ダメな大人の見本的な人生

33:餃子の誘惑

 お待たせしました。とばかりに、全社会人が心待ちにしている連休が来た。

 すぐに終わってしまう休みだが、束の間の休戦。
 社会人は戦場のいち戦士なのだ。

 この時を待っていた。
 連休中はどこもかしこも人が多い。

 どこに出る気もない美来は、酒とつまみと食材を冷蔵庫の中がパンパンになるまで買い込んでひきこもっていた。

 昼からビールが飲める。
 見たかったドラマを見ながら酒を飲んで寝たい時に寝る。昼夜逆転生活をしてやるんだ。これを幸せと言わず何というのか。

 そんな哲学的なことを考えてビールを開けた。
 初日の昼。

 衣織からの連絡がなくなってかれこれ一か月が経とうとしていた。
 スナックで会ったのは一度だけ。

 しかし会うペースも連絡を取る頻度が減った事にも気持ちを動かされていたが、人間というのは慣れる生き物だ。

 もうスマートフォンの音で焦って誰からの連絡かを確認する事も減った。

 そんな事より命の水が最優先事項だ。
 ビールを口に含みながらリモコンの操作をする。

 絶対にどちらか先に終わらせた方が効率がいいに決まっているが、連休に浮かれてどうしよもない頭ではその考えには至らない。

 間抜けな玄関のチャイムの音が鳴って、ビールがTシャツに零れた。
 やば、とは思ったが、別に焦る事でもない。

 手でテキトーになじませておけばどうせそのうち乾くんだから。

「はいはい」

 そういう所だぞ。
 こんなことだから結婚できないんだ。という思いを抱えたまま、小さな声で返事をしながら、ビールをテーブルに置いて立ち上がった。

「なんか頼んでたっけ~?」

 ご機嫌に独り言を言いながらインターフォンの画面を確認すると、そこには衣織が写っていた。

 嘘だろ。という絶望と、衣織が来た、という希望が一緒にあらわれるのは一体どういうことなのか教えてほしい。

 心の中で気持ちがいろんなところを行ったり来たりする。

「……はい」

 自分の気持ちがわからないまま美来は返事をした。

「来ちゃった」

 インターフォンの向こう側から機械が混ざった音が聞こえる。

 感情がいろいろな所を行ったり来たりする。そして、連休の初日だ。今日は一人でゆっくりしたいという所に収まった。

「今日は予定があるの」
「おみやげあるよ~」

 美来が言い終わってすぐ、衣織が顔の横に両手にビニール袋を持ち上げた。
 そこにはビールと、皮がもちもちしていておいしいと評判の餃子屋のマークが写っていた。

「今開ける」

 気付いた時にはもう、玄関に向かって歩き出そうとしていて、返事をしていなかったことを思い出した美来は、インターフォンのボタンを指先で押してすぐに駆け足で玄関に向かってカギを開ける。

「まあ上がってよ」
「ありがとう、美来さん」

 そういって衣織は遠慮なく家の中に入ってきた。

 餃子の匂いがする。
 最高のつまみが来た喜びに打ちひしがれながら、ルンルンで廊下を歩いた。

「昼間からお酒っていいねー」

 衣織はそう言いながら美来の後ろに続く。
 美来がソファとテーブルの間に腰を下ろすと、衣織はソファに腰を下ろした。

 そして身を屈めてガサゴソと中身を取り出す。

「こっちがビール」
「ありがとう」
「あと、ちょっとしたおつまみ。……で~」

 衣織は六缶パックのビールとスナック菓子を袋から外に出した。

「こっちが餃子」

 パックに入った餃子をふたつ、テーブルに出す。

「おいしそう!」
「ね。一緒に食べよ」

 餃子の楽しみだったり、衣織の可愛さだったりでもう頭の中がパニックになりかけていた。
 今すぐに抱きしめてキスをしたいくらいの気持ちの上がりようだったが、さすがにそれはやめておいた。

「ほんとにありがとう、衣織くん」
「どうしたしまして」
「タレ入れる小皿いる?」
「いらない。このまま上にかけるから」
「私もそれする!」
「一緒だね」
「ねー」

 ビールの六缶パックの上側に手を突っ込んでリビングからキッチンに運ぶ途中で、美来は正気に戻った。

 え、カップルなの?
 どう考えてもカップルの光景じゃん。

 おかしいおかしい。
 付き合ってもいなければ、何なら本命がいそうな子とカップルみたいなことしてた。

 餃子は人をおかしくするんだ。
 そう思って少し冷静になった美来はビールを冷蔵庫にしまおうと冷蔵庫を開けた。

 食材がギューギューに詰まった冷蔵庫を見て、さらに正気に戻った。
 連休中家から出なくていいようにしていたんだった。

 貰ったビールはありがたくキッチンにおく。
 その時に見えた換気扇の下に綺麗に整列したタバコを見て本当に自分はダメな大人だなと改めて感じた。

 本当に何をやっているんだろう。

「タバコ吸うの?」

 衣織はきょとんとした顔で言いながらキッチンを見た。
 別にタバコを吸う気はなかったが、そういわれると吸いたくなって。

「そうだね。吸おうかな」
「じゃあ待ってる」

 先に食べてていいよ、というよりも前に、衣織は返事をする。
 しかしキッチンの狭いスペースを眺めてふてくされた顔を作った。

「なくなってる」
「なにが?」
「椅子」
「あー」

 美来がそう言うと、衣織はリビングテーブルの側からまた椅子を一脚抱えてキッチンに戻っていた。

 料理するときに邪魔で戻した椅子が、またキッチンに戻ってくる。

 これから先の展開が分かっていて美来はタバコに火をつけた。

 衣織は案の定、換気扇のすぐそばに椅子を置いてそこに座る。
 そしてそっと、美来の腹部に後ろから手を伸ばした。

 そのまま衣織に任せていると、彼の膝の上に座る。

「今日はまだタバコ長い」

 顔を傾げる様にして美来の持っているタバコを確認した衣織は、美来の背中に顔を埋めた。

「ラッキーだ」

 どうしてこんなに可愛いムーブができるのだろうと頭を抱えたい気持ちになる。
 何も返事をしない美来に、衣織はしばらくそうしてたがずるずると顔を動かす様にして横を向いた。
 少しくすぐったい。

「タバコ、買いだめてる」

 キッチンコンロの横にあるわずかなスペースに置かれたタバコの列を見た衣織が、わずかに浮いた口調で言う。

「可愛い」

 この世のどんな人間でも、タバコを買いだめていると可愛いは同居しないと思う。
 そう思う美来だが、衣織は美来の背にぐりぐりと額を押し付ける様にしているので、彼の中ではその言葉でうまくまとまり万事解決らしい。

 この子の可愛いには女の子の〝興味がある〟〝なんかまあいいね〟くらいの可愛いという言葉の意味くらいしかないのではないかと思う。

 タバコを吸っている間、衣織はずっと腰回りに腕を回して絡みついている。

 邪魔をされたくないと思っている休日にしっかりと邪魔をされているのに、二人しかいないこの空間に幸せを感じている。

 何一つ解決していないこの状況でよく幸せを感じられるものだと、他人事のように思う。

 自分の事なのに、今は自分が一番わからない。

 タバコの火を消す為に身を起そうとする。
 衣織の腕はするすると何の抵抗もなく、かといって全く力を入れていない訳ではなく。美来の動きに合わせて離れた。
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