ダメな大人の見本的な人生
37:幸せって
美味しい音を立て始めるベーコンと色が変わり始める目玉焼きを見ながら、休日までどうして自分のダメさを認識しないといけないんだとしみじみ思う。
平日は絶対に朝食を作る事に時間をかけられない。
ギリギリの時間に起きて出社するから、自業自得だが。
だからせめて平日のバタバタした流れを抜け出したかったが、こういう事は取ってつけたようにするモンじゃない。
〝丁寧に作ろう〟と思って作る物であって、決して今までの二時間を取り戻そうとしてする事ではないという確信はあった。
途方もないマイナス思考に犯されている事にふと気づいた美来は、息を吐いて気を取り直した。
全部を皿に移して。盛り付けも、なんか美味しそうに見える様に丁寧に。
そこまで考えてフライパンを持ち上げた所で思った。
洗い物が増えるだけじゃないか?
いや、でも。生活を整えて丁寧に暮らすというのはそういう事な訳で。
ちゃんと考えた。
ちゃんと考えたが、面倒くさいが勝った美来は、IHコンロに一度フライパンを戻し、未だにフライパンに鎮座している目玉焼きとベーコンに醤油をかけた。
きっと目玉焼きもベーコンも、まさか皿にすら移してもらえないとは夢にも思わなかっただろうと思いながら。
そして鍋敷きとフライパン片手に移動して、ローテーブルに鍋敷きとその上にフライパンを置いた。
もう一度キッチンに戻るとすでにお湯は沸いていたから、一番手に取りやすかった、どう考えても味噌汁や吸い物を入れる和柄の汁椀にコーンスープの粉末を入れて、お湯を入れて、箸でかき混ぜた。
パンは皿を出すかと思ったが、負けた気になる気がしたため、アルミホイルを取り出してその上にパンを乗せて、バターを置いて箸でぬる。
汁椀とトーストの乗ったアルミホイルを持って、ローテーブルの前に移動した。
美来の目の前にはアルミホイルに乗ったトーストと、汁椀に入ったコーンスープと、フライパンの上に乗った目玉焼きとベーコン。
自分がやったくせに、丁寧な暮らしとは真逆の様子を一斉に見せられた気になって、テンションが下がりすぎて逆におもしろくなった。
丁寧な暮らしの動画が緩やかな音楽で流れてくる現代で、なかなかここまで振り切っているヤツもいないんじゃないか。
ま、これが私だ。という所に落ち着けば、二時間分の時間を無駄にしたこともすっかり忘れ去っていた。
丁寧な暮らしをする人はきっと、食事中は食事にすべての神経を向けるのだろうな。
そう思いながら、お笑い芸人の動画を見て「ふふ」と不気味な笑いを浮かべて、丁寧な風を装って作られた朝食を食べた。
29歳でこれは終わってるな。と冷静な視点で考えれば思ったが、ま、こんな人生もあるよね。とお腹いっぱいになるとなんだかプラス思考になる。
「ん~」
美来はソファーで伸びをした。
気分も悪くなくなったことだし、化粧して買い物にでも出かけるか。という思いがポンと浮かんだが、買い物も化粧もめんどくさいという所に収まった。
ピンポーン、と間抜けなインターフォンが鳴る。
嫌な予感と希望が同じところにいる。
美来がインターフォンの画面を確認すると、案の定、というべきなのか、そこには衣織がいた。
「あーそーぼー」
昨日の今日だよ? どうして? という気持ちはある。
というか、センチメンタルな気分から自力で這い上がったところだ。
どうせならセンチメンタルでドン底で、人肌が恋しい時に来てくれよ。と思いながらも、彼がいると退屈はしないしな。という所に収まった。
「ちょっとまってー」
美来はそう言って玄関に向かおうとするが、朝起きてから顔を洗っていない所か歯も磨いていないことに気が付いた。
めんどくさ。と思いながらも衣織を待たせているので、さっさと顔を洗って歯磨きをする。
それから美来は「はいはーい」と誰に言っているのかわからない言葉を言いながら、玄関のドアを開けた。
「おはよ、美来さん」
「おはよ」
衣織はこれからいつでも出かけられます。といった装いでいた。
「お邪魔してもいいですか」
まさか、外にデート行こうとか言われないよね。と思った美来は若干警戒していた。
しかし衣織は小学生が集団で声を合わせるみたいにゆっくりはっきりと言う。
「どうぞ」
「やった。おじゃましまーす」
衣織はそう言うと、家の中に入った。
「今日は予定があったんじゃなかったっけ?」
「そう。でも無くなっちゃった」
「どこに行く予定だったの?」
「温泉。だけど一緒に行く人に予定入っちゃったから」
〝一緒に行く人〟という言葉で一番に思い浮かんだのは、やっぱり葵だった。
もう本当に、頭の中から出て行ってほしい。
衣織はローテーブルに。美来はキッチンに移動しながら会話を終える。
先ほどコーンスープを入れて余ったケトルのお湯を入れ替える事はしないまま、もう一度スイッチを入れて沸かした。
葵と温泉旅行にでも行く予定だったのだろうか。
それがキャンセルになった、と思うと、嬉しい思いが沸き上がってくるのは正常じゃない。
そして、自分が二番目みたいで悲しいのに、それでいて嬉しい。
きっと不倫の様に、〝二番目の女〟というのは、こうやってはまっていくのだろうと思う。
そして同時に思った。この子は間違いなくメンヘラ製造機だと。
メンヘラ製造機の年下男子との逢瀬を楽しめるか?
