ダメな大人の見本的な人生
69:ズルい男
9月の真ん中。つまり、もう夏は終わった。結局この夏した夏らしい事と言えば、四人でした花火くらい。もうそろそろどこのプールも閉まってしまうのだろう。
とはいっても、温度だけは一丁前に夏の暑さの名残をまだ残している。このクソ暑い中で肌を寄せ合ってイチャイチャしているカップルの真ん中に腕を差し込んで左右に引き裂いてかき分け、真ん中を通ってやりたい気分だった。
この夏、何もなかった30手前女の気持ちがお前らカップルにわかるか? 〝何もなかった〟とは、彼氏ができなかっただけじゃない。ワンナイトラブさえなかった。たったの一度も。ビーチでナンパされることもなかったし、焼きそばやお酒を奢ってもらう事もなかった。
こうなればもう何のために綺麗な顔で生まれてきたのかわからない。この夏は顔面の無駄遣いをしただけだ。ワンナイトのチャンスくらいは、いや、声かけられるくらいはされてもよかっただろ。せめて。と美来は自分が暑さに負けて行動しなかったことが全ての原因と分かっていながらも、消化しきれない思いをいっぱいいっぱいに抱えていた。
「美来さん、人殺せそうな顔してるよ」
隣で呆れた様子で言う実柚里の言葉に反省しつつ、美来は汗をぬぐった。
真夏に比べればまだましにはなってきたが、それでも暑い事には変わりない。
暑さも少し和らいだし、という事で今日は美来と実柚里は二人で買い物をしに来ていた。建物の中はクーラーがガンガンに入っていて天国だ。この瞬間の幸福感だけは季節が夏でよかったと思う。この後二人で食事をして、それからスナックみさに行くことになっている。
実柚里が入ったのは、実柚里らしい服の店。黒いスカートにリボンが付いていたり、白い服にピンクのリボンが付いていたり。
もうとにかく可愛い。女の子! という感じがする。もうこの年齢になってさすがにリボンだらけの新しい服装を開拓しようとは思わない。だからさすがに自分が着る事はないだろうが、見ていて目の保養になる。若いっていい。
そして〝ついてきている〟様に見えるだろうから、一人では躊躇する店も遠慮なく入れる。実柚里に感謝だ。凄く楽しい。
自分が人生で一度も手に取った事のない系統の服でコーディネートをするのも楽しいので、自分が選んだものを実柚里にプレゼントして着てもらおうかと真剣に考えていた。
「終わった」
「はや」
しかし美来が気付いた時には実柚里はもう服を選び終え、購入まで終わらせていた。
実柚里は本当にかっこいいほど判断が早くて潔い。
買い物を終えた所でこじゃれたカフェに入った。
「夜ご飯、美来さん食べたいものある?」
「別に私は何でもいいけど。……実柚里ちゃんなにかある?」
「あるある。いろいろ食べたいんだけど……今気になってるのはオムライスか、箸で食べるパスタ。どっちがいい?」
「えー、どうしようかな」
「ちなみに! 私はパスタがいい」
「じゃあパスタね」
食事もあっさりと決まる。
実柚里と行動を共にしているとだいぶ楽だという事に気が付く。さっさと自分で決めてくれるし、遠慮がないからこちらも遠慮をしなくてすむ。実柚里に接している感覚は、ハルと似ている。やはり二人は根本的に似ているのだろうと思った。
「ってか美来さん、衣織と何があったの?」
カフェオレを噴き出すことを我慢した代償は、鼻にカフェオレが逆流という悲劇。
鼻の奥走った激痛を堪えると涙目になる。しかし、化粧をしている目を擦るわけにもいかず、さらに泣きそうになりながら鼻先を必死に抑えて痛みを逃がした。
「なにやってるの?」
美来が痛みと戦っている最中、実柚里は不審者を見るような目で見てくる。
どう考えたって今のは実柚里のせいだ。
「私が口に何も入れてない時にしてよ! そういうデリケートな話題はさ」
「え~そんないちいちタイミング計るのめんどいじゃん」
実柚里はそう言いながら、季節限定のよく分からない名前の飲み物に口をつけた。
「衣織は普通だけど、美来さんが衣織にちょっと遠慮してるからさ」
