ダメな大人の見本的な人生
71:ストーカー
【いろいろあるよー】
文字と共に、たくさん陳列されたコスプレ用品の写真が送られてくる。
毎年10月末にスナックみさで行われるハロウィンパーティー。その日はいつも常連のメンバーや美妙子はノリノリで仮装をする。年に一度、イベントにかこつけて殺しきれていない子ども心を解放できる日でもあった。
【本当に私が選んでいいのー?】
【頼んだ】
自分で選んだコスプレの衣装を着るという事が気恥ずかしい美来は、全面的に実柚里に依頼する事にしていた。写真の様子だとノリノリで選んでくれている様で安心する。
しかしふと我に返った。
とんでもないヤツが来たどうしよう。ほぼ裸のバニーガールとか……。
【じゃあこれとか】
添付された写真をすぐさま確認する。
そこにはハイレグ仕様の挙句、胸からみぞおちあたりまで大きく開いたバニーガール。
こんなものは四捨五入したら裸だ。
【やめて】
そう送ると実柚里からは残念そうなウサギがシュン……となっているスタンプが一つ送られてくる。耳に黒いリボンをつけている実柚里らしいスタンプだ。
【素肌を見せない方向で】
簡素に伝えて要望を伝えると、心底不服そうな黒リボンのウサギが指を丸の形にしているスタンプが届く。今のスタンプにはこんなものがあるのか、と感心しながら、実柚里らしい反応に思わず笑顔が漏れる。
休み時間中の気分転換になった。
しかしまた現実に戻れば、生き辛い世界が待っているわけで。そうなるとまた、スナックに行きたい発作が起きる。
自分の居場所って、どこにあるんだろう。
そんな哲学的なことを、最近よく考える。そしてきっと考えても答えが出ない事もわかっている。
脳みそがなるべく適切に働かない様に鈍らせているうちに、今日も一日が終わる。
今日はスナックに寄って帰る元気すらなかった。
スナックに行けば誰かしらが心の澱を理解してくれる。それでも今日は人と関わるよりもゆっくりしたい。
しかし、家に帰ったところで誰もいない。相槌を打ってくれる人さえも。それは寂しすぎる、と思ったが、家の近くにいるのに今更スナックにいくのもな、と四面楚歌になり自分の選択にさらに落ち込む。
こんな気持ちは、うずくまっていればそのうちどこかに去ると知っている。でもできるなら気兼ねなく誰かと。気心が知れた人の側に、ただ居たい。
ほらもう、結婚が最適解だ。どうしてこの夏を無駄にしたんだ、と美来は頭を抱えたい気持ちになった。
週の初め。まだまだ頑張らなければいけないのに。
「こんばんはー」
とうとう学んだらしい。最近では控えめに声をかけてくれる様になった。しかし、最近のストレス源になりつつあるストーカー疑惑のお兄さんだ。
「こんばんは」
美来は取り繕う事もせず、覇気のない口調で言う。
「お疲れですね。大丈夫ですか?」
お疲れだ。本当にお疲れなんだ。この世の中にも自分自身にも。だからわかっているのなら、今すぐに解放してくれないだろうか。そんな切実な美来の願いに気付くはずもなく、ストーカー疑惑のかかったお兄さんは隣を歩く。
最近本当によく会う。会社から直接家に帰ろうが、スナックに寄って帰ろうがよく会う。
やっぱり本当にストーカーしているのではないかと鈍った頭でも明確に疑っていた。
「美来さんは18時が退社時間なんですか?」
「はい、そうで……」
そこまで言いかけて、思考が止まった。
別に退社時間なんてどうでもいい。大体どこも似たり寄ったりだろう。
どうして名前を知っているんだ。
教えていないはずだ。
だって、彼の名前を知らない。
ぞっとするような恐怖。
しかしすぐに〝きっと衣織が名前を呼んだから知っているんだろう〟という所に収まる。
なんだなんだ、そういう事か。という納得は、底知れない恐怖に一層布をかぶせただけ。
「最近、あの男の子をあまり見なくなりましたけど」
〝あの男の子〟は衣織の事だ。目の前で腕を引いて去っていった男の子なんだから、そしてぶち撒かれたビールを片付ける原因を作った張本人なのだから忘れようにも忘れられないだろう。
〝最近〟という言葉が、無意識に薄く爪を立てる。
この男に会うのはいつも、衣織がいない時じゃないか。
「あの子は弟さんですか?」
今まで衣織の事を深く聞くことはなかったのだから、今日に限ってやめてほしい。
もしかするとごく普通の世間話程度の質問なのかもしれないが、疑っている状況では何もかもが恐怖に傾く判断材料になってしまう。
「違います」
明確な恐怖心。自分の声が不自然ではないかどうかすら、美来にはわからなかった。
相変わらずジム帰りの様な服を着ている男に、ヒールを履いた女が走って逃げきれるとも思えなかった。そもそも家を知られては困るのに、どこに逃げればいいのか。
逃げられない。しかし誰かに連絡をしようにも、もし怪しい行動とみなされたら。
衣織との関係を彼氏と答えようか。しかし、もしも逆上させてしまったら。
どうしてこうなってしまったのだろう。距離を近付けすぎたのが原因なのだろうか。でも、ただ挨拶をされたから挨拶をし返しただけの話で。
