

99:やっぱりダメな大人

 衣織と別れて家に帰ってから、何も言わずに二人でご飯を作り始めた。テレビをバックミュージックにして二人で食事をした。

「明日からちょくちょく家にもの運びに帰るわ。って言っても、そんなに荷物ないけど」

 ハルとはもう、本当にお別れになるのだと思った。そう考えるとなんだか寂しい。
 人間というのは慣れる生き物で、多分二人で一緒にいる事にもう慣れてしまっている。だから、少し離れたくないなんて思っている。
 きっと、お互いに。

「そっか。わかった」

 だけど日曜日の朝からやっている戦隊ものの番組も、変身して可愛い服を着て戦う少女の番組も、一年経って次に引き継がれる。最初は抵抗があっても、いつの間にか新しいキャラと設定に慣れているもので。
 あれはあれでよかったけど、これはこれでいい。そうやって感情の整理を勝手につけられるのが人間という生き物だ。だからハルと離れるのが寂しいと思っているのは、この環境に慣れているだけで、これから先にできる事もハルがいない現実にゆっくりと慣れる事だけ。

 食事の後は風呂に入る。いつもすぐにシャワーから上がってくるハルがいつの間にかしっかりと風呂を溜めるようになったおかげで、美来もゆっくりと湯船につかることが習慣になっていた。
 次の日起きた時のすっきり感がなんだか違うような気がする。

「無駄骨だったけど、まあなんか、楽しかったな」

 寝る支度を終えて二人で寝室に向かってすぐ。ベッドの下にあるマットレスに横になるハルの方へと、美来は仰向けのまま顔を向けた。

「そうだね。本当にいろいろと想定外だったけど」
「仕事は? どんな感じ?」

 美来はうつ伏せになり、ベッドから顔と腕、上半身を少しはみ出してハルの方を向いた。

「なんかね、楽しそうだよ。意外と。私人目につかない仕事の方が向いてるんだろうなって思った」
「そっか」
「今はね、結構四月から新しい仕事するのが楽しみなんだ」
「よかったじゃん。自分の知らない事を知れたなら」
「この歳になって新しい自分を知るなんて思わなかったけどね」
「その考え、老けるぞ。年取ったって、人間は一生成長するんだよ」

 今となっては、ハルの一言一言が重い。自分の人生をしっかりと見据えて生きてきた人間の、重みのある言葉だと思う。
 ハルには尊敬する部分がたくさんある。しかし、性格が根本的に合わない。だからこのままなんとなく一緒にいようとはならないのだ。

「私、ハルにいろんなことを教えてもらったなって思うよ」
「やめろや。気持ち悪い」

 ハルは平坦な口調で、まんざらでもなさそうな、しかしそれ以上は口にしてほしくないような、いろいろな解釈ができる口調で言う。

 もうすぐお別れ。
 なんだか心に穴が空いたみたいだ。ハルという男が日常の中にいたのだから当然のこと。そして当然、時間が流れれば必ずふさがる穴だという事はわかっている。

 それなのにまだ空いていない穴をなんとなく埋めてほしいなんて思う。

「ダメな大人だ」
「俺と一緒」

 ぼそりと呟いた美来の独り言を拾うハルは、放っている美来の腕を握ると引っ張って引き寄せた。

「うわ!!!」

 美来はベッドから下に落ちて、柔らかいマットレスとハルの腕の中に着地する。

「もー……」

 美来はその一言に不満の全部を吐き出したが、すぐに笑顔を浮かべた。

「しんみりすんなよ。俺達お仲間だろ。まともじゃない方の」
「ハルも仲間意識とかあるんだ」
「そりゃある。なんかこうなったらなったで寂しいから、抱いていい?」
「……清々しいくらいのクズ」

 呆れた様子で呟いた美来だったが、想定内の出来事だった。
 同じことを思っている。なぜならふたりとも、ダメな大人だからだ。

 ハルはゆっくりと美来の髪に指を絡めて()いた。

「まともな状態でしたことないじゃん。酒に酔ってたり、寂しかったり、そんな理由ばっかでさ」
「確かにね」

 ダメな大人同士だから、気持ちはきっとお互いによくわかっている。
 本当にバカで、ダメな大人だと思う。

「俺は結構、美来の事好きだったよ」

 好きでもない人に、〝好き〟という真っ直ぐな言葉を吐ける大人は、まともじゃない。
 きっと執着という意味が半分、これから先のセックスで盛り上がる為の前戯が半分。

「どんなところが?」

 わかっているから乗ってみる。
 こうやってお互いの手のひらで踊る事が出来るから、大人は楽しい。

「不器用な所」

 ハルはそう言うと、優しい顔で笑った。

「可愛い」

 圧倒的な大人の余裕を見せるハルと、キスをする。
 ただ純粋に、これから先の出来事を楽しんでみる。





 ハルと美来が同棲を解消したのはそれから約二週間が経ってから。美来が受付のマニュアルの修正を完成させてからすぐの事だった。

 ハルはほとんど手ぶらでやってきたのでほとんど荷物はなかったが、一切の荷物が消え去った部屋の中からは、ハルの気配が完全に消え去ってしまった。

 休日にインターフォンが鳴った。何となく想像していたものの、画面越しには衣織。しかしなぜか、彼の少し後ろにはポロシャツにエプロンにバンダナをつけたおば様が凛とした様子で立っていた。

 美来はインターフォンのボタンを押すこともせずに、気持ちを整理しながら廊下を歩いた。
 衣織の親か? しかしさすがに親同伴で遊びには来ないだろう。じゃああの人は一体誰だ。答えが出ないまま廊下を歩き、ドアを開ける。美来は何よりも先に衣織の後ろにいるおば様に視線を向けた。

「こんにちはー」
「……こんにちは」

 上品なおば様はニコニコ笑顔で笑っている。美来は衣織へと視線を移した。

「……なにしてるの?」
「清掃に入ってもらおうと思って。……じゃあ、お願いします」

 衣織は当然とでも言いたげに口を開いて、美来の反応を見るより前に清掃のおば様にそう言う。

「はい。承知しました」

 おば様は美来の隣を通り越して「おじゃましますー」と慣れた様子で部屋の中に入っていった。
 放心状態の美来はそれから衣織に視線を移した。

「あの方はどなた……?」
「清掃会社の人。男がいた痕跡一つ残さないから」

 衣織はそう言うと美来の隣を通り過ぎて「おじゃまします」というと部屋の中に入っていく。家の主であるはずの美来だけが玄関に取り残されていた。

 気付けば次から次に清掃をするおば様を眺めていた。
 申し訳ないくらい掃除の行き届いていない部屋だが、おば様は終始笑顔でテキパキと慣れた様子で掃除をしていく。

 自分の部屋が片付いて行く最中、美来は寝室を開ける衣織を追いかけた。

 衣織は自分が今しがた開いた寝室をじっと見ていた。
 好きという感情があるであろう女と知り合いの男が眠っていた寝室。きっといろいろあったであろうと想像に難くない寝室を衣織が今どんな気持ちで見ているのか、美来には想像がつかなかった。
 責められる理由はないはずだが、なんだか悪い事をした気持ちになってくる。

 そしてゆっくりと息を吐いた衣織は口を開く。

「このマットレスは処分してください」

 衣織の言葉に、おば様はすぐにマットレスを持って行く。

「あ、ちょっと!! 私のマットレス!!」
「必要なら新しいの買ってあげるよ」

 誰かが泊まりに来た時の為にとっておこうと思った、店にある中で一番安物のマットレスは回収されて行った。
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