ダメな大人の見本的な人生
61:花火
なんで? え、なんで。
来ないって言ったじゃん。
一か月半くらいぶりに見る衣織を見つめたまま思考が止まる。
やっぱりイケメンだった。
衣織の写真なんて一枚も持っていないので、衣織の事を考えるときは頭の中で思い描く以外に方法はないのだが、こんなに顔がよかったか? と自分の脳みそでは再生しきれないイケメンっぷりに頭の中が軽いパニックになる。
私、こんな顔のいい子と平気でヤってたんだっけ。とかこんな顔のいい子に執着されるって、展開的にエロくないかとか、突発的に思うから、多分頭が悪いのだと思う。
来ないって言ったじゃん、と、どうしてそんなに顔がいいんだ、が並行して頭の中を直線に流れている。
本当に意味が分からない。いろいろと。
「あー、来たの?」
「自分が来いっていったんじゃん」
衣織はテキトーな口調で実柚里に言うと、ふっと視線をそらして美来を見た。
しまった。
目をそらし損なった。
そう思った時には、もう手遅れ。
ジーっと見つめる衣織と目が合って、目がそらせない。
数秒経つ頃には、完全にタイミングを見失っていた。
衣織も美来を見つめているのだから、つまりお互いに見つめ合っているという事で。
先に話しかけるべきなのだろうか。年上として。
久しぶりだね、とか。いや別に、一か月半なんて社会人からしたら久しぶりでも何でもない訳で。
じゃあ、元気してた、とか。いや、元気してたって、久しぶりとほとんど同義じゃん。
静かな見た目に反して、最高速度で脳みそをぶん回している影響か、変な汗で背中が湿っていく。
「美来さんが花火してる」
衣織はまるで、犬がおやつを食べている所を実況するみたいに言った。
「やっぱかわいいね、美来さん」
身構えるよりも前にあっさりと変わった状況についていけない美来をよそに、衣織はいつも通りだったはずの人懐っこい笑顔を浮かべた。
なんだか衣織の行動が、腑に落ちて。
ああ、これでいいのか、という、納得のような。
そうかそうか、この距離感が正解なのね、という自分の立ち位置を掴めた感覚というか。
その環境を年下の衣織に作ってもらったという所が、何とも情けない話ではあるが。
「衣織くん、久しぶりだね」
思えば衣織の言葉とは何の繋がりもない話。
しかしこれでいいのだという確信が、衣織がそうさせてくれたのだという確信があった。
「ね。美来さん、元気だった?」
「うん。元気」
たかだか一か月半だ。
学生の衣織は、感覚が違うのかもしれないが、社会人なら平気で会わない期間。
しかし、すっかり会う事に慣れ切ってしまっていた美来からすれば、信じられない程長い時間。
ただ、今となれば長いようで短かった気もするし、短いようで長かった気もする。
時間が歪むような感覚は、いつ以来だろう。
衣織はどんな気持ちでいたのだろう。
少しくらいは寂しいと思っていただろうか。
気になっている時点で手遅れだが、解決策が見つからないから、自分自身に知らないフリをし続ける。
「火はこれね」
実柚里は美来と衣織の一か月半ぶりの再会などどうでもいい様子で、衣織に花火の説明をしている。
「たまにはいい事企画するじゃん」
「たまにもいい事しないアンタに褒められてもねェ」
衣織は笑って、実柚里のバラした花火を手に取っている。
戯けた様子の二人をみて、美来は思わず笑顔になった。
年を取るとどうしても、臆病になる。
だけどこの二人のおかげで、自分は少し若さを取り戻しているのかもしれないと美来は思っていた。
放っておくと、つい平平凡凡を望んで何もしたくなくなってしまうから、やっぱり若い子達の話にはよく耳を傾けよう。
美来がもう一人のダメな大人、ハルを見ると、彼は花火そっちのけで食事と酒に口をつけ続けていた。
せめてこんな好奇心のかけらもないダメな大人になるのはやめようと、美来はハルを見ながら心に誓った。
「美来さん見てー」
衣織の声に視線を向けると、衣織は花火を顔の横に上げていた。
