ダメな大人の見本的な人生
26:支離滅裂
「そうなの」
〝知り合いのお姉さん〟と衣織から聞いて初めて、葵は美来に視線を移した。
「はじめまして。副島葵と言います」
葵は落ち付き払った調子で笑顔を浮かべると、一切無駄のない動きで美来に名刺を渡した。
よほど自分自身に自信がある様に見える。迷いも戸惑いもない様子で。
まるで、最初から相手にしていない、とでも言いたげな。
「どうも、ありがとうございます」
名刺なんて持っていない美来は、居心地の悪さを感じながら、それを隠して葵の名刺を受け取った。
その隣で衣織は、余裕じみた様子で男に視線を向けた。
衣織と視線が合った田上は、少し居心地が悪そうな様子を見せる。
「お邪魔になるよ。行こうか、衣織くん」
「うん。じゃあね、美来さん」
さらりと撫でる様な軽い言葉を残して、衣織はその場を去った。
残された美来と田上は、しばらく沈黙の中にいた。
「世間は狭いですね。お互いの知り合いが知り合いだなんて」
田上は言葉を選んでいる様子で、そのほとんどを隠して美来に言った。
「……本当ですね」
曖昧な返事をして笑う。
ほとんど、条件反射。
しかし田上は、先ほどと同じように居心地のいい空気を作ってくれた。
酒を飲みながら、不自然に途切れる事のない田上の話に耳を傾けて、必要があれば答える。
正直、田上の言葉に確実な言葉を選んで返答ができている自信が美来にはなかった。
酒に酔っていた訳ではない。
むしろ、全く酔えなかった。
質の良すぎる酒のせいではない事は、理解している。
衣織の隣にいたあの女性は誰なのか。
随分と互いを知っている様子に見えた。
別に関係のない話だ。
衣織のプライベートな関係なんて、知ったところで別に何か自分の人生に関わりがあるわけでもない。
それが分かっているのに、気になって仕方がない。
衣織はどうして、こんなところにいるのだろう。
田上は別れ方も紳士的だった。「楽しかったです。ありがとうございました」と優しい笑顔を浮かべていた。
絶対に楽しかった訳がない。
衣織に威圧的な態度を取られて気まずい思いをしたはずだし、何よりその後から上の空だった自信もあった。
せっかくのご縁を大切にするのではなかっただろうか。
そう決意して連絡を取ったはずだったが、完全に想定外の衣織が現れた事でその決心さえも無に帰った。
大体、何であんな所にいるんだ。
子どもの来るところじゃない。
結婚相手を探し求めて四苦八苦していても初めてだったのに。
美来は思い出した様に小さなカバンの中に手を突っ込んだ。
先ほど受け取った名刺を手に取る。
株式会社Nicke代表取締役 副島 葵
代表取締役って、社長って事。
美来は歩きながらスマホで女の名前を検索した。
〝次世代を見据える 敏腕女社長〟
先ほどの女の写真と共に、写真が出てくる。
自分の力で生きて行こうとする、真逆の女性。
美来は近くのコンビニでビールとつまみを買った。
コンビニを出た瞬間に、ビールを開けて飲み下した。
もう本当に嫌だ。
衣織は顔が命なんじゃないのか。
確かに、〝敏腕女社長〟なら、金も持っているだろう。
衣織の身に着けていた服も、全部あの女が準備したものなのかもしれない。
衣織なんか大嫌いだ。
美来さん美来さんって言っていたのはなに?
恋愛は向いていないなんて言っておいて、身体の関係を持った日にフラれた女の子とも付き合っていたんだ。
本当は今日あった副島葵という女性とも付き合っていたって、何もおかしくない。
他にも付き合っている女性が何人もいて。
自分もそのうちのひとりに過ぎなかった。
特別でも何でもない、衣織のコレクションの内のひとつ。
そんな事実が待っているのだろうか。
もういい。どうせ子どものしている事なんだから。
飲んで忘れてやる。
これくらいの事で落ち込むなんてどうかしている。
あの子と関わって将来があるわけじゃない。
どうせ交わらない人生なんだ。
たまたま少し話が合って、一緒にいて楽だっただけ。
全部飲んで忘れてやる。
「こんばんは」
そう言われて顔を上げると、ストーカー疑惑がかかっていたお兄さんがいた。
正直、それどころではない。
今は他愛もない世間話なんて出来ない。
「ああ、こんばんは」
そう思う意識の外側で、反射的に返事をする。
「お酒、お好きなんですか?」
そう言われて美来は手元のビールを見た。
「そうなんです。ちょっと、むしゃくしゃしちゃって」
「話、聞きましょうか?」
「え?」
「僕でよかったら」
人に聞かせられる話な訳がない。
他人にどう説明すればいいんだ。
身体の関係を持った18歳の男の子が、自分と全く違うタイプの女性とデートしているのを見て落ち込みました?
