ダメな大人の見本的な人生

63:友情で平行線一択で

 衣織の姑息さを見たハルは一体どんな反応をするのだろうと気になった美来は、ハルが消えていったトイレのドアに注意を向けていた。

 トイレから出てきたハルは、手を服で拭くという品性のかけらもない行為を繰り広げながら歩いてくる。
 見なければよかったと心底後悔していると、ハルがふと視線を上げた。

 テーブル席を確認し、やられた、という顔をした。

「お前マジで……」

 ハルは自分の席に座る衣織を見てから、浅く息を吐く様な気が抜けた声を出した。

「ちゃんとご馳走するよ」
「そういう問題じゃねーの。俺は背もたれがある方がいいんだよ」

 ここまで言ってるんだから譲ってやれよ。お互いに。

 大体、別に座る場所なんてどこでもよくないか。

 背もたれはあるに越したことはないが、必須じゃない。
 いつも座っているカウンターに背もたれはないのだから。

 衣織も衣織だ。
 四人で固まって酒を飲んでいるんだから、よっぽどない限り声が聞こえないなんて現象も発生しない。
 別に隣に固執する必要はない。

 お互いにこだわり強すぎだろ、と思いながらも、口を出して巻き込まれては面倒なので黙っておいた。

 結局ハルは酒をご馳走になることを理由に諦めて、しぶしぶ背もたれのない実柚里の隣に腰を下ろしていた。

「ハルさん、本当に沖縄に旅行行くの?」
「しつけーよ。行くっつってんだろ」

 背もたれを奪われた事で機嫌の悪いハルは、実柚里の言葉に二回も言わせんな、とでも言いたげな様子で言う。

 本当にダメな大人だ。
 もう少し自分の感情くらいどうにかしたらどうなんだと思うが、どう考えても人の事を言える立場ではない。

「彼女と行くの?」

 何の気もない様子で、しかしどこか固い口調で実柚里は問いかける。
 美来はとっさに顔を上げたが、実柚里はいつも通りだった。

「内緒ー」

 意味深に言うのやめろよ。どうせ一人のくせに。

 そう思いながらも、もしかするとこれは、ハルなりの駆け引きなのかもしれないと思った。
 自分に興味を持ったところで、ミステリアスな部分を演出する、恋愛の常套手段。

 しかし、恋愛においてハルがそこまで頭が回るとは思わなかったし、もしも回るのだとしてもめんどくさいという感情が先に出てくるだろうという所に落ち着く。

 つまり恐らく、ハルはただめんどくさいだけだ。

「何よ、内緒って」

 意外だ。ふーん、なんて言いながらあっさり流しておしまいだと思ったのに、実柚里は少し不貞腐れた顔をしている。

 もしかして実柚里はハルの事が好きだったりするのかな、と思ったが、実柚里も実柚里で全くわからない子なので期待をしてはいけない。

 そこまで考えて思った。

 この二人、何を考えているのかわからない。
 自分とは正反対の人間だからだろうか。

「ハルさんに彼女いる訳ないじゃん」

 華麗に遠慮なく、グサリとハルを刺したのは衣織だった。

「お前もいねーだろーが。俺は違うみたいな言い方すんな」
「俺は違うもん。美来さんの為に空けてるの」

 ハルの言葉に、衣織は笑顔を貼り付けて言う。

「俺だって別にー、作りたい訳じゃねーし」

 どう考えても負け惜しみにしか聞こえない言葉をブツブツと言いながら、ハルはビールに口をつけた。

 〝美来さんの為に空けてる〟なんて言われたら、そのポジションに収まらないといけない様な気がしてくる。

 いやいやいや、違う。
 なんだかんだと理由をつけて、そのポジションに収まろうと脳みそが勝手に考えて動こうとしているだけだ。正気に戻れ、と美来は自分に言い聞かせた。

「なーんだ。彼女じゃないんだ」

 今の反応でハルに彼女がいない事を察したのか、実柚里は急にやる気のない声で言う。

 え、どっち。
 それは安心してその態度なの?
 それともハルに彼女がいるならどんな人か気になってたのにやっぱいないのか、って言う落胆なの?

