ダメな大人の見本的な人生
34:結婚詐欺師の才能
待ちに待った餃子を食べるために、二人はキッチンからローテーブルに移動する。
「美味しそう……」
透明のパックのふたを開くと同時に漂う匂いと、明日からしばらく連休という事実が絡まって、他の事はどうでもよくなる。
自分の内側から湧き出す幸福感。
これを味わう為なら何だってできる。
非合法薬物というのは、こうやってハマっていくのかも知れない。
美来と衣織はたれを餃子の上からまわしかけた。
「わー美味しそう!」
「絶対美味しい見た目してるよね」
「ねー」
餃子を見て目を輝かせる美来を、衣織はまるで保護者の様な温かい視線で眺めていた。
ただ素直に、この空間が好きだと思った。
衣織と葵がどんな関係なのかは知らない。
しかし、衣織と将来どうこうなるつもりのない自分には関係のない事だ。
今が楽しければいい。
一緒にいる時間が楽しくて、一緒にいて楽だと思うなら。その時間を楽しめばいいだけの話。
それでもし、状況が変わって衣織と葵の関係が気になってきたら、その時はその時でまた考えたらいい。
衣織の事を散々短絡的な人だと思っておきながら、こればかりは衣織が正解なのだろうと思う。
結局そういう事。今が楽しければそれでいい。考えてもわからない事は考えない。
人生の鉄則だと思う。
そんな事よりも衣織が持ってきてくれた餃子とビールを。と思っているのだから、きっと心の中ではまだ大して優先度も重要度も高くないという事だ。
「衣織くん、ありがとう。いただきます」
「うん。めしあがれ」
相変わらず百点満点の笑顔で言う衣織に素直に癒されながら、美来は割りばしで餃子を摘まんだ。
割りばしの触感でもう、皮がもちもちしていて絶対に美味しいことが分かる。
口に含むとにんにくが香って、素材の風味を感じて。肉肉しいのに、皮はもちもちしている。
風味ごとビールで流し込む。
最近生きている中で一番幸せだと思った。
「……あ~、最高」
「美来さん、おっさんみたいだよ」
「もう全ッ然おっさんでいい」
「可愛いから、もう何でもいいよ」
衣織は餃子を頬張りながらニコニコ笑顔を貼り付けている。
そしてペットボトルの炭酸飲料を飲んだ。
「餃子と炭酸って合うよね」
「そう。ビールって最高なのよ」
若干話がかみ合ってない事に気付きながらも美来はスルーして餃子を口に含んだ。
「今日何する予定だったの?」
「撮りためてたドラマでもみようかなーって思ってた」
「じゃあ、一緒に見ようよ」
「途中からしかないよ?」
「いいよ、途中からで」
途中から訳も分からず見させられるのはさすがに可愛そうだと思ったが、衣織は別に気にしないと言うので、結局、衣織に甘えて予定通りドラマを見た。
途中から見たってわからないだろうからスマホでも触っているんだろうと思ったが、衣織は美来の想像に反して餃子を食べながらしっかりと画面を見ていた。
内容はドロッドロした不倫の話。
見始めて思った。
18歳の子に見せるのも申し訳なくなるくらいの話だった。
しかし衣織は、この人はだれ? 前はこうだったって事? と、興味を持っている様子で美来に問いかける。
衣織の質問に美来は以前の事を思い出しながら答えた。
「わー、いいなー」
情熱的なベッドシーンで若干気まずい美来をよそに、衣織は明るい顔で笑う。それから美来の方を向いた。
「俺達もどうかな?」
「ダメです」
「え~。気持ちよくするのにー」
衣織はうなだれた様子を見せるが、今の彼にそんなつもりがない事は何となくわかっていた。
なーにが〝気持ちよくするのに〟だ。
どこで覚えたの、そんな言葉。
うなだれて吐く言葉が全然可愛くない。しかしそれが衣織らしくて、美来は自分が笑顔になっていることに気が付いた。