「私、そんな感じに見えてるの?」
「え、気付いてないの? 結構違うよ」
「……気を付けよ」
「で、何があったの?」
「ちょっといろいろ……。なんて話したらいいのかわからない」
「恋のライバルが現れたとか?」
〝恋のライバル〟という言葉で美来は言葉に詰まった。
ライバル、ではないのだろう。葵からすればおそらく相手にもならないだろうから。
「うん……まあ」
しかしまあ、そんな感じと言えばそんな感じだ。
「って言っても、私はさっさと結婚したいし……。そもそも、実柚里ちゃんくらいの年齢って、10以上年の離れた人好きになったりするの?」
「それ、私に聞いちゃう?」
「だよね。実柚里ちゃんはハルの事好きなんだもんね」
「そ。魅力的な所があるなら、好きになるに決まってるよ」
「そっか……」
納得する部分もあるが、出来ない部分もある。年上の女が好きと言っても、数個上くらいだと思うけど。
どうして衣織はそんなに年上のお姉さんがいいのだろう。強いこだわりか何かあるのだろうか。
それから二人で箸で食べるパスタを食べた。味も凄く美味しかった。今日一日凄く充実していて、しかもこれから酒まで飲める。こんな幸福は他にない。やっぱり人間には休息が必要だ。クソ暑い中で絡まり合うカップルなんてもうどうでもよかった。
スナックみさにはすでにハルが来てカウンターに座っていた。
実柚里は美妙子にうながされて、人のいないテーブル席に荷物を置く。
「あ、そうだ。ハルくん、この前ね、実柚里ちゃんすっごく可愛い恰好してたのよ」
「美妙子さん……!」
その言葉に実柚里はカウンター席に移動しながら、顔を赤くして声を上げた。
「そうそう。清楚でね」
「やめてよ、斉藤さんも!」
斉藤の座るテーブル席の方へと思いきり振り返る実柚里は、本当に恥ずかしそうな様子でいる。
「全然違ったよ。誰かわからないくらい」
「誰かわかんねーくらい違うなら、別に実柚里じゃなくてよくね?」
いつも通りの平坦な口調のハル。しかしそれはまるで〝今の実柚里のままがいい〟と言っているみたいで。
自然にイケメン発言をするハルに、全員の時が止まった。実柚里に至っては顔を赤くしている。
「いやあ……ハルくん。参った!」
「なにが?」
斉藤の発言を聞いても、ハルは一人全然意味が分かっていない様子だ。そして真顔。意味が分からない上に興味もないらしい。
この男はどう考えてもモテない部類の人間なのに、どうして時々こんなイケメンムーブをかますのだろう。
「〝今の実柚里ちゃんのままがいい〟っていう風に聞こえたけど?」
笑顔の美妙子の言葉にハルはいつも通りの平坦な態度だった。
「……いや、深読みしすぎ」
おそらくハルは普通に事実を言っただけなのだろうが、今の実柚里のままがいいと言っているみたいに聞こえたのだから仕方ない。
「え、何赤くなってんの? やめろよ。ややこしくなんだろーが」
「私だって別に……!! しようと思ってしてるわけじゃないし」
ハルよ。モテる男はな、そういうのは普通触れないものなんだ。衣織を見習えよ。衣織ならきっと〝美来さん赤くなってる。可愛い〟くらいは川の流れくらい自然に言うぞ。
当然、そこまでのレベルは望んでいない。ただ、もう少しだけデリカシーってやつを持てよ。と考えた美来だったが、ハルとデリカシーなんてほぼ対義語だ。交わるとは到底思えなかった。
実柚里はハルの隣に腰を下ろした。
美妙子がテーブル席に酒を運んでいった所を視線で追った実柚里は、気合を入れる様に息を吸った。
「ハルさん」
「あー?」
ガラが悪い。本当にこの男は人との関り方を改める気にはならないのだろうか。
「私、ハルさんとデートしたい」
「しねーよ」
ハルは何の感情もこもってない様子で、ぼそりと返事をする。
「そういうのは、本気で将来を考えてるヤツとするもんだ」
いつもどこか合理的で、しっかりと自分を持っている、ハルらしい断り方。そしてとても、年上らしい断り方。
