ダメな大人の見本的な人生
46:犯罪者のたまご
「でも付き合ったりとか、結婚したりとか。そんなことはしてないってわかってくれた?」
関係の話は濁すくせに、どうして結婚だとか付き合ったりだとか。
恋愛において名前のある関係ではない事は理解してほしいのだろう。
もしかして、私の事が好きとか? と考えたが、どうしても衣織が自分の事を好きという現実が、美来には信じられないし、もしそうだとしてもその衣織から自分に向けられる矢印を信じようとは思わなかった。
二人の関係に将来性はないと思っているから。
衣織の年齢が18歳。自分の年齢が29歳。
そこに至るまで、人生はいろいろあった。美来自身、大学生の頃の自分と今の自分では別人ではないのかと思うくらいの変化がある。
だから一緒にいる選択をしたとして、いつまでもこのまま居心地のいい関係が続くとも限らない。
何より、世間体が気になる。
だからこそ衣織の考えている事が全くわからず、彼は何も考えていない短絡的な性格なのだろうと思うのだ。
もし自分が赤の他人なら、年上を狙うなら迷わずに〝悪い事は言わない。葵にしておけ〟というだろう。
葵は確かに特別に美人というわけではないが、見た目は経営者らしい清潔感であふれているし、何より圧倒的な実力がある。自分と自分の切り開いてきた人生に自信を持っていて、これから先、どんなことがあっても、彼女のような女性なら引っ張って行ってくれると思う。
衣織の容姿と口があれば、ヒモになれる日もそう遠くないかもしれない。
つまり、自分とは対極の存在。
つまり、〝こんな女はやめておけ〟。という事だ。
まあどれだけ思ったとしても、衣織は〝顔〟だけがあれば、それ以外は笑って許せるらしいから、顔だけを見ている可能性の方が圧倒的に高いのだが。
〝わかってくれた?〟と聞く衣織の言葉に返事をしなければいけないのだが、美来は複雑な気持ちを抱えている。
状況は理解できた。
しかし、〝わかった〟というのは〝許す〟と言っているようなもので。
〝わかった〟というのは、葵と衣織の関係を肯定するという事。
当然、肯定なんてしたくない。
衣織が来ない夜は、連絡がない夜は、もしかすると葵の所にと思ってしまうのだから。
そもそも、肯定って、許すってなんだ。
衣織とは付き合っているわけではないんだから、何も言う権利はないし、分かってあげる義理もないはず。
衣織が誰といつどこで何をしていようが、関係ない話なのに、今ではもう気になって仕方がない。
葵と一緒にいるのかもしれないと考えると、嫌で嫌で堪らなくて。つまり、寂しくなる。
そんな自分が嫌いだ。
「今日、葵さんと一緒に温泉旅行に行くつもりだったんでしょ?」
〝わかってくれた?〟の質問なんてすっかり忘れて、美来は衣織に問いかける。
衣織はしばらく黙っていたが、少しして首を傾げた。
「うん?」
「葵さんに予定が入ったから、私を誘ったんでしょ?」
「え、違うよ?」
どうしてそうなったの? と言いたげな様子の衣織に嘘をついていそうな様子はなかった。
百パーセント、ド真ん中を言い当てたと思っていたのに、違うと言われた途端、え、違うの? という言葉が脳内でひしめき合って、ショートする。
「違う違う。今日は大学の友達と温泉に行くつもりだったんだよ。バイト休み取るから、って言うから予定立てたのに、やっぱり無理になったって言うから、なくなったの」
葵と一緒に乗る予定だった車なんだろうと考えたし、温泉に行くつもりで元々準備をしていたボストンバックを見て、葵と温泉旅行に行くのかと考えた。
今日一日、葵が頭の中をよぎったのは何だったんだと思った。
関係性について、納得したわけではない。
しかし、それにしても、今日一日、衣織と楽しむたびに脳裏によぎった葵は、完全に考えすぎだったというわけだ。