 嬉しそうに言えばまだ、あれやっぱりハルの事好きなのかなってなるのに、違うって事は、違うって事? そうでいいの?

 わからない。
 やっぱりこの子は何を考えているのかわからない。

「じゃあ、二人は?」

 実柚里の興味の対象が、一瞬でこちらに移った。

「付き合わないの?」

 身構えていなかった。
 不意打ちで顔面にパンチを食らった様な気分。

 本当にとんでもない爆弾をさらりと落としやがった。

「俺はいつでもいいよ、美来さん。記念日とかこだわるタイプ?」

 衣織は笑顔を作ってさらりとそう言って、実柚里の話にのったフリをする。

 ああよかった、助かった。そう思ったのに

「美来さんは?」

 実柚里が何の気もないようにそう問いかけるから。

 頭の中が真っ白になって、何の言葉も言えそうにない。

 変に口を開くと〝あ〟とか〝えっと〟とか、怪しい言葉しか出てこない自信があった。

「あー」

 喋り出しては見るものの、やっぱり出てくるのは曖昧な言葉。

 大丈夫。まだ大丈夫だ。まだ取り返せる。
 そう思って、美来は口を開いた。

「私たちは別にそういうのじゃ……」
「付き合えない理由でもあるの?」

 やめて?
 そうやって気分を盛り上げようとするの。
 その気になってしまったら手遅れなんだよ?

 冷静に説教してやりたい気持ちだ。
 しかし実柚里はおそらく、なんだかんだと仲のいい二人が微妙な雰囲気になっているなんて頭をかすめもしないのだろう。

 気持ちはよく分かる。
 どうして付き合わないのか純粋に疑問に思う気持ちもわかる。

 わかるけど勘弁して、と思いながら、美来の頭の中では言葉になる前のモヤモヤがぐるぐるぐるぐる回っていた。

「じゃ、そろそろ付き合うかー」

 ほんの少しの沈黙の後、そう言ったのはまさかのハルだった。

「は?」
「は?」

 衣織と実柚里の声が重なる。
 美来に至っては、驚きすぎて声にもならなかった。

「え? そういう事じゃねーの? なあ、美来」

 ハルは平坦な態度でいつもの口調。
 冗談なのか本気なのか、分からないくらい、いつも通り。

 三人が唖然としている中、ハルは噴出した。

「バカじゃねーの。冗談に決まってんだろ」

 それを聞いた衣織は、息を漏らして笑った。

「びっくりした。本気なのかと思った。……よかった」
「騙されてやんの~」

 壁に背を預ける衣織を、ハルが茶化している。

「そんなことになったら俺、ハルさん殺さないといけない所だった」
「おい、ふざけんなよお前」

 衣織のおそらく本気の言葉に、ハルはすぐさまツッコミを入れる。
 衣織の執着に恐怖した。

 この子には田上を殺そうとした前科があるんだ。
 もっと十分に釘を刺しておいた方がいいと思う。

「なんだもう……略奪愛かと思ったじゃん。やめてよ、その中途半端な冗談」

 実柚里も緊張を解いて言う。
 雰囲気は一気に、いつもより一層分明るくなった。

「名演技だったろ。俺、俳優になるわ」
「夢見すぎだよ、おじさん」

 衣織にはっきりと言われて、ハルはキレていた。

 美来はハルをちらりと見る。
 いつもの表情だ。取り繕いもしない、やる気のない表情。

 しかし美来は、ハルがあの時とっさに話をすり替えてくれたのだと確信していた。

 こんな時は頼りになるんだ。と彼の新しい一面を知った気持ち。
 つまり、株が上がった。

 しかしこれだけ株が上がっても恋愛対象として見られないんだから、本当に自分はハルを何とも思ってないのだな。と、事実を再確認しただけだったが。
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