きっとハルは、こんな風に言うと相手が何も言えないと分かっている。
意外とハルは、ズルい男だと思う。
とはいっても、温度だけは一丁前に夏の暑さの名残をまだ残している。このクソ暑い中で肌を寄せ合ってイチャイチャしているカップルの真ん中に腕を差し込んで左右に引き裂いてかき分け、真ん中を通ってやりたい気分だった。
この夏、何もなかった30手前女の気持ちがお前らカップルにわかるか? 〝何もなかった〟とは、彼氏ができなかっただけじゃない。ワンナイトラブさえなかった。たったの一度も。ビーチでナンパされることもなかったし、焼きそばやお酒を奢ってもらう事もなかった。
こうなればもう何のために綺麗な顔で生まれてきたのかわからない。この夏は顔面の無駄遣いをしただけだ。ワンナイトのチャンスくらいは、いや、声かけられるくらいはされてもよかっただろ。せめて。と美来は自分が暑さに負けて行動しなかったことが全ての原因と分かっていながらも、消化しきれない思いをいっぱいいっぱいに抱えていた。
「美来さん、人殺せそうな顔してるよ」
隣で呆れた様子で言う実柚里の言葉に反省しつつ、美来は汗をぬぐった。
真夏に比べればまだましにはなってきたが、それでも暑い事には変わりない。
暑さも少し和らいだし、という事で今日は美来と実柚里は二人で買い物をしに来ていた。建物の中はクーラーがガンガンに入っていて天国だ。この瞬間の幸福感だけは季節が夏でよかったと思う。この後二人で食事をして、それからスナックみさに行くことになっている。
実柚里が入ったのは、実柚里らしい服の店。黒いスカートにリボンが付いていたり、白い服にピンクのリボンが付いていたり。
もうとにかく可愛い。女の子! という感じがする。もうこの年齢になってさすがにリボンだらけの新しい服装を開拓しようとは思わない。だからさすがに自分が着る事はないだろうが、見ていて目の保養になる。若いっていい。
そして〝ついてきている〟様に見えるだろうから、一人では躊躇する店も遠慮なく入れる。実柚里に感謝だ。凄く楽しい。
自分が人生で一度も手に取った事のない系統の服でコーディネートをするのも楽しいので、自分が選んだものを実柚里にプレゼントして着てもらおうかと真剣に考えていた。
「終わった」
「はや」
しかし美来が気付いた時には実柚里はもう服を選び終え、購入まで終わらせていた。
実柚里は本当にかっこいいほど判断が早くて潔い。
買い物を終えた所でこじゃれたカフェに入った。
「夜ご飯、美来さん食べたいものある?」
「別に私は何でもいいけど。……実柚里ちゃんなにかある?」
「あるある。いろいろ食べたいんだけど……今気になってるのはオムライスか、箸で食べるパスタ。どっちがいい?」
「えー、どうしようかな」
「ちなみに! 私はパスタがいい」
「じゃあパスタね」
食事もあっさりと決まる。
実柚里と行動を共にしているとだいぶ楽だという事に気が付く。さっさと自分で決めてくれるし、遠慮がないからこちらも遠慮をしなくてすむ。実柚里に接している感覚は、ハルと似ている。やはり二人は根本的に似ているのだろうと思った。
「ってか美来さん、衣織と何があったの?」
カフェオレを噴き出すことを我慢した代償は、鼻にカフェオレが逆流という悲劇。
鼻の奥走った激痛を堪えると涙目になる。しかし、化粧をしている目を擦るわけにもいかず、さらに泣きそうになりながら鼻先を必死に抑えて痛みを逃がした。
「なにやってるの?」
美来が痛みと戦っている最中、実柚里は不審者を見るような目で見てくる。
どう考えたって今のは実柚里のせいだ。
「私が口に何も入れてない時にしてよ! そういうデリケートな話題はさ」
「え~そんないちいちタイミング計るのめんどいじゃん」
実柚里はそう言いながら、季節限定のよく分からない名前の飲み物に口をつけた。
「衣織は普通だけど、美来さんが衣織にちょっと遠慮してるからさ」
「私、そんな感じに見えてるの?」
「え、気付いてないの? 結構違うよ」