本当に、なんて日なんだ。
美来は脱力して息を吐きながら、露天風呂に背を預けた。
「俺が葵さんと一緒に行くって思ってたの?」
「別に」
衣織の質問に、光の速さで返事をする。
衣織はなぜか上機嫌な様子でいた。
もしかして、嫉妬したと気づかれたのだろうか。
「ねー。なんで?」
「だから別に。なんでも」
美来がそういってくるりと衣織に背を向けると、衣織は美来の身体を後ろから抱きしめた。
素肌で触れ合う感覚が生々しいし、水の中というのもまたなんだか、妙に変な気持ちにさせる。
自分はこんなことに興奮する性格だったか、と思い返してみてもろくに頭は回っていない。
もしかすると、もうとっくに毒されているのかもしれないとすら思った。
「もしかして嫉妬してくれたとか」
「別に」
「だよねー」
衣織はそうだと思った、という諦めた様な態度で言う。
葵に嫉妬しているなんて考えは、衣織の中にはないのだろう。
どうしてそんなに鈍感なの、と思ったが、もしかすると、衣織の頭の中でそれを紐付かせないようにしているのは自分の方なのではないかと思った。
だって衣織の事をテキトーに扱ってきたのは自分なんだから。
もしかすると衣織は自分は〝ただのセフレ〟くらいにしか思われてない、と思っているのかもしれない。
その可能性が非常に高くて、しかし、それを変更するという事は、一気に距離を縮める事でもある。
明確にするのなら〝衣織くんは私の事をどう思ってるの?〟と聞けば解決だ。
きっと答えてくれる。
なんて答えるのだろう。〝顔がいいお姉さん〟だろうか。
そういわれると、立ち直れない様な気がして。
本当に衣織の事が好きなのだろうな、と他人事のように諦めた感覚でそう思う。
葵に嫉妬しているのだから、否定しようのない事実のような気がするが。
しかし、もう少し違う女性でもいいはずだ。
どうしてよりにもよってそんな真逆の仕事がバリバリできて、男なんていりません。自分の人生は自分の力で切り開きますから。みたいな人と深い関係を持っているんだ。
もういっそ私も別の人と、という考え過るが、バーの帰り道にえらい目にあったことを思い出した。
美来は自分に節操がない事を重々承知していた。
あの時は田上が紳士であっさりと返してくれたが、もしも酒に酔ってホテルに行こうというタイプの男だったら、気分が乗っていたらついて行っていたと思う。
もしほかの男とホテルになんて行くことになったとして、それを衣織に気付かれていたら。
そう思うと恐怖心が駆け巡る。
そして付き合っていない事を思い出す。
考えるべきことと考えなくてもいい事が、ごちゃごちゃになる。
付き合っている感じで独占しようとしたり、嫉妬したりする。
なんだかんだ衣織が境界線を引かないから、こんな気持ちになるのでは。
つまり衣織が悪いのではないかと思い始めていた。
田上とのデートの時だって、自分には葵がいたのだから邪魔をする必要なんて一つもない訳で。
顔が好きだから、これからも〝この顔〟と遊びたいからという理由で邪魔をしているのかもしれないが、あんなことをされてはもしかすると自分の事が好きなのでは、と恥ずかしい勘違いをしてしまっても仕方ない気がする。
美来は酒を飲む。
のぼせと酒のせいで、ほんの少しだけ頭がぼんやりする。
桶が水の上でぷかぷか浮いているのをじーっとみているとだんだん気分が悪くなってきそうな気がしたので、美来はすぐそばの台に徳利の入った桶を置いた。
「衣織くんはさ、私が田上さんと一緒にいるの見て、どう思ったの?」
もう話はまとまりかけていたのに、ほとんど無意識でそんな質問をする自分は、心底面倒な面倒な女だと思う。
「殺してやろうかなって思った」
「……誰を?」
「田上」
自分で聞いておいて、美来は頭を抱えた。