「みみ~。……うわ!」
楽しそうに言ったはいいが、顔のすぐ横をかすめた火の粉に声を上げて、花火を顔から離す。
遊園地の壁に磔の刑に処されたカチューシャを手に取った衣織が、『みみ~』と言っていた時の事を思い出した。
綺麗なまま取っておきたい、衣織との思い出。
「ツノじゃなくて?」
「ああ、ツノかー」
美来の言葉に衣織はあの時と同じように、そうだと思った。とでも言いたげに言う。
美来は思わず笑顔を漏らした。
そしてなんだか、満たされた様な気持ちになる。
本当に勘弁してほしい。
いつの間に、こんなに愛しいと思うようになったのだろう。
いつの間にこんなに、衣織と一緒にいる時間が心地よくなったのだろう。
そしてこの気持ちは、どんな風に消化していったらいいのだろうか。
いつかは掻き消さないといけない気持ちだと分かっているのに、こうやって以前の様に話が出来ていることに安心して、一抹の幸せを感じている。
もしも衣織と距離を取ったり、誰かと結婚するとして。
もう衣織とこんな風に話すことも、会う事は出来ないのか。
そう思うと、途端に寂しくなる。
不倫をして二番目の女になる人の気持ちがわかって、やっぱりわからないと思ったが、今となってはやっぱりわかる様な気がする。
二番目でもいいから、好きな人の側にいたい気持ちは。
「美来さん、ハルさんみたいになってるよー!」
それが思いつく限り最高の悪口だという事を瞬時に理解した美来は我に返る。
いつの間にか浜辺に腰を下ろして、衣織と実柚里が花火をする様子をただただ眺めるモブキャラになっていた。
実柚里は「戻ってきた」と言って笑っていて、衣織は「美来さんも一緒にしよー」とあの人懐っこい笑顔を浮かべている。
「最低の悪口みたいに使うんじゃねーよ」
そういうハルをみると、やはり彼は砂浜に尻から深く根を張っている。
こんなのと一緒にされてたまるかと思った美来は、勢いよく立ち上がって二人の所に向かった。
「これよかったよ。勢い良くビューンって」
そういって実柚里が差し出してくれた花火を受け取った。
「火、つけるよ。やけどしない様に気を付けてね、美来さん」
至れり尽くせりだ。
衣織がライターの火を近づける。
それがいつか、タバコに火をつけてもらった時の事を思い出させて。
不思議な気持ちになる。
懐かしいような、それでいて、もの寂しいような。
そんな気持ちになるのは、夏の終わりだけにしてはくれないだろうか。
持っている花火から勢いよくクリーム色をした火が噴き出して、もの寂しさを隠した。
「わあ!! すごいね、これ!」
美来はそう言うと、勢いよく噴き出す花火の先をくるくると回してみた。
「まるー!」
「じゃあ俺、しかく」
「私はさんかくー!!」
三人で笑いながら花火で絵を描いている間、ハルは酒を飲みながらその様子を眺めていた。
四人で十分な量があったはずの花火は、アッと言う間に底尽きた。
「たのしかったねー」
実柚里はそう言いながら、線香花火をバラし始めた。
最後は四人で円になって、線香花火をかこんだ。
「ああ、ダメだね。風が。……ぎゅっとなったらいけないかな」
実柚里の提案で、全員があと一歩前に出る。
四人でぎゅっと身を寄せ合った。
「ハルさん、もっとこっち来てよ」
「いいだろ、こんくらいで」
「風入ってくるじゃん」
そういうと、実柚里は何の遠慮もなくハルに身を寄せた。
ハルは少し、めんどくさそうな顔をする。
実柚里が全くもって気にしていない様子なのが幸いだが、気になる子に近寄られてこんな顔をするヤツも珍しい。
もう少し嬉しそうに出来ないのだろうか。本当にこの男の感性はどうなっているのだろうと、美来はハルの変な所に興味を持っていた。
「やったー。美来さんに近寄れる口実ができた」
そういうと、衣織も美来に肩を寄せる。
その様子が可愛いと思うのは、やっぱりどうかしていると思う。
線香花火。
結局いい所を全部持って行ったのはハル。
