ダメな大人の見本的な人生

24:強行突破

「こんばんは」
「あ、こんばんは」

 脳内で勝手にストーカー疑惑が浮上したお兄さんとは、約一週間の間に挨拶を交わすくらいの間柄にはなった。
 三日に一度は必ず会う頻度に、衣織といた時にはどれだけ周りを見ていなかったのかという、自分の不注意さを思い知らされていた。

「お仕事帰りですか?」
「あっ……まあ」

 プライベートな事、というかなるべく身の回りの事は知られたくなかった美来は曖昧に返事をする。
 まあ、普通に平日のこの時間に帰ってくれば仕事帰りだという事は、深く考えなくてもわかる事だが。

「お疲れ様です」

 しかし、深く突っ込まれることもなく、お兄さんは笑顔を一つ残して去っていく。

 ストーカーかもしれないなんて被害妄想を自分の中だけとは言え繰り広げたことが申し訳なくなるくらい紳士的な対応だった。

 あれから一週間以上経った。衣織とは会っていない。
 いつもなら〝美来さん〟〝美来さん〟と言って所かまわず現れるくせに。
 あの日から衣織は職場は勿論、スナックにさえ顔を出さない。

 連絡が来ることもなかった。

 次に衣織にあった日には、大人げない事をしたと謝ろうと思っていた。
 しかし、一向にその日は来ない。
 自分から連絡をしようかとも考えたが、変なプライドが邪魔をする。

 それに取ってつけたように、〝だって自分から連絡するとまた懐かれるかもしれない〟だとか〝なんだかんだ会いたいと思っていたんだ〟と思われても困るだとか、使い道のない正当化する言い訳ばかりが頭の中に流れてくるのだ。

 スマートフォンが鳴る。
 美来はすぐに画面を見た。

 感情が明らかにスローダウンする。

【紹介してほしいってよー。うちらの一つ上】

 衣織からの連絡ではなくて、友人から。
 それから送られてきた写真には、海をバッグに座っている男性が映っている。
 いかにもSNSのアイコンになっていそうな写真だった。

【どうする?】

 仕事をして、疲れたらスナックに行って。
 時々友達に誰かを紹介してもらったり。デートしてみたり。

 衣織がいない生活は、確かにこんな色だった様な気がする。
 いつも同じことの繰り返し。

 一連の流れを〝生きる〟というなら、これの一体何が楽しいのだろうと思うくらい、味気ない。

【いいよー】

 考えるより先に返事をしたのは、ありきたりな一連の流れから一刻も早く抜け出さなければと、心の深い部分で考えたから。

 返事をしたあとで、これもいつもの流れであることに気が付いて、それから少し自己嫌悪する。

 結局、抜け出せない。
 頭から、衣織が離れない。

 ここ最近は数日ともたなかったくせに、一週間以上顔を見ていない所か連絡すらない。

 どこで何をしているのか。
 もう顔がいいだけの女を追いかける事には飽きてしまったのか。
 もう二度と、顔を見る事も、連絡を取ることもないのだろうか。

 そもそも、だ。
 そんなに酷いことをしただろうか。

 ああ、ダメだ。また始まった。これは責任転嫁だ。
 自分を正当化するための言い訳。

 衣織の姿を見なくなってからずっと、こんなことを繰り返している。

 スマートフォンが鳴って、美来はまたすぐに内容を確認した。
 そして、肩を落とす。

【こんばんは。連絡先を教えてくださってありがとうございます。――】

 から始まる、丁寧で誠実な文章。
 衣織にはきっと天地がひっくり返っても、こんな文章は打てないだろう。

 大人にしか打てない文章。

 子どもの彼に打てるはずがない。
 そう思うのに、最後にあった衣織は酷く大人びて見えた。

 あの時、これ以上関わると面倒だと思っての行動だったのなら。きっと衣織はもう二度と自分と会うつもりはないのだろう。

 いままでベタベタしていたあの子が? と思う気持ちが出てくると同時に、あの日の自分は二度と関わらないと言われても仕方のないくらい面倒くさい女だったという自覚もあった。