「……気を付けよ」
「で、何があったの?」
「ちょっといろいろ……。なんて話したらいいのかわからない」
「恋のライバルが現れたとか?」
〝恋のライバル〟という言葉で美来は言葉に詰まった。
ライバル、ではないのだろう。葵からすればおそらく相手にもならないだろうから。
「うん……まあ」
しかしまあ、そんな感じと言えばそんな感じだ。
「って言っても、私はさっさと結婚したいし……。そもそも、実柚里ちゃんくらいの年齢って、10以上年の離れた人好きになったりするの?」
「それ、私に聞いちゃう?」
「だよね。実柚里ちゃんはハルの事好きなんだもんね」
「そ。魅力的な所があるなら、好きになるに決まってるよ」
「そっか……」
納得する部分もあるが、出来ない部分もある。年上の女が好きと言っても、数個上くらいだと思うけど。
どうして衣織はそんなに年上のお姉さんがいいのだろう。強いこだわりか何かあるのだろうか。
それから二人で箸で食べるパスタを食べた。味も凄く美味しかった。今日一日凄く充実していて、しかもこれから酒まで飲める。こんな幸福は他にない。やっぱり人間には休息が必要だ。クソ暑い中で絡まり合うカップルなんてもうどうでもよかった。
スナックみさにはすでにハルが来てカウンターに座っていた。
実柚里は美妙子にうながされて、人のいないテーブル席に荷物を置く。
「あ、そうだ。ハルくん、この前ね、実柚里ちゃんすっごく可愛い恰好してたのよ」
「美妙子さん……!」
その言葉に実柚里はカウンター席に移動しながら、顔を赤くして声を上げた。
「そうそう。清楚でね」
「やめてよ、斉藤さんも!」
斉藤の座るテーブル席の方へと思いきり振り返る実柚里は、本当に恥ずかしそうな様子でいる。
「全然違ったよ。誰かわからないくらい」
「誰かわかんねーくらい違うなら、別に実柚里じゃなくてよくね?」
いつも通りの平坦な口調のハル。しかしそれはまるで〝今の実柚里のままがいい〟と言っているみたいで。
自然にイケメン発言をするハルに、全員の時が止まった。実柚里に至っては顔を赤くしている。
「いやあ……ハルくん。参った!」
「なにが?」
斉藤の発言を聞いても、ハルは一人全然意味が分かっていない様子だ。そして真顔。意味が分からない上に興味もないらしい。
この男はどう考えてもモテない部類の人間なのに、どうして時々こんなイケメンムーブをかますのだろう。
「〝今の実柚里ちゃんのままがいい〟っていう風に聞こえたけど?」
笑顔の美妙子の言葉にハルはいつも通りの平坦な態度だった。
「……いや、深読みしすぎ」
おそらくハルは普通に事実を言っただけなのだろうが、今の実柚里のままがいいと言っているみたいに聞こえたのだから仕方ない。
「え、何赤くなってんの? やめろよ。ややこしくなんだろーが」
「私だって別に……!! しようと思ってしてるわけじゃないし」
ハルよ。モテる男はな、そういうのは普通触れないものなんだ。衣織を見習えよ。衣織ならきっと〝美来さん赤くなってる。可愛い〟くらいは川の流れくらい自然に言うぞ。
当然、そこまでのレベルは望んでいない。ただ、もう少しだけデリカシーってやつを持てよ。と考えた美来だったが、ハルとデリカシーなんてほぼ対義語だ。交わるとは到底思えなかった。
実柚里はハルの隣に腰を下ろした。
美妙子がテーブル席に酒を運んでいった所を視線で追った実柚里は、気合を入れる様に息を吸った。
「ハルさん」
「あー?」
ガラが悪い。本当にこの男は人との関り方を改める気にはならないのだろうか。
「私、ハルさんとデートしたい」
「しねーよ」
ハルは何の感情もこもってない様子で、ぼそりと返事をする。
「そういうのは、本気で将来を考えてるヤツとするもんだ」
いつもどこか合理的で、しっかりと自分を持っている、ハルらしい断り方。そしてとても、年上らしい断り方。
きっとハルは、こんな風に言うと相手が何も言えないと分かっている。
意外とハルは、ズルい男だと思う。