言えるわけがない。
言えるわけがないのに、今夜は一人でいたくない。
こういう所だぞ、と自分を責めた所でなぜか急にバランスを崩した。
手に持っていたビール缶が、滑り落ちる。
幸いにも転ぶことはなかったが、何が起こったのかはわからなかった。
目の前の男も目を見開いている。
酔っているから、よろけた?
「アレ、誰?」
すぐ近くで聞こえた声に、明らかに心臓が鳴った。
そう言われて、ぐんぐんと腕を引かれる。
ストーカー疑惑がかかったお兄さんなんて、最初から見えてすらいないと言った様子で。
腕を強く引かれる感覚と、必然的に釣られて動く足で、美来はやっと正気に戻った。
「……衣織くん」
怒っている様子でも、悲しんでいる様子でもない。かといって嬉しそうかと言われれば、そんな訳もない。
衣織は、美来の家までの道を何も言わずに歩いた。
彼は一体何をしに来たのだろう。今更。
今まで何をしていたの。とかどうして会いに来なかったの。とか、浮かぶのは彼女みたいな言葉ばかり。
勘弁してほしい。
そう思うのに、疑問を上書きして、衣織に会えた嬉しさに飲まれている。
信じられない。
どうしてそれが嬉しいんだろう。
もしかすると〝もう興味なくなったから。思い出に最後に一回ヤらせて〟とかいう、最低のおねがいかもしれないのに。
それでもいいと思っている所辺りが、本当にどうかしていると思う。
アパートの駐輪場を通り過ぎる所で、衣織が立ち止まった。
どういうつもりなのだろう。
ただ送ってくれただけなのか。それとも別に理由があるのか。
何を言えばいいのかわからない美来は、衣織に腕を掴まれたまま、彼の次の行動を待っていた。
衣織が美来の腕を離した。
これから冷静に、どうしてこんな状況になっているのか話をするのだろう。
そう思ったのに、気付けば自分の顔は、すっぽりと衣織の手の中に納まっていた。
これは、マズイんじゃ。と本能が警告を鳴らした時にはもう、唇は重なっていて。
「ちょ、っと……!!」
こんなところ人に見られたらどうするんだ。
その一心で抵抗しているうちに、コンビニで買ったビールとつまみが入ったビニール袋は地面に落ちた。
〝知り合いのお姉さん〟と衣織から聞いて初めて、葵は美来に視線を移した。
「はじめまして。副島葵と言います」
葵は落ち付き払った調子で笑顔を浮かべると、一切無駄のない動きで美来に名刺を渡した。
よほど自分自身に自信がある様に見える。迷いも戸惑いもない様子で。
まるで、最初から相手にしていない、とでも言いたげな。
「どうも、ありがとうございます」
名刺なんて持っていない美来は、居心地の悪さを感じながら、それを隠して葵の名刺を受け取った。
その隣で衣織は、余裕じみた様子で男に視線を向けた。
衣織と視線が合った田上は、少し居心地が悪そうな様子を見せる。
「お邪魔になるよ。行こうか、衣織くん」
「うん。じゃあね、美来さん」
さらりと撫でる様な軽い言葉を残して、衣織はその場を去った。
残された美来と田上は、しばらく沈黙の中にいた。
「世間は狭いですね。お互いの知り合いが知り合いだなんて」
田上は言葉を選んでいる様子で、そのほとんどを隠して美来に言った。
「……本当ですね」
曖昧な返事をして笑う。
ほとんど、条件反射。
しかし田上は、先ほどと同じように居心地のいい空気を作ってくれた。
酒を飲みながら、不自然に途切れる事のない田上の話に耳を傾けて、必要があれば答える。
正直、田上の言葉に確実な言葉を選んで返答ができている自信が美来にはなかった。
酒に酔っていた訳ではない。
むしろ、全く酔えなかった。
質の良すぎる酒のせいではない事は、理解している。
衣織の隣にいたあの女性は誰なのか。
随分と互いを知っている様子に見えた。
別に関係のない話だ。
衣織のプライベートな関係なんて、知ったところで別に何か自分の人生に関わりがあるわけでもない。
それが分かっているのに、気になって仕方がない。
衣織はどうして、こんなところにいるのだろう。
田上は別れ方も紳士的だった。「楽しかったです。ありがとうございました」と優しい笑顔を浮かべていた。
絶対に楽しかった訳がない。
衣織に威圧的な態度を取られて気まずい思いをしたはずだし、何よりその後から上の空だった自信もあった。
せっかくのご縁を大切にするのではなかっただろうか。
そう決意して連絡を取ったはずだったが、完全に想定外の衣織が現れた事でその決心さえも無に帰った。
大体、何であんな所にいるんだ。
子どもの来るところじゃない。
結婚相手を探し求めて四苦八苦していても初めてだったのに。
美来は思い出した様に小さなカバンの中に手を突っ込んだ。
先ほど受け取った名刺を手に取る。
株式会社Nicke代表取締役 副島 葵
代表取締役って、社長って事。
美来は歩きながらスマホで女の名前を検索した。
〝次世代を見据える 敏腕女社長〟
先ほどの女の写真と共に、写真が出てくる。
自分の力で生きて行こうとする、真逆の女性。
美来は近くのコンビニでビールとつまみを買った。
コンビニを出た瞬間に、ビールを開けて飲み下した。
もう本当に嫌だ。
衣織は顔が命なんじゃないのか。
確かに、〝敏腕女社長〟なら、金も持っているだろう。
衣織の身に着けていた服も、全部あの女が準備したものなのかもしれない。
衣織なんか大嫌いだ。
美来さん美来さんって言っていたのはなに?
