ダメな大人の見本的な人生

41:分かり合えない人間もいる

 結論:阻止できなかった。

 もう自分の中で決まってしまっている衣織は、何を言っても他人の話を聞かなくなった。

 顔がいいと懐いている人間の話でさえ聞かないのだ。
 この子は本当に、一体どんな人生を歩んできたのだろうと純粋に疑問に思う。

 旅館みたいなところでー。
 昔っぽい雰囲気があるところでー。
 和室でー。
 一緒に入れる温泉があってー。

 これしか言わない。
 壊れた機械か何かかと思った。

「私、服とかどうしたらいいかな?」

 美来は一方的に否定することをやめて、温かく包み込む方向にシフトした。
 〝私、困ってるの。どうしたらいいと思う?〟雰囲気を余す事なく出しておく。

「別に一日くらい同じ服でもよくない?」

 それ、もしかして他の女の子にも言うのか?
 本当に女の子の事、何もわかってない! と言われても仕方がないぞ。

 美来は確信した。この子はこの容姿と若さで生き抜いてきたのだ。
 女の子もこんな風に自信満々に言われると、〝あれ、私ちょっと神経質だったかな……? 衣織くんと価値観が合わないって思われたら……〟となるに違いない。

 本当に罪な男だ、衣織。
 しかしいつまでも容姿と若さに頼っていては〝こう〟なるぞ! と美来は自分の今の人生を突き付けてやりたい気持ちになる。

 だが、しかし。
 幸か不幸か、美来は自分が相当ガサツな人間だと自負している。

 一日同じ服を着るくらい、何の抵抗もなかった。
 下着はさすがに少し抵抗があるけど、どうしてもなら仕方ないと割り切る。

 私がガサツでよかったな、と美来はなぜかちょっとした優越感に浸っていた。
 しかし、すぐに正気に戻る。

 そういう問題じゃないんだ。
 わかりやすく〝服とかどうしたら〟と聞いたが、肝心なのは〝服〟ではないのだ。

 論点はそこではない。

 化粧品も持っていない、下着も持っていない。

 本当の本当に、財布とスマートフォンと鍵しか持ってきていない女をさらりと〝旅行〟に誘える、君自身の異常な神経に疑問を呈している。

 彼はそれに気づかない。
 きっと何を言っても気づかないと分かっているが、美来は少しの可能性にかけて問いかけを続ける決意をした。

「私、下着とかないし……」
「買ってあげるね」
「化粧品もないし!」
「それも買ってあげる」

 こいつ、本当に人の話を聞かないな、と思いながらも、これが衣織らしいとも思っているあたりがどうかしている。その自覚はある。

 曖昧になったまま、衣織はコンビニの駐車場に車を停めた。
 そしてスマホを取り出して、検索をかけ始めた。

「あ、ここいい!」

 少しして、衣織は嬉しそうに言う。
 どうしてこの子は人の話を聞かないのだろう。

「美来さんはどう思う? ここ」

 そこは一応聞くんだと思いながらも、肝心の〝旅行〟に関しては問答無用で決まってしまっている。

 衣織が見せる画面には、露天風呂が付いた客室。
 二人では持て余しそうなくらい、大きな部屋だった。
 テーブルが置いてある和室とは別に、二人が余裕で眠れそうなベッドが置いてある和室の寝室が一つ。
 露天風呂に、ウッドテラス。

 明らかにいい値段がしそうな旅館だ。
 きっとただの大学生にあっさりと払える金額じゃない。

 もしかして衣織は、このいい値段がしそうな所を払わせようとしているのだろうか。
 こういう事がしたいから、年上の女ばかりを狙っているとか。

 美来は妙に冷静になっていた。

 これはいい機会なのかもしれない。
 衣織の本性を引きずり出す、いい機会。

 これでもし自分がすべての支払いをする事になるのなら、今までの衣織の優しさは全て布石だったという事になる。

 衣織は大金を出させる事が目的で、年上の女ばかりを狙っている。
 〝顔が好き〟というのも、価値を上げるレッテルのようなもの。

「うん、いいよ。素敵な所だし」

 変に緊張していた。
 今日で衣織の本性が分かると思うと。

 不思議と悲しいという気持ちはなかった。
 それよりも今は、衣織が最低だった場合、どんな風に関係を切ってやろうかと、復讐の予感を怖いくらい冷静になって感じていた。

「じゃあここ」

 衣織はそう言うと少しスマホの操作をする。

 すると衣織のスマホから、聞きなれた電子決済が完了した軽い音が短く流れてきた。

 想定外の事に、パニックになる。

「よし。じゃあ、」
「待って待って待って」

 美来は当たり前の顔をして車から出ようとする衣織の腕を掴んで引き留めた。

「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。支払いは?」
「もう済ませたよ?」

 衣織は本当に意味が分かっていなさそうな顔で言う。

 なんで?
 なんでもう支払ったの?
 ほぼ確定だったじゃん。〝年上のお姉さんと遊ぶのは、お金を出させて豪遊するため〟で、おしまいの流れだったじゃん。

「美来さん、どうしたの?」

 衣織はとうとう心配そうな顔をする。
 え、おかしいのは私? いや違う。決して私ではない。

「どうして支払いしちゃったの?」
「どうしてって、泊るから」
「てっきり私が払うと思ってたんだけど」

 そこまで言って、言葉を選び間違えたかもしれないと思った。
 〝どうせ私に払わせるんでしょ〟と思っていたことが伝わってしまっただろうか、という焦り。

 しかし、どうして焦らないといけないんだと冷静に思った。

 別に彼にどう思われたって、関係ないはずなのに。

「俺が誘ったのに何で美来さんが払うの?」

 衣織は〝何言ってるの?〟とでも言いたげに、当然の様に言う。

 おかしいのは私? 私の方か? と、今度こそ美来は感情が迷子になった。

「うれしいなー。美来さんとお泊りデート」

 衣織がまた、本当に嬉しそうな表情をするから、美来は頭を抱えたくなった。

 惚れた方が負け。
 その言葉が頭をよぎって、美来は気付かないふりをした。

 どうしていつもこうなるのだろう。
 どうして衣織は、期待を裏切ってくるのだろう。

 そもそも、ほとんど無理矢理宿泊を決行するなんて、自分勝手でデリカシーがないとなりそうなのに、それが衣織のキャラで全て許されている。

 実柚里は衣織がチョロくて羨ましいと言ったが、本当にチョロいのは自分の方かもしれないと、美来は危機感を覚えていた。

「とりあえず、飲み物とか買おうよ」
「飲み物どころじゃないから。いくら? 私払うから」
「いいって」
「いや、よくない! せめて私の分だけでも払わせて!!」

 大学生の収入源はバイト代のはずだ。
 学業と両立しながら得たお金なんだから、こんなことに使わせられない。

 もしかすると両親が激甘でお金持ちで毎月多額のお小遣いをもらっているかもしれないが、そうだとしても美来は衣織の親御さんに自分の宿泊代を払ってもらう気はさらさらなかった。

「自分のお金なんだから、自分の使いたいように使ってるだけ。今日は俺、美来さんに貢ぎたい気分だった」

 気持ちは分からなくもないが、それにしても〝貢ぎたい〟とかいうのはやめてほしい。衣織が言うと冗談にすら聞こえなくなってくる。

「でも、」
「じゃあ、わかった!」

 代替え案でも提案するつもりなのか、衣織は明るい口調でそう言ってコンビニを指さした。

「コンビニでジュース買って」

 衣織が何を理解したのか、美来には全くわからなかった。
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