ダメな大人の見本的な人生

01:ストーカーとタバコの味

 目を覚まして時計を確認すると、時刻は午前2時31分。頭がぼんやりとしているはずだ。身体を起こして隣を見ると、彼はすやすやとどこかあどけなさの残る顔で眠っていた。

 彼の顔を見てつい数時間前の出来事を思い出せば、心臓が一度大きく音を立てる。

 悪くなかった。悪くない所か結構良かったし、貞操観念を無視して言うなら、頭を抱えるくらいとんでもなく好きだ。
 もう一度昨日の一連の出来事をなぞってドキドキしてにやけたいくらい好きだし、なんなら定期的に関係があってもいいんじゃないかと思うくらいには好きだ。

 気持ちよさそうに眠る彼は本当に二十歳なのだろうか。
 女の全てを知った上で寄り添っている抱き方をする二十歳がいる世界線なんて知らない。

 世間は広いな、と妙な所に感心した後は、若く見られたくて年齢詐欺ってるんじゃないの。と本気で疑いにかかっていた。

 自分の感情が完全に迷子になったころ、なんだか妙に大人としていけない事をした気になる。

 やってしまった。
 二十歳の子と。

 やってしまったけど、まあ、いいか。同意だし。くらいの気持ちで、美来はこっそりとベッドから抜け出して床に放られた上着のポケットの中から新箱のタバコと安物のライターを取り出した。

 リビングまでの短い距離を歩いて、完全に酔いが醒めている事も、寝不足で頭が痛む事もわかったが、タバコが吸いたいという気持ちの前ではそんな不調なんて取るに足らない。

 お相手の年齢が若い合コンにどうしても参加してほしいとそこそこ仲のいい友達に頼まれて、断り切れなかった。
 誰かを持ち帰る気も持ち帰られる気もさらさらなかったはずなんだけど。

 自分の甘さが招いた結果。

 折角ここ二年やめていたのに、急にどうしようもなくタバコが吸いたくなって、ひと箱だけと決めて買ったのも、完全に自分の甘さ。

 30歳までにモテないポイントが100ポイント溜まったら結婚できないとして、タバコは20ポイントくらいか。たった5本で人生目標挫折という自分ルールと手のひらのタバコを見つめて葛藤した。

 まあ葛藤はしてみたが、勢いで買った今はもう安くないこの20本を捨てるのは勿体ないので、この一箱が無くなったらもう一度禁煙する。という、お手本のようなクズっぷりを発揮している事には気づかないふりをして、美来はリビングのソファに腰かけて、ローテーブルにタバコとライターを置いた。

 美来の腰かけたソファの隣には、いつの間にかカバンと一緒に飲みかけの水が入ったペットボトルが放り投げられている。そのペットボトルが自分の為に彼が買ってくれたものなのか、彼が彼の為に買ったものかはわからないが、それを手に取って水を飲み下した。

「俺にもちょうだい」

 後ろから腕が回ると同時に聞こえた声に、美来はびくりと肩を浮かせてその拍子にペットボトルを手放したが、彼は「おお」と少し驚いた声を出して、美来が手放したペットボトルを握った。

「セーフ」
「ちょっと、やめてよ。ビックリした」
「うん、ごめん。でも、ビックリした顔も綺麗だよ」

 歯が浮く様な台詞を微風くらいあっさりと言う彼は、首を傾げて綺麗な顔で笑っている。

「昨日は……って言うか、さっきは楽しかったね」

 どうして二十歳の子に余裕があって、三十路前の自分に余裕がないのか。
 悔しい気持ちや情けなさに、ため息を吐き捨てた。

「君、名前なんていうの?」
「衣織」
「衣織くんさ、本当に二十歳? 年齢詐欺ってない?」
「俺、18歳だけど」
「……じゅ……え、はっ……は?」

 18歳と20歳なんて天と地くらい差がある。下手したら高校生という事だ。
 だとしたらとんでもないことをしでかした。

「18歳って言って、拒絶されたら困るから。20って嘘ついた。ごめんね」

 待て待て、待ってくれ。
 逆詐欺じゃん。

 18歳って犯罪じゃないよね?
 訴えられたり、捕まったりしないよね?

 心底不安になった美来は隣に放られたバックからスマホ取り出し、ローテーブルに置いたタバコとライターをもって足早にキッチンに向かいながら、顔認証でスマホのロックを解除した。
 
 元彼から貰ってもう二度と使わないだろうと思っていたマグカップを取り出して水を張った後、キッチンの換気扇を稼働させる。そしてやっと、タバコに火をつけた。

 部屋がタバコ臭くなるなんて、もはやどうでもいい。

 〝18歳〟〝性行為〟〝犯罪〟など、思いつく限りの言葉を入れると〝未成年淫行〟という言葉が出てくる。
 頭が痛い。

「なにしてるの?」
「タバコ」
「それは見たらわかるよ。スマホ使って何してるの? って事」
「この状況が犯罪かどうか調べてる。」

 衣織はすぐ側に立って、美来の様子をただ見ていた。
 18歳未満? 未満って18歳も含むんだっけ。含まないんだっけ。
 次はそれを調べようと検索エンジンに入力しようとしたところで、美来の手からスマホがすり抜けた。

