ダメな大人の見本的な人生
10:余熱にやられた
次の日の土曜日。
朝から、というか昼から頭が痛い。
酒を飲み過ぎたからだ。
嫌味なくらい良い天気が、こんな時間まで寝ていた事に対する罪悪感を誘発する。
そしてお決まりのパターン。
今から休日を良いものにしよう、という悪あがき。
悶々とした気持ちを受け入れてくれるのはあの場所しかない。
美来は昼過ぎにチャットアプリで連絡先一覧を開いた。
初期設定のアイコンはイメージ通り。
ただ、性格的にフルネームで登録しそうなのに、「ハル」という名前で登録している所がまた、あの男の不思議な所だ。
あっけらかんとしているように見えて、自分にとって大切な部分は隠している様な人だ。
【教育】
〝今日行く〟という言葉が変換ミスだという事には当然気付いていたが、大して気にもせずにそのまま送信ボタンを押した。
ハルだしいいか。という完全な怠慢。
修正するという所まで行動する気になれない。
それに昨日は酒を飲んだから頭がいたい。
ああいう場所で飲む酒が次の日に響きやすいのには、何か理由があるのだろうか。
【り】
やはりハルは内容を読み取ってくれたようで、一文字だけ返事が届く。
〝了解〟という意味だが、ハルが来るとは限らない。
恐らくハルは、〝お前が行くのは、了解〟という意味で使っているのだと思う。
以前、連絡をしてハルが来なかったときに詰め寄ると、「じゃあ普通に〝来てほしい〟って言えよ。あと、お前の奢りな」と言われた為、言わないと誓っている。
しかし、いちいち送ってくるなよ、とも思っていなさそうだ。
それがまた〝ハル〟という男の不思議な所だ。
同じ大人でも、美来から見たハルは本当に自由気ままに生きていた。
目標なのかもしれない。
ハルの様に人の目を気にせずに生活が出来たらいいのにという、指針の様な存在。
だからハルと酒を飲んでいると安心する。
だけど同時に、自分に素直になって生き方られない自分が、ほんの少し嫌になる。
夕方。
ドアについたベルの音で振り返ったのは、カウンターに座る二人。
一人はハルで、一つ席を飛ばして左隣に座っているのは、予想外のお客様だった。
美来はなぜかほんの少しだけ緊張した。
「いらっしゃーい。ああ、美来ちゃん。いらっしゃい」
カウンターの奥の暖簾から顔を出した美妙子は、来たのが美来だと分かるとまた暖簾の奥に引っ込んでいった。
「実柚里ちゃんも来てたんだ」
そう声にだして、緊張した理由が明確になる。
衣織だ。実柚里が好きな衣織と、昨日楽しくデートまがいの事をしてしまったから。
しかし何もなかった顔をして、しれっと実柚里に近付いた。
「うん」
「そっかぁ」
振り向いて笑顔を向ける実柚里と、立ったまま返事をした美来。
しばらくの沈黙が二人の間に流れた。
実柚里はこの空気をまったく気にしていないようだから、もしかすると自分一人が気まずいのかもしれないと思った美来は、数回頷きながらハルの右隣りに腰を下ろした。
「……いや、気まず」
ハルはそう言うと、気だるげな様子で美来を見た。
「俺挟むなよ」
「いや、だって……。別にいいでしょ? 三人で仲良く喋ったら」
「三人で仲良く喋る内容なんて、なにがあんだよ」
やはり面倒くさそうにハルはそういう。
本当にハルはこんな時、空気を読まずに遠慮なく喋る。
いつもはハルのそんな部分を肝が据わっていると思うが、今となっては少し腹立たしい。
「お前らが隣に座れよ。どうせしばらくしたら女子トークとかで盛り上がるんだろ。どうせ男は邪魔なんだから、少しの辛抱だろーが」
「……ハル、女に恨みでもあるの?」
このちゃらんぽらんに女の影を感じたことは出会ってからの二年間で一度としてないが、もしかすると女に壮絶なトラウマを抱いているのではないか。
前に結婚の話をした時も、女性を疑う様な発言をしていたことを思い出し興味が湧いた美来だったが、まともに答えてくれる気はしなかったので質問するのはやめておいた。
しかしなんだかこのままでは何も悪くない実柚里に気を使わせてしまいそうだと思った美来は、ハルの左隣。つまり、ハルと実柚里の間に移動した。
「隣、いいかな? 実柚里ちゃん」