自分自身にそう問いかける。
案外、楽しめそうだと思う。
じゃあ、葵の事を衣織に聞いてみるか?
という質問には、ノーだ。
その理由は気にならないから、なんて優しい理由じゃない。
〝聞くのが怖いから〟。
本当にもういろいろと手遅れなのかもしれない。
いつも通り、コーヒーを飲もうとマグカップを準備する。
「コーヒー……」
そこまで言って、衣織に何度かコーヒーを断られたことを思いだした。
あまりコーヒーは好きではないのかもしれない。
ただ何となく、同じことを同じタイミングでしたい気持ちになって。
仲良く話でもしながら。
それじゃあまるでカップルだというツッコミを自分の中で入れるが、その気持ちが掻き消えてしまうくらい、二人でゆっくりしたくなる。
「きらい?」
曖昧な聞き方をしている自覚はある。
「ううん。嫌いじゃないよ」
「じゃあ、一緒に飲まない?」
衣織はいたっていつも通りの様子。
怯えたみたいに、曖昧な聞き方をしている。違うのは自分だけ。
断られるかもしれないという緊張感が、昨日夕食に誘った時の事を思い出させる。
「インスタントだけど」
一応、そう付け加えた。
予防線を張るみたいに。
「うん。飲む」
衣織はいつも通りの笑顔を浮かべて、当然の様に言う。
どうしてコーヒーを飲むと言われただけで、こんなに安心しないといけないんだろう。
「牛乳ある?」
「あるよ」
「やった」
衣織はそう言いながらローテーブルに置いてある丁寧を装った朝ご飯の残骸を、キッチンのカウンターにおいて行く。
「ああ、ごめん……!」
「全然いいよー」
衣織はなぜかローテーブルから自分がカウンターに移したフライパンたちを見て、上機嫌な様子でいる。
「それで拭くの?」
お湯を沸かしている間にテーブルを拭くふきんを硬く絞っていると、衣織はカウンターの向こうからシンクを覗いた。
「うん」
「じゃあそれ、俺の担当。美来さんはコーヒーお願い」
衣織はそう言うと、カウンターの向こうから手を差し出した。
こういう所が本当に……。美来は衣織の沼にはまっていることに気付きながら、「ありがとう」と言って衣織に台を拭くふきんを手渡した。
「牛乳取りたいんだけど、冷蔵庫開けてもいい?」
衣織はキッチンの方向に歩きながらそう言って、台を拭いたふきんをカウンターに置いた。
「うん。いいよ」
冷蔵庫の中は今、たくさんの物で溢れているが、衣織なら別に何も思わないだろうと確信しているこの感じは凄いと思う。
見られて恥ずかしい、という気が微塵も起きない。
コーヒー一つで緊張するのに。
美来は何の気もないような様子でそういって、マグカップにインスタントコーヒーとお湯を注いだ。
「砂糖も入れたい」
「そこにあるよ」
美来が言うと衣織は自分で砂糖と牛乳を入れた。
「美来さんはブラック?」
「うん」
「おっけー」
そう言うと、衣織は二つ分のマグカップを持ってローテーブルに移動する。
こういうさりげない所がポイント高いんだよな、と冷静に判断しながら衣織の後ろを歩く。
ただ純粋に、この時間が幸せだと思った。
平日は絶対に朝食を作る事に時間をかけられない。
ギリギリの時間に起きて出社するから、自業自得だが。
だからせめて平日のバタバタした流れを抜け出したかったが、こういう事は取ってつけたようにするモンじゃない。
〝丁寧に作ろう〟と思って作る物であって、決して今までの二時間を取り戻そうとしてする事ではないという確信はあった。
途方もないマイナス思考に犯されている事にふと気づいた美来は、息を吐いて気を取り直した。
全部を皿に移して。盛り付けも、なんか美味しそうに見える様に丁寧に。
そこまで考えてフライパンを持ち上げた所で思った。
洗い物が増えるだけじゃないか?