居心地がいい。
本当は興味がないであろうドラマでも一緒に見ようと言ってくれるところも、興味を持とうとしてくれている所も。
ビールだけではなくて餃子まで持ってきてくれるところも。本当に、ピンポイントでツボを突いてくる。
一連の行動を計算して行う事ができるのなら、この子の天性の仕事は結婚詐欺師だと思う。
どうしてこんな気遣いが出来る子なのに、彼女が相手になると急に知能が下がるのだろう。
エンディングが流れて一区切りつき、何の気なしにテーブルを見た。
食べ終わったまま放置していたはずの餃子のパックは、気付けば袋にひとまとめにされていた。
「ありがとう、衣織くん」
「うん、いいよ。ご褒美ある?」
少しふざけた口調で言う衣織が可愛い。
ここぞとばかりに入れ込んでくるところが衣織らしくて、美来は思わず声を漏らすようにして笑った。
この子はきっと〝ご褒美ある?〟が年上女性から評判が高い事をわかってやっているんだろうと思うのに、分かっているのに、年上の女ならこの絶妙な可愛さに感情に任せて甘やかしたくなる。
大型犬をめいっぱい甘やかすみたいに。
やっぱりこの子は結婚詐欺師の才能がある。
美来は衣織の頬に口付けを落とした。
そこじゃない、という文句は想定済み。
しかし衣織は美来の予想に反して、ニコニコ笑顔を貼り付けている。
「ありがとう。じゃあお返し」
衣織は明るい口調でそう言って、美来の頬にリップ音を立てて口付けをする。
どうしてこんなに可愛いんだ?
どうして嫌われるかな、とか嫌がられるかなとかいう不安なしに、こんな行動ができるんだ?
美来は衣織の天性の魔性さに翻弄されながら、何とか自我を保つためにビールを流し込んだ。
ドラマの続きが流れて、二人はまた画面を見始める。
ドラマを見ているときには、衣織は必要以上に絡んで来ることはなく、ただ緊張の緩んだ場面ではさりげなく少し距離を縮めたり、手をつないでみたり。場合に応じて使い分けていた。
この子の手中だと分かっているのに、害はないし、いいか。と思っているあたりが、衣織という男の子の怖い所だ。
放置しておいた結果が、心の奥に住み着いているのだから、いいはずがないのだが。
しばらくはドラマを見ていたが、美来は眠たくなってソファーのひじ掛けに頭をもたげた。
「眠たいー?」
衣織はまるで飼い猫をとびきり甘やかすみたいな優しい口調で、ほとんど回っていない頭でドラマを眺める美来の頭を撫でた。
「んー」
美来が返事をすると、衣織は髪を指で通しながら頭を撫でる。
「寝ていいよ」
「やだ」
「なんで?」
「その間に帰るかもしれないし」
自分の言っていることがほとんど分からないまま、美来は衣織の言葉に返事をする。
「じゃあもう出よっか。鍵しめてくれる?」
そういう事じゃない。
そういう事じゃないけど、衣織はきっとそれを本気で言っているのだろうと思う。
〝教えてあげないと。美来ちゃんは何が好きで、何が嫌いか。どうしてほしくて、どうしてほしくなのか。察して、って言うのは、少しわがままね〟
「寝てる間に帰られると、寂しいし」
正気の時に思い返すと、後悔しそうなことを、言った、そんな気がする。
「じゃあ、起きるまでいるね」
「うそ」
「嘘じゃないよ」
衣織はそう言うと、美来に覆いかぶさるようにしてソファに横になった。
美来は少し体をずらした。二人が横になるとさすがに狭い。
衣織は美来が落ちない様に手で支えながら、ゆっくりと横になる。
少し冷たい部屋の空気に、人肌の温度が心地いい。
眠れ、と言われている以外の何物でもない環境だと思った。
衣織はもう何も言いたいことはないとでも言いたげな様子で、美来の頭を撫でる。
