ダメな大人の見本的な人生

22:寂しさに付け入られる

 後から来た新規のお客さんに気に入られたハルは、テーブル席に移動して酒をご馳走になっていた。
 そして「小さい会社だけど、うちの社員にならない?」と声をかけられていた。

 それをハルははっきりと断るが、相手に気を悪くした様子はない。
 ハルにはそう言う才能がある。

 ちゃらんぽらんしていても人を引き付けて、人と適度な距離を取る。そんな才能。

 時刻は10時を過ぎた所。

 まだまだこれからだと言いたいところだが、新規のお客さんの増えたスナックでは美妙子は忙しそうにしている。

 常連ともなれば美妙子のタイミングが何となくわかっているから、見計らって酒やつまみを頼む。
 だから新規の客が来るといつもあわただしくなって、少ない人数で来る常連はどこか、肩身の狭い思いをする。

 スナックから出ると、看板の隣には衣織が座り込んでいた。
 彼をみつけて、どうしてこんなに安心した気持ちになるのかは、全くわからない。

「衣織くん」

 美来が呼ぶと、衣織はスマートフォンから顔を上げた。

「おかえり、美来さん」

 そして、泣きたくなるくらい屈託のない笑顔を浮かべる。
 自分が酒に酔っている事も、よく分かっていた。

「……なにしてるの? こんなところで」
「美来さん待ってた」
「待ってたって……いつ出てくるかもわからないのに」
「うん。でも別に、暇つぶしには困らないし」

 そういって衣織はスマートフォンを見てからそれをポケットにしまった。

 聞きたいのはそういう事じゃなくて。
 どうせ待っているなら、スナックの中で待っていたらよかったのに、どうして入ってこないの? という事。

 しかし、それを口にする気にはなれなかった。

「私、もう帰るよ」

 本心でそう思っている。当然だ。もう帰ろうと思って外に出てきたんだから。

 それなのに、心のどこかで引っかかる。
 もしかして今自分は酔った勢いに任せて、衣織を試しているのではないか。

「じゃあ送って行く」

 心の中では、そう来るよね、という少しの安心。
 それから、そうじゃなくてという反抗。

 送るって何。
 そして今日は今の時間まで何してたの。

 という、めんどくさめの彼女みたいなことを思っている。
 一体今、自分が何を望んでいるのか、美来には全くわからなかった。

 歩き出した美来の隣には、当然の様に衣織が並ぶ。

 しばらくの沈黙を破ったのは衣織だった。

「ねー、美来さん」
「なに?」
「女の人がすぐ結婚って言うの、なんで?」

 恋愛に向いていないと自負しておいて、この質問。
 さてはどこぞのお姉様に迫られたな。とまた変な勘を働かせる。

 これがいい傾向ではないと酔った頭でもそう思うから、極めて冷静に見える様に努めた。

 一体どの面を下げてその質問をするのだろうと思った美来はちらりと衣織を見たが、彼はいつも通りの表情で、どんな意図でその質問をしているのか読み取る事は出来なかった。

「女の花は短いからじゃないかな」

 できれば直近の悩みド真ん中である質問は勘弁してほしかった。
 しかし、〝その話はやめて〟というのもなんだか違う気がして。美来はただ、衣織が自ら話題を変えるのを待っていた。