「うん。どうぞどうぞ」
実柚里は隣で仲良さげに二人が話をしていても、まったく気にしていない様子だ。
それどころか、先日仲直りした事ももう自分の中では完全に解決済みらしい。
すこし気まずいと思った自分があほらしく感じる程。
見た目はこんなに可愛らしい感じなのに、案外図太いのか、ギャップあっていいな、と変な所で感心していた。
それからまた、沈黙。
離れて座ればよかったものの、がらんとしたカウンターに三人でギュッと詰まっている様子を他の人が見たら、きっとテーブル席に移動したら? と思うだろうなと、他人事のように考えていた。
ハルだけなら、話題なんていくらでも見つけられる。
実柚里だけなら、ハルの言うように楽しい話題もあったのかもしれない。
最悪のポジションを陣取ってしまったかもしれない。
しかも図太い二人に囲まれて。
二人は大した感情も浮かんでこないようで、ただ飲み物を口に運んでそれぞれの世界にいる様子だった。
「最近の若い子って、どんな動画見るのかな! 気になるよね、ハル」
沈黙に耐えかねて美来は口を開く。
「いや、全然」
人の努力を無に帰そうとするハルの脛に、ヒールのつま先を刺した。
悶絶するハルをよそに、美来は実柚里に向き直った。
「どんなの見るの? 実柚里ちゃん」
ニコニコ笑顔を作った後、美来は思った。
切羽詰まって〝若い子〟という言葉をしれっと使っているあたりが、なんだか取り返しのつかない気分になって落ち込む。
繊細過ぎるだろ。めんどくさ。と自分の事を思って、また少し落ち込む。
「うーん。私はチョコプレかなー」
全く聞き覚えのない実柚里の言葉に、相槌すら打てなかった。
わかるのはそれがきっと何かの略語だという事くらいだ。
「え? えーっと。ちょこ……? ……ちょ、ちょこっと?」
「プレゼント!」
美来が必死の様子で〝ちょこっと〟を絞り出すと、隣にいたハルがひらめいた、とでも言いたげな顔で言う。
どちらもハズレだという事は、実柚里の可愛らしい顔の眉間に、だんだんと皺が深く刻み込まれて行く様で明確だった。
「チョコレートプレシャス!! ……知らないの?」
正式名称を伝えた後の美来とハルがピンと来ていない事を察したのか、実柚里は信じられない。という顔をしている。
「知らないよね……?」
凄く有名な人でもしかすると自分は本当におばさんになってしまって、話についていけないのではないかと心配して美来は恐る恐るハルにそう問いかけた。
「いや、お前さァ。なに勝手に決めつけてんの? 知ってるわけねーだろ」
ああ、よかった。ここにも一人時代についていけないヤツがいた。
こんな時のハルには途方もない安心感がある。
もはや美来はハルを世捨て人だと思っていた。
「これだよ、これ」
実柚里はそう言うと、派手なスマホカバーをくるりとひっくり返して、画面を二人に向けた。
そこには〝チョコプレ〟の文字と、五人のタイプの違うイケメンが、画面ごしに笑顔を向けているイラストだった。
「何してる人達?」
「楽しく遊んだり~歌を歌ったり~いろいろ」
実柚里はそう言うと、こちらに向けている画面をのぞき込むようにしてスマホを操作した。
ふわりと香るシャンプーの匂いにキュンとした。どうして女の子って、こんなにいい匂いがするんだ。
「私の推しはこの人なの~」
実柚里はネイルが施された爪で、ピンク髪のイケメンのイラストを指さした。
画面がスクロールされる所を見ていると、実際の顔を出した彼が写る。
画面に映っている顔にぎょっとして、一瞬心臓が大きく音を立てた。
アイドル顔負けの文句なしのイケメンが写っている。
「この人……」
「衣織に似てると思わない!?」
そういう事だ。
言いたかったのはそういう事。
別人だと判断できるくらいだが、よく似ている。
しかし美来は、実柚里の口から出た名前にどんな返事をしたらいいのかわからず思わず押し黙った。
昨日の個人的な出来事もあるが、何より衣織は実柚里を本当に覚えていない様子で、実柚里はそれに落ち込んだ様子を見せていた。
あんなことがあったというのに、なぜか実柚里の顔は、気を遣うのが余計なお世話なのではないかと思うくらい、キラキラしている。