その感覚が心地よくて、美来はそれからすぐ、眠りについた。
「美味しそう……」
透明のパックのふたを開くと同時に漂う匂いと、明日からしばらく連休という事実が絡まって、他の事はどうでもよくなる。
自分の内側から湧き出す幸福感。
これを味わう為なら何だってできる。
非合法薬物というのは、こうやってハマっていくのかも知れない。
美来と衣織はたれを餃子の上からまわしかけた。
「わー美味しそう!」
「絶対美味しい見た目してるよね」
「ねー」
餃子を見て目を輝かせる美来を、衣織はまるで保護者の様な温かい視線で眺めていた。
ただ素直に、この空間が好きだと思った。
衣織と葵がどんな関係なのかは知らない。
しかし、衣織と将来どうこうなるつもりのない自分には関係のない事だ。
今が楽しければいい。
一緒にいる時間が楽しくて、一緒にいて楽だと思うなら。その時間を楽しめばいいだけの話。
それでもし、状況が変わって衣織と葵の関係が気になってきたら、その時はその時でまた考えたらいい。
衣織の事を散々短絡的な人だと思っておきながら、こればかりは衣織が正解なのだろうと思う。
結局そういう事。今が楽しければそれでいい。考えてもわからない事は考えない。
人生の鉄則だと思う。
そんな事よりも衣織が持ってきてくれた餃子とビールを。と思っているのだから、きっと心の中ではまだ大して優先度も重要度も高くないという事だ。
「衣織くん、ありがとう。いただきます」
「うん。めしあがれ」
相変わらず百点満点の笑顔で言う衣織に素直に癒されながら、美来は割りばしで餃子を摘まんだ。
割りばしの触感でもう、皮がもちもちしていて絶対に美味しいことが分かる。
口に含むとにんにくが香って、素材の風味を感じて。肉肉しいのに、皮はもちもちしている。
風味ごとビールで流し込む。
最近生きている中で一番幸せだと思った。
「……あ~、最高」
「美来さん、おっさんみたいだよ」
「もう全ッ然おっさんでいい」
「可愛いから、もう何でもいいよ」
衣織は餃子を頬張りながらニコニコ笑顔を貼り付けている。
そしてペットボトルの炭酸飲料を飲んだ。
「餃子と炭酸って合うよね」
「そう。ビールって最高なのよ」
若干話がかみ合ってない事に気付きながらも美来はスルーして餃子を口に含んだ。
「今日何する予定だったの?」
「撮りためてたドラマでもみようかなーって思ってた」
「じゃあ、一緒に見ようよ」
「途中からしかないよ?」
「いいよ、途中からで」
途中から訳も分からず見させられるのはさすがに可愛そうだと思ったが、衣織は別に気にしないと言うので、結局、衣織に甘えて予定通りドラマを見た。
途中から見たってわからないだろうからスマホでも触っているんだろうと思ったが、衣織は美来の想像に反して餃子を食べながらしっかりと画面を見ていた。
内容はドロッドロした不倫の話。
見始めて思った。
18歳の子に見せるのも申し訳なくなるくらいの話だった。
しかし衣織は、この人はだれ? 前はこうだったって事? と、興味を持っている様子で美来に問いかける。
衣織の質問に美来は以前の事を思い出しながら答えた。
「わー、いいなー」
情熱的なベッドシーンで若干気まずい美来をよそに、衣織は明るい顔で笑う。それから美来の方を向いた。
「俺達もどうかな?」
「ダメです」
「え~。気持ちよくするのにー」
衣織はうなだれた様子を見せるが、今の彼にそんなつもりがない事は何となくわかっていた。
なーにが〝気持ちよくするのに〟だ。
どこで覚えたの、そんな言葉。
うなだれて吐く言葉が全然可愛くない。しかしそれが衣織らしくて、美来は自分が笑顔になっていることに気が付いた。
居心地がいい。