もしかして今後男性と関わりを持つという事は、衣織を犯罪者にするという事なのだろうか。
関係の話は濁すくせに、どうして結婚だとか付き合ったりだとか。
恋愛において名前のある関係ではない事は理解してほしいのだろう。
もしかして、私の事が好きとか? と考えたが、どうしても衣織が自分の事を好きという現実が、美来には信じられないし、もしそうだとしてもその衣織から自分に向けられる矢印を信じようとは思わなかった。
二人の関係に将来性はないと思っているから。
衣織の年齢が18歳。自分の年齢が29歳。
そこに至るまで、人生はいろいろあった。美来自身、大学生の頃の自分と今の自分では別人ではないのかと思うくらいの変化がある。
だから一緒にいる選択をしたとして、いつまでもこのまま居心地のいい関係が続くとも限らない。
何より、世間体が気になる。
だからこそ衣織の考えている事が全くわからず、彼は何も考えていない短絡的な性格なのだろうと思うのだ。
もし自分が赤の他人なら、年上を狙うなら迷わずに〝悪い事は言わない。葵にしておけ〟というだろう。
葵は確かに特別に美人というわけではないが、見た目は経営者らしい清潔感であふれているし、何より圧倒的な実力がある。自分と自分の切り開いてきた人生に自信を持っていて、これから先、どんなことがあっても、彼女のような女性なら引っ張って行ってくれると思う。
衣織の容姿と口があれば、ヒモになれる日もそう遠くないかもしれない。
つまり、自分とは対極の存在。
つまり、〝こんな女はやめておけ〟。という事だ。
まあどれだけ思ったとしても、衣織は〝顔〟だけがあれば、それ以外は笑って許せるらしいから、顔だけを見ている可能性の方が圧倒的に高いのだが。
〝わかってくれた?〟と聞く衣織の言葉に返事をしなければいけないのだが、美来は複雑な気持ちを抱えている。
状況は理解できた。
しかし、〝わかった〟というのは〝許す〟と言っているようなもので。
〝わかった〟というのは、葵と衣織の関係を肯定するという事。
当然、肯定なんてしたくない。
衣織が来ない夜は、連絡がない夜は、もしかすると葵の所にと思ってしまうのだから。
そもそも、肯定って、許すってなんだ。
衣織とは付き合っているわけではないんだから、何も言う権利はないし、分かってあげる義理もないはず。
衣織が誰といつどこで何をしていようが、関係ない話なのに、今ではもう気になって仕方がない。
葵と一緒にいるのかもしれないと考えると、嫌で嫌で堪らなくて。つまり、寂しくなる。
そんな自分が嫌いだ。
「今日、葵さんと一緒に温泉旅行に行くつもりだったんでしょ?」
〝わかってくれた?〟の質問なんてすっかり忘れて、美来は衣織に問いかける。
衣織はしばらく黙っていたが、少しして首を傾げた。
「うん?」
「葵さんに予定が入ったから、私を誘ったんでしょ?」
「え、違うよ?」
どうしてそうなったの? と言いたげな様子の衣織に嘘をついていそうな様子はなかった。
百パーセント、ド真ん中を言い当てたと思っていたのに、違うと言われた途端、え、違うの? という言葉が脳内でひしめき合って、ショートする。
「違う違う。今日は大学の友達と温泉に行くつもりだったんだよ。バイト休み取るから、って言うから予定立てたのに、やっぱり無理になったって言うから、なくなったの」
葵と一緒に乗る予定だった車なんだろうと考えたし、温泉に行くつもりで元々準備をしていたボストンバックを見て、葵と温泉旅行に行くのかと考えた。
今日一日、葵が頭の中をよぎったのは何だったんだと思った。
関係性について、納得したわけではない。
しかし、それにしても、今日一日、衣織と楽しむたびに脳裏によぎった葵は、完全に考えすぎだったというわけだ。
本当に、なんて日なんだ。
美来は脱力して息を吐きながら、露天風呂に背を預けた。