夏が始まる。
来ないって言ったじゃん。
一か月半くらいぶりに見る衣織を見つめたまま思考が止まる。
やっぱりイケメンだった。
衣織の写真なんて一枚も持っていないので、衣織の事を考えるときは頭の中で思い描く以外に方法はないのだが、こんなに顔がよかったか? と自分の脳みそでは再生しきれないイケメンっぷりに頭の中が軽いパニックになる。
私、こんな顔のいい子と平気でヤってたんだっけ。とかこんな顔のいい子に執着されるって、展開的にエロくないかとか、突発的に思うから、多分頭が悪いのだと思う。
来ないって言ったじゃん、と、どうしてそんなに顔がいいんだ、が並行して頭の中を直線に流れている。
本当に意味が分からない。いろいろと。
「あー、来たの?」
「自分が来いっていったんじゃん」
衣織はテキトーな口調で実柚里に言うと、ふっと視線をそらして美来を見た。
しまった。
目をそらし損なった。
そう思った時には、もう手遅れ。
ジーっと見つめる衣織と目が合って、目がそらせない。
数秒経つ頃には、完全にタイミングを見失っていた。
衣織も美来を見つめているのだから、つまりお互いに見つめ合っているという事で。
先に話しかけるべきなのだろうか。年上として。
久しぶりだね、とか。いや別に、一か月半なんて社会人からしたら久しぶりでも何でもない訳で。
じゃあ、元気してた、とか。いや、元気してたって、久しぶりとほとんど同義じゃん。
静かな見た目に反して、最高速度で脳みそをぶん回している影響か、変な汗で背中が湿っていく。
「美来さんが花火してる」
衣織はまるで、犬がおやつを食べている所を実況するみたいに言った。
「やっぱかわいいね、美来さん」
身構えるよりも前にあっさりと変わった状況についていけない美来をよそに、衣織はいつも通りだったはずの人懐っこい笑顔を浮かべた。
なんだか衣織の行動が、腑に落ちて。
ああ、これでいいのか、という、納得のような。
そうかそうか、この距離感が正解なのね、という自分の立ち位置を掴めた感覚というか。
その環境を年下の衣織に作ってもらったという所が、何とも情けない話ではあるが。
「衣織くん、久しぶりだね」
思えば衣織の言葉とは何の繋がりもない話。
しかしこれでいいのだという確信が、衣織がそうさせてくれたのだという確信があった。
「ね。美来さん、元気だった?」
「うん。元気」
たかだか一か月半だ。
学生の衣織は、感覚が違うのかもしれないが、社会人なら平気で会わない期間。
しかし、すっかり会う事に慣れ切ってしまっていた美来からすれば、信じられない程長い時間。
ただ、今となれば長いようで短かった気もするし、短いようで長かった気もする。
時間が歪むような感覚は、いつ以来だろう。
衣織はどんな気持ちでいたのだろう。
少しくらいは寂しいと思っていただろうか。
気になっている時点で手遅れだが、解決策が見つからないから、自分自身に知らないフリをし続ける。
「火はこれね」
実柚里は美来と衣織の一か月半ぶりの再会などどうでもいい様子で、衣織に花火の説明をしている。
「たまにはいい事企画するじゃん」
「たまにもいい事しないアンタに褒められてもねェ」
衣織は笑って、実柚里のバラした花火を手に取っている。
戯けた様子の二人をみて、美来は思わず笑顔になった。
年を取るとどうしても、臆病になる。
だけどこの二人のおかげで、自分は少し若さを取り戻しているのかもしれないと美来は思っていた。
放っておくと、つい平平凡凡を望んで何もしたくなくなってしまうから、やっぱり若い子達の話にはよく耳を傾けよう。
美来がもう一人のダメな大人、ハルを見ると、彼は花火そっちのけで食事と酒に口をつけ続けていた。
せめてこんな好奇心のかけらもないダメな大人になるのはやめようと、美来はハルを見ながら心に誓った。
「美来さん見てー」
衣織の声に視線を向けると、衣織は花火を顔の横に上げていた。