「ちょっと……!」
「灰、落ちそうだから。ちょっと落ち着こうよ」

 衣織は美来から取り上げたスマホを自分の頭より高い位置に持って行く。
 これでは身長差から手が届かないし、衣織の言う通りタバコの灰は今にも落ちそうだった。

 一体誰のせいでこんなことになってると思ってんの? という言葉を飲み込んでトントンとコップのふちにタバコを弾ませると、コップのふちについていた水が、タバコにしみ込んだ。

「どちらかと言えば俺が襲ったんだし、そんな事心配しなくていいよ」
「君はさ! どうやっても、」
「衣織」
「……衣織くんはどうやっても被害者側なんだから、何とでも言えるでしょ」
「もしお姉さんが捕まることがあったら、俺が証言してあげる。俺が酒飲ませて無理矢理部屋に入って襲いましたって。……それよりさァ、もう一回しようよ」
「するわけないでしょ。私を犯罪者にしたいの?」
「えー。なんで? 相性すごいよかったじゃん。それともお姉さんはずっと演技してた?」

 そういう問題じゃないんだ。
 こっちはあの最高の夜の事も含めて目の前の男が18歳だという事実に衝撃を受けているんだ。

 これだから子どもは嫌いだ。
 後先考えないで、どんなことでもなんとかなると思ってる。

 世の中そんなに甘くないからなと、小一時間かけて説教してやりたい気分だ。

 酒飲んで我を忘れて18歳とやることやったと知っても、話を聞いてくれる物好きで心優しい人がいるなら。

「ちなみに18歳未満って17までだからお姉さんセーフだよ」

 なんだ、セーフなのかと安心すれば、後の事はもうどうでもよくなった。

 顔もいいし、相性もいい。
 勿体ない。非常に勿体ないが、結婚相手としては機能しない。

 よくあるワンナイトラブ。
 後はもうテキトーな感じでシャットアウト。
 ただ、それだけだ。

 確実に女を沼らせるタイプの男。
 女にのめり込むタイプではなさそうだったのは幸いだ。

 美来がタバコを口に咥えて吸い込んで口から離すと、衣織はそれを奪うように取った。

「セーフだから、俺もっと知りたいな~。お姉さんに教えてほしい。オトナってやつ」

 衣織はわざとらしく、それでいて情欲を混ぜたような声色でそう言うと、美来に唇を割って舌をねじ込ませた。

 それからすぐ、衣織は曇った声を出して顔をしかめた。美来は唇を離して彼の顔に煙を吹きかける。
 咽る衣織からタバコを奪い返した美来は、何事もなかったかのように口をつける。衣織はひとしきり咽た後、舌を出した。

「うえー。まっず」
「ざまーみろ」
「……それ、マジで美味しいと思って吸ってるの?」
「どんな新鮮な空気より美味しいと思って吸ってる。大人の深呼吸だから」

 こんな風だから結婚できないんだと自分で思ったが、10以上年下の子は恋愛対象じゃない。テキトーに対応して、お帰りいただこう。

 そう思ったはいいが、18歳の子をこんな夜中に放り出すのはさすがにまずいのではないかと新たな悩みが生まれて、美来はため息を吐いた。

「普段からこういう事やってるの?」
「こういう事って?」
「合コンで年上狙って持ち帰るとか」
「んー。……そういうのはないかな。あ、そういえば、お友達から聞いてないの? 今日、合コンにお姉さん誘ってほしいって言ったの俺だって」
「……は?」

 美来は思わず口元にタバコを運ぼうとした手を止めた。

「たまたま見かけたんだよね。それで顔がタイプ過ぎたから、いろんな人に連絡とってお姉さんと繋がってる人見つけて、合コンに誘ってほしいって言った」

 どうしても来てほしいと言われるはずだ。
 合点がいった美来はため息を吐いてタバコに口をつけようとして、また手を止めた。

「……え、怖っ。ストーカーじゃん」
「でも俺、害はないよ」

 もう害じゃん。という言葉を放つと、でも、だって。とループになると悟った美来はとりあえず落ち着こうとタバコを口に咥えた。

 昨日の夜も乱暴ってわけじゃなかったし、好きだったし、まあ別にいいか。となっているのは、年齢のせいか。それとも、もともとの危機管理能力が低いのか。

「結婚するまで……いや、彼氏ができるまででいいよ。俺と遊ぼうよ」
「彼氏、ねー」

 彼氏を作るハードルが、そんなに高いと思ったことはない。
 つまり身体の関係を強制的に終わらせたいなら、とりあえず彼氏を作ればいいという事だ。

 それならまあ悪くない提案だと思ったが、肯定してしまうのもなんだか違うので、いったんオブラートに包む事にした。

「すぐできるよ。彼氏くらいなら」
「そうなったら俺達、エッチできなくなっちゃうね」

 短くなったタバコが水を吸って音を立てて消えた事と、心臓が一度しっかりと音を立てたタイミングは、ほとんど同じだった。

 想像していなかった返しに反応できないままの美来を見た衣織は、待ってましたと言わんばかりに美来の腰に腕を回した。

「じゃあやっぱり、もう一回しよ。もしかすると明日には、彼氏できちゃうかもしれないから」

 衣織は美来の返事を聞くこともなく、ほとんど強制的に上から唇を落とした。
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