ダメな大人の見本的な人生

62:これが彼の平常運転

 衣織がスナックみさに現われたのは、花火をしてから二週間がたった頃だった。

 まるで何事もなかったかのように、さらりと彼は現れた。

 三人は花火で会っていて特に衣織にレア感は感じなかったが、美妙子や斉藤は久しぶりに見る衣織に驚いていた。

「あら~衣織くん、久しぶりね」
「お久しぶりです」

 衣織はやはり美妙子には丁寧に接している。
 いつも衣織の破天荒な所ばかりを見ているから、人に丁寧に接している衣織を見ると新鮮な気持ちになる。

「ここ数か月、今何してたの?」

 美妙子はなんて事のないような様子で衣織に問いかける。

「仕事です。最近忙しくて」
「あら、そうだったの。だから来なかったのね」

 衣織は珍しくテーブル席に座る三人の元へと歩み寄りながら返事をする。

 〝仕事〟という言葉を聞いて心底安心している。
 いや、もしかすると気まずくてスナックみさと距離を取っているとは言えなかっただけなのかもしれないが。

 そんなことはどうでもいい。
 仕事と言われれば信じるしかないと、美来の脳みそは完全にご都合主義で回っていた。

 大して偏差値の高くない大学の美来の回りには、バイトをする人はいても仕事をしている人はいなかった。

 それから衣織は、美来とハルと実柚里が座っているテーブル席でピタリと動きを止めた。

 壁側。ソファー席には美来とハルが、美来の向かいの背のない椅子には実柚里が座っている。
 必然的に、開いているのはハルの正面、実柚里の隣しかない。

 この配置になったのには理由がある。
 実柚里と時間を合わせてきた美来は、二人で話ができる様にテーブル席を選んで向かい合って座った。

 それから来たハルを実柚里が誘って、美来の隣のソファーを陣取った、という事だ。

「……どいて」
「退くわけねーだろ」

 衣織の言葉を予測していたのか、ハルは速攻で返事をする。
 ハルの返事に、衣織はむっと顔をゆがめた。

「いいじゃん別に、私の隣で」

 実柚里は興味が無さそうにそういって、自分の隣の椅子を叩いた。

 美妙子は衣織の炭酸ジュースを、実柚里の隣に出す。

 衣織はむっとした表情のまま、実柚里の隣に腰を下ろした。

 こうしていると本当にいつも通り。
 何の問題もないように見える。

 しかしもし二人になった時、一体どうなるのだろう。

 美来は衣織のむっとした表情がほんの少し明るくなったことを見逃さなかった。

「ハルさん」

 衣織は珍しく自分からハルに話しかける。
 人懐っこい笑顔を張り付けて。

「あ?」

 それにハルは興味無さそうにガラの悪い返事をした。

「今日、俺がご馳走するね」
「え、まじ?」
「うん。美妙子さーん、ハルさんにビール」

 衣織はそう言うと、また笑顔を張り付けてハルに向き直った。

「遠慮しないで。自分で言うのもなんだけど、俺、お金持ってるよ」
「え、まじ? お前たまにはいいヤツじゃん」

 ハルはそう言うとソファーから身を起こした。

 本当になんて現金なヤツなんだろう。

 しかし美来は、衣織がこのまま終わるとは到底思えなかった。
 きっと何かしら裏があるはずだ。

「なんか旅行とか行きたいなあ~」

 頭をフル回転させている美来をよそに、実柚里が隣でとんでもない事を言い出す。

 まさか〝四人で〟とか、とち狂ったことを言い出すのではなかろうかと思った美来だったが、変に刺激してそんな気持ちにさせては取り返しがつかないと思い、不本意ながらハル同様に、何の気もない様子を装って座っていた。