「そっか」

 衣織は返事をして、黙った。
 沈黙が痛い気がするのはきっと自分だけなのだろうと美来は分かっていて、口を開いた。

「どうしたの? 急に」

 美来の質問に、衣織は答えない。
 自分から持ち出してきた話題は、どうやらこれでおしまいらしい。

「美来さん、時々デートしてるよね」
「そりゃ私だってデートくらいするよ」
「俺とのデートじゃダメなの?」

 衣織は素朴な質問を問いかける小学生みたいに、純粋な様子でそう言った。
 この子は時々、心が綺麗なのか、汚いのか、よく分からない。

「デートはね、関係性を築くためにするんだよ」
「そっか。……じゃあもっとデートしよ」

 衣織はいつもの衣織節全開で言う。
 
「はいはい」

 そう返事をしたはいいが、美来は二人でデートをする気はもうなかった。

 あれは成り行きみたいなものだ。
 確かに楽しかったが、わざわざ予定を合わせて二人で出かける気にはなれない。

 明確に、鮮明に、あのデート終わりのコンビニの前で見た、衣織と女性を思い出す。

 衣織の女関係が複数存在しているとして、いや、複数存在しているだろうが。
 〝顔〟という武器があり、会う頻度を考えると、そこそこ上位にいるという自負の様な優越感があったという事は、この期に及んで否定できない。

 なんて情けない話だと思った。

 身体だけの関係でいいのなら、紛らわしい事はしなければいい。
 たくさんの女がいるのに、平気で思わせぶりな態度がとれる事に美来は疑問を感じていた。

 もしかすると衣織は、思わせぶりな態度とすら思っていないのかもしれないが。

「俺、美来さんなら飼ってもいいよ」

 さらりと言う予想外の言葉に、美来はしばらく反応できずにいた。

「は? 飼う?」
「うん。俺が大学卒業して働く様になったら、衣食住の提供をしてもいいって事」

 この子もハル同様に人間として大切な何かを母親のお腹の中に忘れてきてしまったんだろうか。

 そして私をペットか何かだと思っているのか。
 そんな疑問は、突拍子もなさすぎる提案で口に出すことはできなかった。

 この子は本当に将来大丈夫だろうか。

 急に〝自分だけの王国を作る〟とか言い出して、一夫多妻制を個人的に行うようになったりしないだろうか。
 美来は割と本気で衣織の将来を心配していた。

「美来さんは何もしなくていいよ。結婚する? そういう事になるよね」

 ならないよね。

 というツッコミさえ面倒くさい。

 〝結婚〟という単語に明らかに過剰反応する自分をどうにかしたい。
 大体、10歳も年の離れた子どもに結婚を持ちかけられて一体自分に何の得があるというのだ。

「俺は事実婚とかでいいと思うけど。なんか美来さん逃げそうだし」
「〝結婚〟と〝逃げそう〟って言うワードは普通同じ話題で出てこないんだよ」

 完全にずれていると思う。しかしこの子のずれを修正するなんて神業は当然一般人にはできないため、美来は衣織の将来はさっさと諦めてさらりと流す方向にシフトチェンジした。

「君は結婚を悪魔の契約か何かだと思っているのかな?」
「結婚ってそういうモンじゃないの?」

 衣織は大して興味なさげに、足元を見てバランスを取って歩いていた。

 何をしているのだろうと美来が視線を移すと、白い線の上を歩いている。
 おそらく一人で白い線からはみ出したら負け、というゲームを行っているのだろう。

 〝結婚〟と〝逃げそう〟というワードを同じ話題の中で出しながら、白線からはみ出さないゲーム。

 将来この子と一緒になる人は本当に大変だ。

 まともに相手をしても無駄だという結論。

 美来はなぜか吹っ切れた気持ちになっていた。
 衣織の陰にいるであろうお姉さんの事なんて、今ならきれいさっぱりなかったことにできるのでないかと思うくらい。

「要は結婚って〝お前はオレのものだ。絶対に逃がさない〟っていう契約でしょ?」

 このそうだけど、そうじゃない感を説明できるほどの語彙力を、残念ながら美来は持ち合わせてはいなかった。

 矢印が男性側から女性側への一方通行すぎて、どうしてこの子の中で本来夢があるはずの〝結婚〟というものがここまで歪んでいるのか。

 そしてどうして衣織自身がそこまで捻くれているのか、美来には全くわからない。

 彼が親元にいる時にオーガニックボーイだったことも含めて、もしかすると親の影響で歪んでしまったのかもしれない。

 いずれにしてもだ。
 彼は性格の歪んでいる部分のほぼすべてを容姿でカバーしているという事だ。
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