ダメな大人の見本的な人生
30:〝愛を育む〟
日曜日。美来はスナックに来ていた。
常連は関係なく来るが、日曜日のスナックに新規の客は少ない。
一応スナックに行く前にハルに連絡をしたが、何となく今日来ない予感はしていた。
最近よく付き合ってくれていたから、そろそろ来ない頃だ。
スナックみさでしか飲むことはない間柄だが、互いに互いのいい所と悪い所くらいは知っている。
だからと言ってハルと付き合えるかといわれると、ない。
不思議なくらい断言できる事だった。
〝なぜか〟という理由を問われると難しい。至極曖昧なものだ。
付き合うとか結婚とか。共同生活をするとして、恐ろしいくらいに相性が悪いだろう、と本能的にわかる。
うまくいく未来が全く見えない。
だからハルとは時々会って飲むくらいの距離感がちょうどいい。
そしてハルも全く同じことを思っているだろうから、関係としてはちょうどいい。
大人の関係だけなら、別にどうとでもなりそうな気がする。
二人で吐くほど酒を飲めばこちらからハルへの矢印は機能するだろう。全然問題ない。
恐らくハルは今の所、〝顔見知り〟くらいのレベルになっている自分に手を出すつもりは全くなさそうだという事は美来自身も理解できていた。
「今日は女二人で静かね」
ごくたまにある、スナックみさで美妙子と二人きりの時間。
美妙子は氷を入れたビールを持ってカウンターに座っていた。
「最近どう?」
女が二人いればする話題なんて決まっている。
「結婚の予兆はないです」
「残念ね」
美妙子は薄く笑って言う。
「衣織くんとは?」
「別にあの子は……」
美来は言葉を濁すが、美妙子は確信を得ている顔をしている。
だから何となく嫌な予感は感じていた。
「年の差があるのは嫌いなの?」
「嫌いというより考えられないです」
「どうして?」
「どうして……」
あらためて〝どうしてか〟と聞かれると難しい。
「考え方も何もかも違うと思うし……合わないと思う」
「あら、美来ちゃんと衣織くんは合ってるって思ってた」
さらりと流すような口調で言うから、言葉に詰まった。
そう。〝合っていない〟はありえないのだ。
性格的には合っているのだと思う。
衣織はわがままを受け入れてくれる。それを何とも思っていない様子を見せているから。
一緒にいると楽しくて、気を使わなくていい。
だから本当の理由はもっと、深い部分。
「……衣織くんは私の顔が好きだから無理ですよ。若いから、この先どんどん崩れていくことなんて想像もできないんだと思う。それに、頼りにならない」
衣織は短絡的だ。
今この瞬間が楽しければ、後の事はどうでもいいと思っている。
だからまだ二十歳にもなっていない自分と、三十が間近に迫った女の時間の価値を一緒だと思えるのだ。
それなのにどうして、こんな感情が生まれてくるのか。
美来は複雑な感情を全部吐き出すみたいに、大きなため息をついた。
今は美妙子と二人きり。
そして美妙子なら受け入れてくれるはずだという安心感と、酒の力。
「美妙子さーん……私、どうしたらいい?」
「美来ちゃんは、ほんの少し、男性に理想を抱きすぎね」
間髪あけずに、さらりとした嫌味のない口調で美妙子は言う。いまいち自分の中でしっくりこない美来は、しばらく考えてから口を開いた。
「私、理想が高いですかね……?」
「ううん、そうじゃない。若いのに慎重にお相手を選んでいて偉いなーって思うのよ。だけど、完璧な人間なんていないじゃない」
美妙子はリラックスした様子でそう言いながら、氷の入ったビールに口をつけた。
「育った環境とか人生経験とか、みんな違うんだから合わないところがあって当然。歩み寄らないと」
歩み寄る。
それは確かに、今まで〝ぴったりと今の自分に合う人〟を探してきた美来にはない価値観だった。
「なんでも男性ばかりに任せないで、一緒に関係性を作っていかないとね」
今まで誰彼構わずデートをしていた。
そして同時に、全て男性に任せるのが当たり前で、自分が評価する立場にいる気になっていた。
自分は大人だと思っていたが、美妙子はやはり、もっと大人だ。
心の内側にすっと入ってきて、納得する。
「……この前、デートしたんですけど」
自分の言った〝デート〟という言葉で思い出したのは、衣織と葵とのデートだった。
「衣織くんと」
頭がその時の感覚に染まるより前に、美来はそう付け足した。
「それでそれで?」
美妙子はカウンターに肘をついて、興味を隠さずに言う。
「家まで送ってもらって帰ったんですけど。その後コンビニに行くと、衣織くんと女の人が腕を組んであるいていたんです。別の日に、その女の人と衣織くんがデートしているのをたまたまバーで見かけて」
全く話がまとまらない。
何が言いたかったのかもわからなくなってきた。