朝から、というか昼から頭が痛い。
酒を飲み過ぎたからだ。
嫌味なくらい良い天気が、こんな時間まで寝ていた事に対する罪悪感を誘発する。
そしてお決まりのパターン。
今から休日を良いものにしよう、という悪あがき。
悶々とした気持ちを受け入れてくれるのはあの場所しかない。
美来は昼過ぎにチャットアプリで連絡先一覧を開いた。
初期設定のアイコンはイメージ通り。
ただ、性格的にフルネームで登録しそうなのに、「ハル」という名前で登録している所がまた、あの男の不思議な所だ。
あっけらかんとしているように見えて、自分にとって大切な部分は隠している様な人だ。
【教育】
〝今日行く〟という言葉が変換ミスだという事には当然気付いていたが、大して気にもせずにそのまま送信ボタンを押した。
ハルだしいいか。という完全な怠慢。
修正するという所まで行動する気になれない。
それに昨日は酒を飲んだから頭がいたい。
ああいう場所で飲む酒が次の日に響きやすいのには、何か理由があるのだろうか。
【り】
やはりハルは内容を読み取ってくれたようで、一文字だけ返事が届く。
〝了解〟という意味だが、ハルが来るとは限らない。
恐らくハルは、〝お前が行くのは、了解〟という意味で使っているのだと思う。
以前、連絡をしてハルが来なかったときに詰め寄ると、「じゃあ普通に〝来てほしい〟って言えよ。あと、お前の奢りな」と言われた為、言わないと誓っている。
しかし、いちいち送ってくるなよ、とも思っていなさそうだ。
それがまた〝ハル〟という男の不思議な所だ。
同じ大人でも、美来から見たハルは本当に自由気ままに生きていた。
目標なのかもしれない。
ハルの様に人の目を気にせずに生活が出来たらいいのにという、指針の様な存在。
だからハルと酒を飲んでいると安心する。
だけど同時に、自分に素直になって生き方られない自分が、ほんの少し嫌になる。
夕方。
ドアについたベルの音で振り返ったのは、カウンターに座る二人。
一人はハルで、一つ席を飛ばして左隣に座っているのは、予想外のお客様だった。
美来はなぜかほんの少しだけ緊張した。
「いらっしゃーい。ああ、美来ちゃん。いらっしゃい」
カウンターの奥の暖簾から顔を出した美妙子は、来たのが美来だと分かるとまた暖簾の奥に引っ込んでいった。
「実柚里ちゃんも来てたんだ」
そう声にだして、緊張した理由が明確になる。
衣織だ。実柚里が好きな衣織と、昨日楽しくデートまがいの事をしてしまったから。
しかし何もなかった顔をして、しれっと実柚里に近付いた。
「うん」
「そっかぁ」
振り向いて笑顔を向ける実柚里と、立ったまま返事をした美来。
しばらくの沈黙が二人の間に流れた。
実柚里はこの空気をまったく気にしていないようだから、もしかすると自分一人が気まずいのかもしれないと思った美来は、数回頷きながらハルの右隣りに腰を下ろした。
「……いや、気まず」
ハルはそう言うと、気だるげな様子で美来を見た。
「俺挟むなよ」
「いや、だって……。別にいいでしょ? 三人で仲良く喋ったら」
「三人で仲良く喋る内容なんて、なにがあんだよ」
やはり面倒くさそうにハルはそういう。
本当にハルはこんな時、空気を読まずに遠慮なく喋る。
いつもはハルのそんな部分を肝が据わっていると思うが、今となっては少し腹立たしい。
「お前らが隣に座れよ。どうせしばらくしたら女子トークとかで盛り上がるんだろ。どうせ男は邪魔なんだから、少しの辛抱だろーが」
「……ハル、女に恨みでもあるの?」
このちゃらんぽらんに女の影を感じたことは出会ってからの二年間で一度としてないが、もしかすると女に壮絶なトラウマを抱いているのではないか。
前に結婚の話をした時も、女性を疑う様な発言をしていたことを思い出し興味が湧いた美来だったが、まともに答えてくれる気はしなかったので質問するのはやめておいた。
しかしなんだかこのままでは何も悪くない実柚里に気を使わせてしまいそうだと思った美来は、ハルの左隣。つまり、ハルと実柚里の間に移動した。
「隣、いいかな? 実柚里ちゃん」
「うん。どうぞどうぞ」