 返事を打ちながら、手を止めた。
 この男性だけではない。今まで連絡先を聞いてきた男性は、話しかけてきた男性は一体、どんな気持ちで自分と関わろうとするのだろう。

 彼女にしたいから? それとも、ただ体の関係が欲しいから。
 将来を考えているから? それともただ単純に、興味があったから。

 もしかするとただ、なんとなく。という理由もあり得るのだろうか。

 そこまで考えて、美来は今までずっと相手の事を考えていなかったのだという事を悟った。
 どんな気持ちで自分と関わってくれているのだろうとか、自分とどうなりたいのだろうとか。

 それは〝付き合おう〟と言われて初めて考える事であって、声を掛けられる側も考えなければいけないなんて、考えもしなかった。

 だから、だ。
 だから衣織が関わろうとしても、自分はテキトーに対応していればいいのだと思っていたのだ。

 今までの男性だってそうだ。

 美来は一度、男性とのトーク画面を閉じた。

 そして、初期アイコンの〝衣織〟に触れてみる。

 見返していて、悲しくなってくる。

 衣織の疑問に対して、曖昧なスタンプを一つ押しているだけ。

 文章なんてほとんど打っていなかった。
 〝うん〟とか〝そう〟とか、ばかり。

 こんな女に一か月以上関わろうとしてくれただけでも、本当は感謝しなければいけないのだ。

 堪らない気持ちになって、衣織に連絡しようと画面をタップした。
 すぐに文字入力をする画面になる。

 しかし、何か打ち込もうと思っても、何一つ思い浮かばなかった。

 今連絡すれば衣織の思うツボなのではないかとか、衣織が自分を試しているのではないかとか、そんな事ばかりが頭の中を走りまわる。

 一体、何から話して、どこに着地すればいいのか。

 考える事が面倒になった美来は、電話なら出てくれるだろうかと直感でそう思った。
 しかし、反論が思いつくよりも先に、考えを取り下げた。

 どんな文字を打てばいいのかわからないのに、話ができるはずがない。

 美来はため息をついて、衣織とのトーク画面から離れた。

 そして、もう一度男性とのトーク画面を開く。

 進む勇気がないなら諦めるしかない。
 いつでもどんな時でも、その法則は揺るがない。

【こんばんは。こちらこそ――】

 あくまで事務的な、大人の会話をすらすらと書き込んでいく。
 まるで定型文の様に、当たり障りのない言葉を並べた。

 この上辺にだけ触れるような時間を、もう何度過ごしてきたんだろう。
 この後少しやり取りが続いて、直接会いたいと言われる。

 流れだってもう、分かり切っていて。
 そこに面白みも楽しさも、何一つなかった。
 本当にただ、流れているだけのような作業。

 なぜか急に、その流れに抗いたくなった。

 美来はすべての文章を消して、文字を打ち直した。

【直接会いませんか】

 入力し終えた後、考えるよりも先に送信ボタンをタップして画面を閉じる。

 自分だったら、こんな相手は絶対イヤだ。
 いくら自分が気になって連絡先を聞いた相手だったとしても、丁寧なあいさつを無視されて〝直接会いませんか〟って、非常識すぎるだろと幻滅すると思う。

 とんでもない事をやらかした様な気になったが、同時にこれくらいしなければ自分は何も変われない様な気がした。

 正しいのかどうかは分からない。

 スマートフォンが鳴る。
 衣織からの連絡ではない事は分かっていた。

【誘っていただけて嬉しいです。美来さんのご都合のいい日を教えてください】

 どこまでも大人な対応をする男性に、美来はゆっくりと息を吐いた。

 今まで一体、男性の何を見てきたのだろうと思う。
 探せばこんな風に、本気で向き合おうとすればこんな風に、心優しく対応してくれる人が、案外いるものだ。

 頂いたご縁は大切にしよう。
 勢いに任せた後そこに着地して、感情はスローダウンする。

 肝心の衣織の事は何一つ解決しないまま。
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