いや、でも。生活を整えて丁寧に暮らすというのはそういう事な訳で。
ちゃんと考えた。
ちゃんと考えたが、面倒くさいが勝った美来は、IHコンロに一度フライパンを戻し、未だにフライパンに鎮座している目玉焼きとベーコンに醤油をかけた。
きっと目玉焼きもベーコンも、まさか皿にすら移してもらえないとは夢にも思わなかっただろうと思いながら。
そして鍋敷きとフライパン片手に移動して、ローテーブルに鍋敷きとその上にフライパンを置いた。
もう一度キッチンに戻るとすでにお湯は沸いていたから、一番手に取りやすかった、どう考えても味噌汁や吸い物を入れる和柄の汁椀にコーンスープの粉末を入れて、お湯を入れて、箸でかき混ぜた。
パンは皿を出すかと思ったが、負けた気になる気がしたため、アルミホイルを取り出してその上にパンを乗せて、バターを置いて箸でぬる。
汁椀とトーストの乗ったアルミホイルを持って、ローテーブルの前に移動した。
美来の目の前にはアルミホイルに乗ったトーストと、汁椀に入ったコーンスープと、フライパンの上に乗った目玉焼きとベーコン。
自分がやったくせに、丁寧な暮らしとは真逆の様子を一斉に見せられた気になって、テンションが下がりすぎて逆におもしろくなった。
丁寧な暮らしの動画が緩やかな音楽で流れてくる現代で、なかなかここまで振り切っているヤツもいないんじゃないか。
ま、これが私だ。という所に落ち着けば、二時間分の時間を無駄にしたこともすっかり忘れ去っていた。
丁寧な暮らしをする人はきっと、食事中は食事にすべての神経を向けるのだろうな。
そう思いながら、お笑い芸人の動画を見て「ふふ」と不気味な笑いを浮かべて、丁寧な風を装って作られた朝食を食べた。
29歳でこれは終わってるな。と冷静な視点で考えれば思ったが、ま、こんな人生もあるよね。とお腹いっぱいになるとなんだかプラス思考になる。
「ん~」
美来はソファーで伸びをした。
気分も悪くなくなったことだし、化粧して買い物にでも出かけるか。という思いがポンと浮かんだが、買い物も化粧もめんどくさいという所に収まった。
ピンポーン、と間抜けなインターフォンが鳴る。
嫌な予感と希望が同じところにいる。
美来がインターフォンの画面を確認すると、案の定、というべきなのか、そこには衣織がいた。
「あーそーぼー」
昨日の今日だよ? どうして? という気持ちはある。
というか、センチメンタルな気分から自力で這い上がったところだ。
どうせならセンチメンタルでドン底で、人肌が恋しい時に来てくれよ。と思いながらも、彼がいると退屈はしないしな。という所に収まった。
「ちょっとまってー」
美来はそう言って玄関に向かおうとするが、朝起きてから顔を洗っていない所か歯も磨いていないことに気が付いた。
めんどくさ。と思いながらも衣織を待たせているので、さっさと顔を洗って歯磨きをする。
それから美来は「はいはーい」と誰に言っているのかわからない言葉を言いながら、玄関のドアを開けた。
「おはよ、美来さん」
「おはよ」
衣織はこれからいつでも出かけられます。といった装いでいた。
「お邪魔してもいいですか」
まさか、外にデート行こうとか言われないよね。と思った美来は若干警戒していた。
しかし衣織は小学生が集団で声を合わせるみたいにゆっくりはっきりと言う。
「どうぞ」
「やった。おじゃましまーす」
衣織はそう言うと、家の中に入った。
「今日は予定があったんじゃなかったっけ?」
「そう。でも無くなっちゃった」
「どこに行く予定だったの?」
「温泉。だけど一緒に行く人に予定入っちゃったから」
〝一緒に行く人〟という言葉で一番に思い浮かんだのは、やっぱり葵だった。
もう本当に、頭の中から出て行ってほしい。
衣織はローテーブルに。美来はキッチンに移動しながら会話を終える。
先ほどコーンスープを入れて余ったケトルのお湯を入れ替える事はしないまま、もう一度スイッチを入れて沸かした。
葵と温泉旅行にでも行く予定だったのだろうか。
それがキャンセルになった、と思うと、嬉しい思いが沸き上がってくるのは正常じゃない。
そして、自分が二番目みたいで悲しいのに、それでいて嬉しい。
きっと不倫の様に、〝二番目の女〟というのは、こうやってはまっていくのだろうと思う。
そして同時に思った。この子は間違いなくメンヘラ製造機だと。
メンヘラ製造機の年下男子との逢瀬を楽しめるか?