本当は興味がないであろうドラマでも一緒に見ようと言ってくれるところも、興味を持とうとしてくれている所も。
ビールだけではなくて餃子まで持ってきてくれるところも。本当に、ピンポイントでツボを突いてくる。
一連の行動を計算して行う事ができるのなら、この子の天性の仕事は結婚詐欺師だと思う。
どうしてこんな気遣いが出来る子なのに、彼女が相手になると急に知能が下がるのだろう。
エンディングが流れて一区切りつき、何の気なしにテーブルを見た。
食べ終わったまま放置していたはずの餃子のパックは、気付けば袋にひとまとめにされていた。
「ありがとう、衣織くん」
「うん、いいよ。ご褒美ある?」
少しふざけた口調で言う衣織が可愛い。
ここぞとばかりに入れ込んでくるところが衣織らしくて、美来は思わず声を漏らすようにして笑った。
この子はきっと〝ご褒美ある?〟が年上女性から評判が高い事をわかってやっているんだろうと思うのに、分かっているのに、年上の女ならこの絶妙な可愛さに感情に任せて甘やかしたくなる。
大型犬をめいっぱい甘やかすみたいに。
やっぱりこの子は結婚詐欺師の才能がある。
美来は衣織の頬に口付けを落とした。
そこじゃない、という文句は想定済み。
しかし衣織は美来の予想に反して、ニコニコ笑顔を貼り付けている。
「ありがとう。じゃあお返し」
衣織は明るい口調でそう言って、美来の頬にリップ音を立てて口付けをする。
どうしてこんなに可愛いんだ?
どうして嫌われるかな、とか嫌がられるかなとかいう不安なしに、こんな行動ができるんだ?
美来は衣織の天性の魔性さに翻弄されながら、何とか自我を保つためにビールを流し込んだ。
ドラマの続きが流れて、二人はまた画面を見始める。
ドラマを見ているときには、衣織は必要以上に絡んで来ることはなく、ただ緊張の緩んだ場面ではさりげなく少し距離を縮めたり、手をつないでみたり。場合に応じて使い分けていた。
この子の手中だと分かっているのに、害はないし、いいか。と思っているあたりが、衣織という男の子の怖い所だ。
放置しておいた結果が、心の奥に住み着いているのだから、いいはずがないのだが。
しばらくはドラマを見ていたが、美来は眠たくなってソファーのひじ掛けに頭をもたげた。
「眠たいー?」
衣織はまるで飼い猫をとびきり甘やかすみたいな優しい口調で、ほとんど回っていない頭でドラマを眺める美来の頭を撫でた。
「んー」
美来が返事をすると、衣織は髪を指で通しながら頭を撫でる。
「寝ていいよ」
「やだ」
「なんで?」
「その間に帰るかもしれないし」
自分の言っていることがほとんど分からないまま、美来は衣織の言葉に返事をする。
「じゃあもう出よっか。鍵しめてくれる?」
そういう事じゃない。
そういう事じゃないけど、衣織はきっとそれを本気で言っているのだろうと思う。
〝教えてあげないと。美来ちゃんは何が好きで、何が嫌いか。どうしてほしくて、どうしてほしくなのか。察して、って言うのは、少しわがままね〟
「寝てる間に帰られると、寂しいし」
正気の時に思い返すと、後悔しそうなことを、言った、そんな気がする。
「じゃあ、起きるまでいるね」
「うそ」
「嘘じゃないよ」
衣織はそう言うと、美来に覆いかぶさるようにしてソファに横になった。
美来は少し体をずらした。二人が横になるとさすがに狭い。
衣織は美来が落ちない様に手で支えながら、ゆっくりと横になる。
少し冷たい部屋の空気に、人肌の温度が心地いい。
眠れ、と言われている以外の何物でもない環境だと思った。
衣織はもう何も言いたいことはないとでも言いたげな様子で、美来の頭を撫でる。
その感覚が心地よくて、美来はそれからすぐ、眠りについた。