ダメな大人の見本的な人生

70:有意義なデートとは

 デートをしたところでお互いに何の得もないと、きっとハルは心底思っているのだと思う。

 美来はハルとのそこそこの付き合いから察していた。
 ハルは案外頑固だ。
 こうなれば、ハルとデートができる可能性はない。

 ハルは今から本気で距離を取ろうとしている。
 一線を明確に引いて、可能性はないと分かってもらおうとしているのだろう。
 はたから見ていれば、別に一度くらい思い出にデートをしてあげればいいのにと思うが、きっとハルからすればそれさえも少しの可能性を期待させてしまう行為なのだろう。
 温情を見せずに一瞬で距離を離そうとするところが、ハルは心底優しい男だと思った。

 確かに自由を好むハルが誰かと付き合っているイメージなんて、ましてや10歳以上も年の離れた子と付き合っているなんて想像が出来ない。

 実柚里はよく頑張った方だと思う。
 自分から〝デートしたい〟なんて勇気が出なくてなかなか言えないものだ。大人の自分でさえ断られるのではと怖くなって、衣織にコーヒーを飲むかと問いかけるのが精一杯だったというのに。

 それもハルの様な言葉を選ばないデリカシーのない人間を誘うなんて、おそらく自分には出来ないだろうという確信が美来にはあった。
 だから本当に実柚里はよく頑張ったと思う。

 ハルと実柚里が会う機会はせいぜいこのスナックくらい。
 今のタイミング以外で誘えないと思ったのだろうが、美来はここにいる事が申し訳ない気持ちになっていた。
 しかし今更、分かりやすく席を外すのも違う気がして。しかし、じっくりと聞いていいものなのかわからず、実柚里の隣に座っていた。
 なるべく耳に何も入れない様に。そして、空気になれと言い聞かせていた。

 しかしいずれにしても、実柚里は後でちゃんと大人として慰めてあげようと思った。

「……ヤダ」
「は?」

 おそらく空気になれと言い聞かせていなかったらハルと同じように間抜けな声を上げていたに違いない。ハルもまさかここまではっきりと〝ヤダ〟なんて言われると思っていなかったのだろう。

「私はハルさんとデートしたい」
「だーから、」
「私が本気で将来考えてないって、どうして言えるの?」
「あのな? 本気で将来考えてるヤツは定職にもついてないギャンブル好き酒好きのちゃらんぽらんした男とデートしようと思わねーの。常識だろ……って、言わせんな!」

 ハルは華麗なノリツッコミを決めているさなか、美来はそれはもうハルの言う通りだと首がもげる程頷いていた。
 ハルに将来性はない。ハルからは出来る限り何もせずにいたいという気持ちが、つまり省エネモードで人生を送ろうという気概をひしひしと感じる。

「やっぱりハルさん、私の事、何も考えてない子どもだと思ってるんでしょ」
「別にそこまでは思ってねーよ」
「じゃあ別に一回くらいデートしてくれたっていいじゃんケチ!! それとも本当は私の事が嫌で、デートしたくないからそんな理由をでっちあげてるの?」
「だーから! そうじゃなくてさー……」

 完全にハルに軍配が上がったと思っていたのに、今ではまさかのハルが押し負けている。
 後ろの席が美妙子を交えて盛り上がっている最中、美来は空気になれとあれ程言い聞かせていたというのに、二人の結末を興味津々で見守っていた。

「そうじゃないなら、デートして」
「しねーって言ったろ」
「私、何も考えないで誘ってるわけじゃないよ」
「じゃあ聞くけど、何考えて誘ってんの?」
「ハルさんとデートしたいなって思って誘ってる」
「答えになってねーよ」
「なってるよ。それ以外の理由が私の中にないんだもん」

 実柚里の言葉からはひしひしと真剣さが伝わってくる。

「一生懸命誘ってるんだよ。ハルさんとデートしてみたいって思うから」

 ここまで言っているのだから一度くらいデートしてあげても……という気持ちになるが、きっとハルはまだ折れないだろう。

「俺はガキとデートなんかしてもぜんぜん楽しくねーんだよ」

 冷たい。しかし、温かい気持ちがあるからこそ冷たい態度を取っている事もわかっていた。
 ハルの態度はまさに大人だ。最初から夢すら見させない。そして同時に、自分にも夢を見せないようにしている。だけどきっと、そんな複雑な感情が余すことなく子どもに伝わるわけもない。

「ガキでも私、女だもん」

 実柚里は少し落ち込んだ様子で言う。
 さすがに可愛そうになり助け舟を出してあげたい気持ちになったが、それでも美来は堪えていた。
 じゃあどんな態度が正解なのかわからないから。実柚里はもしかするとこれくらいは言わなければ引き下がらないかもしれない。もしそうなら、長引かせて思わせぶりな態度を取られ続ける方がきっと辛いだろう。
 そう考えれば苦しいのは一瞬だけなのかもしれない。

「んな事はわかってるよ」

 ハルはいつも通りの平坦な口調で言う。傷つけたことを申し訳なく思ってるに違いない。それでもハルは長期的に考えた利益を取れる人間だ。

「とにかく諦めろ。俺はお前とデートはしない。そして絶対にお前も楽しくないって断言する」
「それは、私が自分で決めたいの」

 一歩も引かない実柚里を見て、本当にこの子は可愛らしい見た目と違って根性があると改めて思う。
 普通これほどコテンパンに言い負かされれば落ち込んで身を引く所だ。しかし実柚里はまだ噛みついて行くつもりでいるらしい。

「一回だけでいいの。一時間だけでもいい」

 実柚里の言葉は、まっすぐで素直。
 こんな真っ直ぐな思いを聞いたのは、いつ以来だろう。

 これはもしかすると、と直感が働く。
 なんだかんだと言いながら真っ直ぐな思いに弱いハルは、実柚里の気持ちを完全になかったことには出来ないのではないかという直感が働いている。

「一回だけだぞ」

 ハルは観念したようにそう言った。
 ハルと美来の隣で、実柚里はぱっと花が咲いた様な笑顔を浮かべていた。

「やったあ! 美来さん、聞いた!?」

 実柚里のこんなに嬉しそうな顔は初めて見た。なんだかこちらまで嬉しくなるような笑顔だ。

「うん。ちゃんと聞いたよ」

 美来がそう言うと、実柚里は今度はまたハルの方へと振り向いた。

「美来さんが証人だからね!! わかった? ハルさん」

 そう言いながらもハルからの返事はどうでもいいようで、実柚里は「やった~!!」と言いながら両手のこぶしを天井に突き上げている。

 実柚里の様子を見たハルは、呆れ笑いを浮かべる。

「何がそんなに嬉しいんだか」

 自分とのデートでここまで正直に喜んでもらえれば誰だって嬉しいだろう。
 呆れの半分は実柚里に。そして残りの半分はおそらく、根負けした自分自身に向けた呆れなのだろうと思った。

 実柚里はてっきりいろいろな事に冷静で大人びた子だと思っていたが、充分に子どもらしいところもある。可愛らしいなという思いで美来は隣に座る実柚里を見ていた。おそらくハルも、同じ気持ちでいるのだろう。

 自分の人生を自分で切り開いている感じが、実柚里からは伝わってくる。若いからこそのパワーなのか、それとも人間の個体ごとによって違う個性なのか。
 どちらにしてもやはり、衣織や実柚里を見ていると、学ぶことが多い。
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