自分自身にそう問いかける。
案外、楽しめそうだと思う。
じゃあ、葵の事を衣織に聞いてみるか?
という質問には、ノーだ。
その理由は気にならないから、なんて優しい理由じゃない。
〝聞くのが怖いから〟。
本当にもういろいろと手遅れなのかもしれない。
いつも通り、コーヒーを飲もうとマグカップを準備する。
「コーヒー……」
そこまで言って、衣織に何度かコーヒーを断られたことを思いだした。
あまりコーヒーは好きではないのかもしれない。
ただ何となく、同じことを同じタイミングでしたい気持ちになって。
仲良く話でもしながら。
それじゃあまるでカップルだというツッコミを自分の中で入れるが、その気持ちが掻き消えてしまうくらい、二人でゆっくりしたくなる。
「きらい?」
曖昧な聞き方をしている自覚はある。
「ううん。嫌いじゃないよ」
「じゃあ、一緒に飲まない?」
衣織はいたっていつも通りの様子。
怯えたみたいに、曖昧な聞き方をしている。違うのは自分だけ。
断られるかもしれないという緊張感が、昨日夕食に誘った時の事を思い出させる。
「インスタントだけど」
一応、そう付け加えた。
予防線を張るみたいに。
「うん。飲む」
衣織はいつも通りの笑顔を浮かべて、当然の様に言う。
どうしてコーヒーを飲むと言われただけで、こんなに安心しないといけないんだろう。
「牛乳ある?」
「あるよ」
「やった」
衣織はそう言いながらローテーブルに置いてある丁寧を装った朝ご飯の残骸を、キッチンのカウンターにおいて行く。
「ああ、ごめん……!」
「全然いいよー」
衣織はなぜかローテーブルから自分がカウンターに移したフライパンたちを見て、上機嫌な様子でいる。
「それで拭くの?」
お湯を沸かしている間にテーブルを拭くふきんを硬く絞っていると、衣織はカウンターの向こうからシンクを覗いた。
「うん」
「じゃあそれ、俺の担当。美来さんはコーヒーお願い」
衣織はそう言うと、カウンターの向こうから手を差し出した。
こういう所が本当に……。美来は衣織の沼にはまっていることに気付きながら、「ありがとう」と言って衣織に台を拭くふきんを手渡した。
「牛乳取りたいんだけど、冷蔵庫開けてもいい?」
衣織はキッチンの方向に歩きながらそう言って、台を拭いたふきんをカウンターに置いた。
「うん。いいよ」
冷蔵庫の中は今、たくさんの物で溢れているが、衣織なら別に何も思わないだろうと確信しているこの感じは凄いと思う。
見られて恥ずかしい、という気が微塵も起きない。
コーヒー一つで緊張するのに。
美来は何の気もないような様子でそういって、マグカップにインスタントコーヒーとお湯を注いだ。
「砂糖も入れたい」
「そこにあるよ」
美来が言うと衣織は自分で砂糖と牛乳を入れた。
「美来さんはブラック?」
「うん」
「おっけー」
そう言うと、衣織は二つ分のマグカップを持ってローテーブルに移動する。
こういうさりげない所がポイント高いんだよな、と冷静に判断しながら衣織の後ろを歩く。
ただ純粋に、この時間が幸せだと思った。