 最近、気配の消し方がハルに似てきた様な気がする。

「美来さんだったら、どこに行く?」
「そうだね……うん……えー」

 海外にしよう。
 海外だったらそう簡単に行けない。
 ハワイはどうだ。
 いや、ハワイはありきたり過ぎてユーモアがないと思われるかもしれない。

 じゃあ、アメリカは。
 ダメだ。理由を聞かれた時にこたえられない。

 じゃあ、イギリス。いや、何しに行くんだ。バッキンガム宮殿、ってイギリスだっけ。
 大きな時計台とか。いや、何のために。

「き、京都とか」

 時間の猶予がなく突発的に発したのは、中学校の時の修学旅行先だった。
 ああ、バカだ、と思った。
 海外だってあれほど思ってたのに、普通に現実的な所を言ってしまった。

「どうして京都?」
「日本のもの……たくさんあるし」

 美来はどうして京都がいいのかという気持ちよりも、中学校の頃の修学旅行を何となくおぼろげに思い出して言った。

「確かに。私京都行ったことないから、今度行ってみようかな」

 実柚里は楽しそうに一人で完結した様子で話している。

 美来はその様子をしばらく眺めてから、安堵の息を吐いた。

 よかったよかった。誘われる為の伏線ではなかったのだ。
 一人旅行でどこに行こうかと考えているだけだった。

 典型的な女子の会話だ。
 本当によかった、という気持ちで、美来は今度は目を閉じてゆっくりと息を吐く。

「じゃあ、俺達も旅行いく?」

 美来の斜め前から平常運転の衣織が、ここぞとばかりに割り込んでくる。

「行かない」

 美来がきっぱりと答えると衣織は「え~」と言いながら、本気で落胆した表情を見せる。

 今の反応で分かった。
 おそらく衣織は、あわよくば本当にもう一度旅行にこじつけようと思っているに違いない。

 どうして君はそんなにメンタルが強いんだい? 
 どうして別の女がいるのに、そして告白をしてほぼ断られたも同然のお姉さんに、もう一度旅行にワンチャン賭けてみようという気が起きるんだい?

 いろいろな疑問が頭の中を縦横無尽に駆け回る。

 本当にこの子はそろそろ自分の人生を見直した方がいいと思う。
 大人になる前にその歪んだ考えをどうにかすべきだ。

 葵の側にいるという事は、この子は将来をよく見ているのだろうなんて思っていたが、今の衣織は限定的に知能が下がったいつもの男の子だった。

「ハルさんは?」
「沖縄」
「いいね! 沖縄」

 実柚里がそう言ってスマホで検索し出した。

「みんなで行こうよ」
「いかねーよ」

 実柚里の提案に、ハルがすぐさま否定する。
 美来はハルが即答で断ってからすぐ、実柚里の言葉が悪魔の提案だったことを理解した。

 四人で沖縄に行ってどうするんだ。

 おそらく実柚里はその場のノリで言ったのだろうから行くことはないだろうが、万が一行くことになったとしても、なんだかんだと楽しい時間を過ごすのだろうという事は想像がつくが。

「え~ハルさん、つまんない」

 実柚里は少し不貞腐れた顔を作る。

「みやげ買ってきてやるよ」

 ハルの言葉がよほど想定外だったのか、実柚里は唖然としていた。

「ハルさん、旅行とかするの?」
「おー」

 実柚里はハルが案外旅行好きなのを知らないのか、心底驚いた様子でいた。
 しかしハルは〝おー〟の短い返事以外はするつもりがない様だ。

「結構好きだよね?」

 美来が助け船を出すがやはりハルは「まーな」という短い言葉しか言わない。
 助けてやらなければよかったと思った。

「そうなの? ハルさんって、なんか一か所に根を張って生きてるんだと思ってた」
「地に足付いてるって事だろ」

 ハルはどこか得意げにそういう。

「面倒くさがり屋って事」
「わかってねーな」

 実柚里がそう言うとハルは、鼻で笑って言う。

「ちょっと便所」

 ハルは衣織に言われるがままにビールを飲んだからか、品性のかけらもない言葉を残して席を立つ。

 そして何事もなかったかのように今までハルがいた場所に、つまり自分の隣に座って足を組む衣織を見て、美来はやっぱり、と思った。
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