実柚里は隣で仲良さげに二人が話をしていても、まったく気にしていない様子だ。
それどころか、先日仲直りした事ももう自分の中では完全に解決済みらしい。
すこし気まずいと思った自分があほらしく感じる程。
見た目はこんなに可愛らしい感じなのに、案外図太いのか、ギャップあっていいな、と変な所で感心していた。
それからまた、沈黙。
離れて座ればよかったものの、がらんとしたカウンターに三人でギュッと詰まっている様子を他の人が見たら、きっとテーブル席に移動したら? と思うだろうなと、他人事のように考えていた。
ハルだけなら、話題なんていくらでも見つけられる。
実柚里だけなら、ハルの言うように楽しい話題もあったのかもしれない。
最悪のポジションを陣取ってしまったかもしれない。
しかも図太い二人に囲まれて。
二人は大した感情も浮かんでこないようで、ただ飲み物を口に運んでそれぞれの世界にいる様子だった。
「最近の若い子って、どんな動画見るのかな! 気になるよね、ハル」
沈黙に耐えかねて美来は口を開く。
「いや、全然」
人の努力を無に帰そうとするハルの脛に、ヒールのつま先を刺した。
悶絶するハルをよそに、美来は実柚里に向き直った。
「どんなの見るの? 実柚里ちゃん」
ニコニコ笑顔を作った後、美来は思った。
切羽詰まって〝若い子〟という言葉をしれっと使っているあたりが、なんだか取り返しのつかない気分になって落ち込む。
繊細過ぎるだろ。めんどくさ。と自分の事を思って、また少し落ち込む。
「うーん。私はチョコプレかなー」
全く聞き覚えのない実柚里の言葉に、相槌すら打てなかった。
わかるのはそれがきっと何かの略語だという事くらいだ。
「え? えーっと。ちょこ……? ……ちょ、ちょこっと?」
「プレゼント!」
美来が必死の様子で〝ちょこっと〟を絞り出すと、隣にいたハルがひらめいた、とでも言いたげな顔で言う。
どちらもハズレだという事は、実柚里の可愛らしい顔の眉間に、だんだんと皺が深く刻み込まれて行く様で明確だった。
「チョコレートプレシャス!! ……知らないの?」
正式名称を伝えた後の美来とハルがピンと来ていない事を察したのか、実柚里は信じられない。という顔をしている。
「知らないよね……?」
凄く有名な人でもしかすると自分は本当におばさんになってしまって、話についていけないのではないかと心配して美来は恐る恐るハルにそう問いかけた。
「いや、お前さァ。なに勝手に決めつけてんの? 知ってるわけねーだろ」
ああ、よかった。ここにも一人時代についていけないヤツがいた。
こんな時のハルには途方もない安心感がある。
もはや美来はハルを世捨て人だと思っていた。
「これだよ、これ」
実柚里はそう言うと、派手なスマホカバーをくるりとひっくり返して、画面を二人に向けた。
そこには〝チョコプレ〟の文字と、五人のタイプの違うイケメンが、画面ごしに笑顔を向けているイラストだった。
「何してる人達?」
「楽しく遊んだり~歌を歌ったり~いろいろ」
実柚里はそう言うと、こちらに向けている画面をのぞき込むようにしてスマホを操作した。
ふわりと香るシャンプーの匂いにキュンとした。どうして女の子って、こんなにいい匂いがするんだ。
「私の推しはこの人なの~」
実柚里はネイルが施された爪で、ピンク髪のイケメンのイラストを指さした。
画面がスクロールされる所を見ていると、実際の顔を出した彼が写る。
画面に映っている顔にぎょっとして、一瞬心臓が大きく音を立てた。
アイドル顔負けの文句なしのイケメンが写っている。
「この人……」
「衣織に似てると思わない!?」
そういう事だ。
言いたかったのはそういう事。
別人だと判断できるくらいだが、よく似ている。
しかし美来は、実柚里の口から出た名前にどんな返事をしたらいいのかわからず思わず押し黙った。
昨日の個人的な出来事もあるが、何より衣織は実柚里を本当に覚えていない様子で、実柚里はそれに落ち込んだ様子を見せていた。
あんなことがあったというのに、なぜか実柚里の顔は、気を遣うのが余計なお世話なのではないかと思うくらい、キラキラしている。