「それが嫌だったのね」
美妙子の言葉に、納得する。
そう、嫌だった。
「だけど、その気持ちを認めたくないんだ」
美来は言葉に詰まった。
しかし言葉にすれば美妙子の言う通りなのだ。
衣織が他の女性とデートしている事が嫌で、その気持ちを認めたくない。
「……衣織くんとデートしていた女の人、会社の社長さんみたいで。一人で生きていける人なんだろうなー、私とは違うなって思っていたら、なんか……」
「比較された様な気持ちになるのよね」
明確に言語化する美妙子に、美来はまた言葉に詰まる。
これが付き合っている恋人の話だったら〝そう! そうなの!〟と共感してもらえた喜びに打ちひしがれている所だろうが、そうはいかない。
だけど、教えてほしいと思っている。
「付き合っている訳じゃないから、嫌とも言えないしね?」
美妙子はほとんど確信を得た口調で言う。
暴かれれば暴かれる程、自分に都合が悪くなる、気がする。
「自分好みに育てるって、大人の女性の特権だと思わない?」
考えもしなかった言葉に美来は唖然として、それからゆっくりと息を吐いた。
「育てるって、子どもじゃないし……」
「愛をはぐくむって言うでしょ? どんな漢字を書くか知ってる?」
美来は考えてみたが、全く思い浮かばなかった。
学生時代にロクに勉強をしていないと、こういう事になる。
「育てる、と同じ漢字を書くの。関係性は二人で育てるものよ」
「育てるって、どうやって?」
「教えてあげないと。美来ちゃんは何が好きで、何が嫌いか。どうしてほしくて、どうしてほしくなのか。察して、って言うのは、少しわがままね」
何となく、衣織は何でも察してくれているのだろうと思っていた。
だから、どうしてこんなこともわからないの? と疑問に思って、それから腹が立った。
衣織に話してみようか。
そう思った所で、疑問が浮かぶ。
「……付き合ってもいないのにそこまで深く話す必要って」
「ないわね」
はっきりと言い切る美妙子に、美来は「ですよね」と言った。
「だから、きっと今考えても無駄なのよ。深く話してみたくなったら、関係性を考えるチャンスだと思えばいいじゃない?」
きっとまた、悩むのだと思う。
しかし明らかに、心が軽い。
美妙子は飲みかけのグラスを差し出した。
「女は度胸よ、美来ちゃん。飲みましょう。付き合うから」
美来は美妙子の豪快な言葉に後押しされて、笑顔を浮かべてから、自分のグラスを差し出した。
常連は関係なく来るが、日曜日のスナックに新規の客は少ない。
一応スナックに行く前にハルに連絡をしたが、何となく今日来ない予感はしていた。
最近よく付き合ってくれていたから、そろそろ来ない頃だ。
スナックみさでしか飲むことはない間柄だが、互いに互いのいい所と悪い所くらいは知っている。
だからと言ってハルと付き合えるかといわれると、ない。
不思議なくらい断言できる事だった。
〝なぜか〟という理由を問われると難しい。至極曖昧なものだ。
付き合うとか結婚とか。共同生活をするとして、恐ろしいくらいに相性が悪いだろう、と本能的にわかる。
うまくいく未来が全く見えない。
だからハルとは時々会って飲むくらいの距離感がちょうどいい。
そしてハルも全く同じことを思っているだろうから、関係としてはちょうどいい。
大人の関係だけなら、別にどうとでもなりそうな気がする。
二人で吐くほど酒を飲めばこちらからハルへの矢印は機能するだろう。全然問題ない。
恐らくハルは今の所、〝顔見知り〟くらいのレベルになっている自分に手を出すつもりは全くなさそうだという事は美来自身も理解できていた。
「今日は女二人で静かね」
ごくたまにある、スナックみさで美妙子と二人きりの時間。
美妙子は氷を入れたビールを持ってカウンターに座っていた。
「最近どう?」
女が二人いればする話題なんて決まっている。
「結婚の予兆はないです」
「残念ね」
美妙子は薄く笑って言う。
「衣織くんとは?」
「別にあの子は……」
美来は言葉を濁すが、美妙子は確信を得ている顔をしている。
だから何となく嫌な予感は感じていた。
「年の差があるのは嫌いなの?」
「嫌いというより考えられないです」
「どうして?」
「どうして……」
あらためて〝どうしてか〟と聞かれると難しい。
「考え方も何もかも違うと思うし……合わないと思う」
「あら、美来ちゃんと衣織くんは合ってるって思ってた」
さらりと流すような口調で言うから、言葉に詰まった。
そう。〝合っていない〟はありえないのだ。
性格的には合っているのだと思う。
衣織はわがままを受け入れてくれる。それを何とも思っていない様子を見せているから。
一緒にいると楽しくて、気を使わなくていい。
だから本当の理由はもっと、深い部分。