「俺が葵さんと一緒に行くって思ってたの?」
「別に」
衣織の質問に、光の速さで返事をする。
衣織はなぜか上機嫌な様子でいた。
もしかして、嫉妬したと気づかれたのだろうか。
「ねー。なんで?」
「だから別に。なんでも」
美来がそういってくるりと衣織に背を向けると、衣織は美来の身体を後ろから抱きしめた。
素肌で触れ合う感覚が生々しいし、水の中というのもまたなんだか、妙に変な気持ちにさせる。
自分はこんなことに興奮する性格だったか、と思い返してみてもろくに頭は回っていない。
もしかすると、もうとっくに毒されているのかもしれないとすら思った。
「もしかして嫉妬してくれたとか」
「別に」
「だよねー」
衣織はそうだと思った、という諦めた様な態度で言う。
葵に嫉妬しているなんて考えは、衣織の中にはないのだろう。
どうしてそんなに鈍感なの、と思ったが、もしかすると、衣織の頭の中でそれを紐付かせないようにしているのは自分の方なのではないかと思った。
だって衣織の事をテキトーに扱ってきたのは自分なんだから。
もしかすると衣織は自分は〝ただのセフレ〟くらいにしか思われてない、と思っているのかもしれない。
その可能性が非常に高くて、しかし、それを変更するという事は、一気に距離を縮める事でもある。
明確にするのなら〝衣織くんは私の事をどう思ってるの?〟と聞けば解決だ。
きっと答えてくれる。
なんて答えるのだろう。〝顔がいいお姉さん〟だろうか。
そういわれると、立ち直れない様な気がして。
本当に衣織の事が好きなのだろうな、と他人事のように諦めた感覚でそう思う。
葵に嫉妬しているのだから、否定しようのない事実のような気がするが。
しかし、もう少し違う女性でもいいはずだ。
どうしてよりにもよってそんな真逆の仕事がバリバリできて、男なんていりません。自分の人生は自分の力で切り開きますから。みたいな人と深い関係を持っているんだ。
もういっそ私も別の人と、という考え過るが、バーの帰り道にえらい目にあったことを思い出した。
美来は自分に節操がない事を重々承知していた。
あの時は田上が紳士であっさりと返してくれたが、もしも酒に酔ってホテルに行こうというタイプの男だったら、気分が乗っていたらついて行っていたと思う。
もしほかの男とホテルになんて行くことになったとして、それを衣織に気付かれていたら。
そう思うと恐怖心が駆け巡る。
そして付き合っていない事を思い出す。
考えるべきことと考えなくてもいい事が、ごちゃごちゃになる。
付き合っている感じで独占しようとしたり、嫉妬したりする。
なんだかんだ衣織が境界線を引かないから、こんな気持ちになるのでは。
つまり衣織が悪いのではないかと思い始めていた。
田上とのデートの時だって、自分には葵がいたのだから邪魔をする必要なんて一つもない訳で。
顔が好きだから、これからも〝この顔〟と遊びたいからという理由で邪魔をしているのかもしれないが、あんなことをされてはもしかすると自分の事が好きなのでは、と恥ずかしい勘違いをしてしまっても仕方ない気がする。
美来は酒を飲む。
のぼせと酒のせいで、ほんの少しだけ頭がぼんやりする。
桶が水の上でぷかぷか浮いているのをじーっとみているとだんだん気分が悪くなってきそうな気がしたので、美来はすぐそばの台に徳利の入った桶を置いた。
「衣織くんはさ、私が田上さんと一緒にいるの見て、どう思ったの?」
もう話はまとまりかけていたのに、ほとんど無意識でそんな質問をする自分は、心底面倒な面倒な女だと思う。
「殺してやろうかなって思った」
「……誰を?」
「田上」
自分で聞いておいて、美来は頭を抱えた。
もしかして今後男性と関わりを持つという事は、衣織を犯罪者にするという事なのだろうか。