「みみ~。……うわ!」
楽しそうに言ったはいいが、顔のすぐ横をかすめた火の粉に声を上げて、花火を顔から離す。
遊園地の壁に磔の刑に処されたカチューシャを手に取った衣織が、『みみ~』と言っていた時の事を思い出した。
綺麗なまま取っておきたい、衣織との思い出。
「ツノじゃなくて?」
「ああ、ツノかー」
美来の言葉に衣織はあの時と同じように、そうだと思った。とでも言いたげに言う。
美来は思わず笑顔を漏らした。
そしてなんだか、満たされた様な気持ちになる。
本当に勘弁してほしい。
いつの間に、こんなに愛しいと思うようになったのだろう。
いつの間にこんなに、衣織と一緒にいる時間が心地よくなったのだろう。
そしてこの気持ちは、どんな風に消化していったらいいのだろうか。
いつかは掻き消さないといけない気持ちだと分かっているのに、こうやって以前の様に話が出来ていることに安心して、一抹の幸せを感じている。
もしも衣織と距離を取ったり、誰かと結婚するとして。
もう衣織とこんな風に話すことも、会う事は出来ないのか。
そう思うと、途端に寂しくなる。
不倫をして二番目の女になる人の気持ちがわかって、やっぱりわからないと思ったが、今となってはやっぱりわかる様な気がする。
二番目でもいいから、好きな人の側にいたい気持ちは。
「美来さん、ハルさんみたいになってるよー!」
それが思いつく限り最高の悪口だという事を瞬時に理解した美来は我に返る。
いつの間にか浜辺に腰を下ろして、衣織と実柚里が花火をする様子をただただ眺めるモブキャラになっていた。
実柚里は「戻ってきた」と言って笑っていて、衣織は「美来さんも一緒にしよー」とあの人懐っこい笑顔を浮かべている。
「最低の悪口みたいに使うんじゃねーよ」
そういうハルをみると、やはり彼は砂浜に尻から深く根を張っている。
こんなのと一緒にされてたまるかと思った美来は、勢いよく立ち上がって二人の所に向かった。
「これよかったよ。勢い良くビューンって」
そういって実柚里が差し出してくれた花火を受け取った。
「火、つけるよ。やけどしない様に気を付けてね、美来さん」
至れり尽くせりだ。
衣織がライターの火を近づける。
それがいつか、タバコに火をつけてもらった時の事を思い出させて。
不思議な気持ちになる。
懐かしいような、それでいて、もの寂しいような。
そんな気持ちになるのは、夏の終わりだけにしてはくれないだろうか。
持っている花火から勢いよくクリーム色をした火が噴き出して、もの寂しさを隠した。
「わあ!! すごいね、これ!」
美来はそう言うと、勢いよく噴き出す花火の先をくるくると回してみた。
「まるー!」
「じゃあ俺、しかく」
「私はさんかくー!!」
三人で笑いながら花火で絵を描いている間、ハルは酒を飲みながらその様子を眺めていた。
四人で十分な量があったはずの花火は、アッと言う間に底尽きた。
「たのしかったねー」
実柚里はそう言いながら、線香花火をバラし始めた。
最後は四人で円になって、線香花火をかこんだ。
「ああ、ダメだね。風が。……ぎゅっとなったらいけないかな」
実柚里の提案で、全員があと一歩前に出る。
四人でぎゅっと身を寄せ合った。
「ハルさん、もっとこっち来てよ」
「いいだろ、こんくらいで」
「風入ってくるじゃん」
そういうと、実柚里は何の遠慮もなくハルに身を寄せた。
ハルは少し、めんどくさそうな顔をする。
実柚里が全くもって気にしていない様子なのが幸いだが、気になる子に近寄られてこんな顔をするヤツも珍しい。
もう少し嬉しそうに出来ないのだろうか。本当にこの男の感性はどうなっているのだろうと、美来はハルの変な所に興味を持っていた。
「やったー。美来さんに近寄れる口実ができた」
そういうと、衣織も美来に肩を寄せる。
その様子が可愛いと思うのは、やっぱりどうかしていると思う。
線香花火。
結局いい所を全部持って行ったのはハル。
夏が始まる。