恋愛は向いていないなんて言っておいて、身体の関係を持った日にフラれた女の子とも付き合っていたんだ。
本当は今日あった副島葵という女性とも付き合っていたって、何もおかしくない。
他にも付き合っている女性が何人もいて。
自分もそのうちのひとりに過ぎなかった。
特別でも何でもない、衣織のコレクションの内のひとつ。
そんな事実が待っているのだろうか。
もういい。どうせ子どものしている事なんだから。
飲んで忘れてやる。
これくらいの事で落ち込むなんてどうかしている。
あの子と関わって将来があるわけじゃない。
どうせ交わらない人生なんだ。
たまたま少し話が合って、一緒にいて楽だっただけ。
全部飲んで忘れてやる。
「こんばんは」
そう言われて顔を上げると、ストーカー疑惑がかかっていたお兄さんがいた。
正直、それどころではない。
今は他愛もない世間話なんて出来ない。
「ああ、こんばんは」
そう思う意識の外側で、反射的に返事をする。
「お酒、お好きなんですか?」
そう言われて美来は手元のビールを見た。
「そうなんです。ちょっと、むしゃくしゃしちゃって」
「話、聞きましょうか?」
「え?」
「僕でよかったら」
人に聞かせられる話な訳がない。
他人にどう説明すればいいんだ。
身体の関係を持った18歳の男の子が、自分と全く違うタイプの女性とデートしているのを見て落ち込みました?
言えるわけがない。
言えるわけがないのに、今夜は一人でいたくない。
こういう所だぞ、と自分を責めた所でなぜか急にバランスを崩した。
手に持っていたビール缶が、滑り落ちる。
幸いにも転ぶことはなかったが、何が起こったのかはわからなかった。
目の前の男も目を見開いている。
酔っているから、よろけた?
「アレ、誰?」
すぐ近くで聞こえた声に、明らかに心臓が鳴った。
そう言われて、ぐんぐんと腕を引かれる。
ストーカー疑惑がかかったお兄さんなんて、最初から見えてすらいないと言った様子で。
腕を強く引かれる感覚と、必然的に釣られて動く足で、美来はやっと正気に戻った。
「……衣織くん」
怒っている様子でも、悲しんでいる様子でもない。かといって嬉しそうかと言われれば、そんな訳もない。
衣織は、美来の家までの道を何も言わずに歩いた。
彼は一体何をしに来たのだろう。今更。
今まで何をしていたの。とかどうして会いに来なかったの。とか、浮かぶのは彼女みたいな言葉ばかり。
勘弁してほしい。
そう思うのに、疑問を上書きして、衣織に会えた嬉しさに飲まれている。
信じられない。
どうしてそれが嬉しいんだろう。
もしかすると〝もう興味なくなったから。思い出に最後に一回ヤらせて〟とかいう、最低のおねがいかもしれないのに。
それでもいいと思っている所辺りが、本当にどうかしていると思う。
アパートの駐輪場を通り過ぎる所で、衣織が立ち止まった。
どういうつもりなのだろう。
ただ送ってくれただけなのか。それとも別に理由があるのか。
何を言えばいいのかわからない美来は、衣織に腕を掴まれたまま、彼の次の行動を待っていた。
衣織が美来の腕を離した。
これから冷静に、どうしてこんな状況になっているのか話をするのだろう。
そう思ったのに、気付けば自分の顔は、すっぽりと衣織の手の中に納まっていた。
これは、マズイんじゃ。と本能が警告を鳴らした時にはもう、唇は重なっていて。
「ちょ、っと……!!」
こんなところ人に見られたらどうするんだ。
その一心で抵抗しているうちに、コンビニで買ったビールとつまみが入ったビニール袋は地面に落ちた。