「……衣織くんは私の顔が好きだから無理ですよ。若いから、この先どんどん崩れていくことなんて想像もできないんだと思う。それに、頼りにならない」
衣織は短絡的だ。
今この瞬間が楽しければ、後の事はどうでもいいと思っている。
だからまだ二十歳にもなっていない自分と、三十が間近に迫った女の時間の価値を一緒だと思えるのだ。
それなのにどうして、こんな感情が生まれてくるのか。
美来は複雑な感情を全部吐き出すみたいに、大きなため息をついた。
今は美妙子と二人きり。
そして美妙子なら受け入れてくれるはずだという安心感と、酒の力。
「美妙子さーん……私、どうしたらいい?」
「美来ちゃんは、ほんの少し、男性に理想を抱きすぎね」
間髪あけずに、さらりとした嫌味のない口調で美妙子は言う。いまいち自分の中でしっくりこない美来は、しばらく考えてから口を開いた。
「私、理想が高いですかね……?」
「ううん、そうじゃない。若いのに慎重にお相手を選んでいて偉いなーって思うのよ。だけど、完璧な人間なんていないじゃない」
美妙子はリラックスした様子でそう言いながら、氷の入ったビールに口をつけた。
「育った環境とか人生経験とか、みんな違うんだから合わないところがあって当然。歩み寄らないと」
歩み寄る。
それは確かに、今まで〝ぴったりと今の自分に合う人〟を探してきた美来にはない価値観だった。
「なんでも男性ばかりに任せないで、一緒に関係性を作っていかないとね」
今まで誰彼構わずデートをしていた。
そして同時に、全て男性に任せるのが当たり前で、自分が評価する立場にいる気になっていた。
自分は大人だと思っていたが、美妙子はやはり、もっと大人だ。
心の内側にすっと入ってきて、納得する。
「……この前、デートしたんですけど」
自分の言った〝デート〟という言葉で思い出したのは、衣織と葵とのデートだった。
「衣織くんと」
頭がその時の感覚に染まるより前に、美来はそう付け足した。
「それでそれで?」
美妙子はカウンターに肘をついて、興味を隠さずに言う。
「家まで送ってもらって帰ったんですけど。その後コンビニに行くと、衣織くんと女の人が腕を組んであるいていたんです。別の日に、その女の人と衣織くんがデートしているのをたまたまバーで見かけて」
全く話がまとまらない。
何が言いたかったのかもわからなくなってきた。
「それが嫌だったのね」
美妙子の言葉に、納得する。
そう、嫌だった。
「だけど、その気持ちを認めたくないんだ」
美来は言葉に詰まった。
しかし言葉にすれば美妙子の言う通りなのだ。
衣織が他の女性とデートしている事が嫌で、その気持ちを認めたくない。
「……衣織くんとデートしていた女の人、会社の社長さんみたいで。一人で生きていける人なんだろうなー、私とは違うなって思っていたら、なんか……」
「比較された様な気持ちになるのよね」
明確に言語化する美妙子に、美来はまた言葉に詰まる。
これが付き合っている恋人の話だったら〝そう! そうなの!〟と共感してもらえた喜びに打ちひしがれている所だろうが、そうはいかない。
だけど、教えてほしいと思っている。
「付き合っている訳じゃないから、嫌とも言えないしね?」
美妙子はほとんど確信を得た口調で言う。
暴かれれば暴かれる程、自分に都合が悪くなる、気がする。
「自分好みに育てるって、大人の女性の特権だと思わない?」
考えもしなかった言葉に美来は唖然として、それからゆっくりと息を吐いた。
「育てるって、子どもじゃないし……」
「愛をはぐくむって言うでしょ? どんな漢字を書くか知ってる?」
美来は考えてみたが、全く思い浮かばなかった。
学生時代にロクに勉強をしていないと、こういう事になる。
「育てる、と同じ漢字を書くの。関係性は二人で育てるものよ」
「育てるって、どうやって?」
「教えてあげないと。美来ちゃんは何が好きで、何が嫌いか。どうしてほしくて、どうしてほしくなのか。察して、って言うのは、少しわがままね」
何となく、衣織は何でも察してくれているのだろうと思っていた。
だから、どうしてこんなこともわからないの? と疑問に思って、それから腹が立った。
衣織に話してみようか。
そう思った所で、疑問が浮かぶ。
「……付き合ってもいないのにそこまで深く話す必要って」
「ないわね」
はっきりと言い切る美妙子に、美来は「ですよね」と言った。
「だから、きっと今考えても無駄なのよ。深く話してみたくなったら、関係性を考えるチャンスだと思えばいいじゃない?」
きっとまた、悩むのだと思う。
しかし明らかに、心が軽い。
美妙子は飲みかけのグラスを差し出した。
「女は度胸よ、美来ちゃん。飲みましょう。付き合うから」
美来は美妙子の豪快な言葉に後押しされて、笑顔を浮かべてから、自分のグラスを差し出した。