頭の中は無意識に原因追及に勤しんでいた。
現状、何の役にも立ちはしない。
「じゃあ――」
これが〝じゃあ、また〟の別れの挨拶ならどれだけいいか。
男がこれから言うであろう言葉の返事を、まだ決めていない。
「――どういうご関係、」
「二人でデートしたりお泊りしたりする仲」
すぐ真後ろから聞こえた声。
脳みそが安心を判断して身体の緊張を解くよう指令を出すより前に、心の奥深い部分が安心する。
やっぱりそうなのか、とまた言葉にもならない心の奥底で思う。
隣の男が、しまった、という顔をしたから。
「俺と美来さんの間に入り込む隙とか一ミリもないから。諦めなよ、ストーカー」
心底安心したからかもしれないし、もしかして安心していなくても同じことを思うのかもしれない。
衣織から出た〝ストーカー〟という言葉に、いろいろな感情が浮かぶ。
お前だけは。お前だけは絶対に、ひと様に向かって〝ストーカー〟と言うな。
目当ての女と関係を持つ為だけに合コンを設置して、家を特定して、行き付けのスナックを特定して、知らない間に連絡先を知っているお前だけは、絶対に二度と人さまに向かって〝ストーカー〟なんて下品な言葉を吐くんじゃない。
と喉元まで言葉が出かかった。
「コイツさー、美来さんに付きまとってたんだよ。本物のストーカーじゃん。どんな神経してるの?」
だからね? それはね? 君も一緒だよね? という言葉だけがパニックになった頭の中にぽつりと浮かぶ。
「まさか家まで特定してたりしないよね? とりあえずスマホ出して」
お前はしたよな? 介抱するフリして家まで上がり込んでやることやったよな?
しかしそれと並行したところで、ストーカー疑惑がかかったお兄さんがまさか本当の〝ストーカー〟だったなんて。という衝撃も走っている。
本来特大ブーメランとなるはずの言葉は衣織をすり抜ける仕様になっているらしい。
パニックになった頭は情報が処理しきれず、美来はただその場に立ち尽くしていた。
文字と共に、たくさん陳列されたコスプレ用品の写真が送られてくる。
毎年10月末にスナックみさで行われるハロウィンパーティー。その日はいつも常連のメンバーや美妙子はノリノリで仮装をする。年に一度、イベントにかこつけて殺しきれていない子ども心を解放できる日でもあった。
【本当に私が選んでいいのー?】
【頼んだ】
自分で選んだコスプレの衣装を着るという事が気恥ずかしい美来は、全面的に実柚里に依頼する事にしていた。写真の様子だとノリノリで選んでくれている様で安心する。
しかしふと我に返った。
とんでもないヤツが来たどうしよう。ほぼ裸のバニーガールとか……。
【じゃあこれとか】
添付された写真をすぐさま確認する。
そこにはハイレグ仕様の挙句、胸からみぞおちあたりまで大きく開いたバニーガール。
こんなものは四捨五入したら裸だ。
【やめて】
そう送ると実柚里からは残念そうなウサギがシュン……となっているスタンプが一つ送られてくる。耳に黒いリボンをつけている実柚里らしいスタンプだ。
【素肌を見せない方向で】
簡素に伝えて要望を伝えると、心底不服そうな黒リボンのウサギが指を丸の形にしているスタンプが届く。今のスタンプにはこんなものがあるのか、と感心しながら、実柚里らしい反応に思わず笑顔が漏れる。
休み時間中の気分転換になった。
しかしまた現実に戻れば、生き辛い世界が待っているわけで。そうなるとまた、スナックに行きたい発作が起きる。
自分の居場所って、どこにあるんだろう。
そんな哲学的なことを、最近よく考える。そしてきっと考えても答えが出ない事もわかっている。
脳みそがなるべく適切に働かない様に鈍らせているうちに、今日も一日が終わる。
今日はスナックに寄って帰る元気すらなかった。
スナックに行けば誰かしらが心の澱を理解してくれる。それでも今日は人と関わるよりもゆっくりしたい。
しかし、家に帰ったところで誰もいない。相槌を打ってくれる人さえも。それは寂しすぎる、と思ったが、家の近くにいるのに今更スナックにいくのもな、と四面楚歌になり自分の選択にさらに落ち込む。
こんな気持ちは、うずくまっていればそのうちどこかに去ると知っている。でもできるなら気兼ねなく誰かと。気心が知れた人の側に、ただ居たい。
ほらもう、結婚が最適解だ。どうしてこの夏を無駄にしたんだ、と美来は頭を抱えたい気持ちになった。
週の初め。まだまだ頑張らなければいけないのに。
「こんばんはー」
とうとう学んだらしい。最近では控えめに声をかけてくれる様になった。しかし、最近のストレス源になりつつあるストーカー疑惑のお兄さんだ。
「こんばんは」
美来は取り繕う事もせず、覇気のない口調で言う。
「お疲れですね。大丈夫ですか?」
お疲れだ。本当にお疲れなんだ。この世の中にも自分自身にも。だからわかっているのなら、今すぐに解放してくれないだろうか。そんな切実な美来の願いに気付くはずもなく、ストーカー疑惑のかかったお兄さんは隣を歩く。
最近本当によく会う。会社から直接家に帰ろうが、スナックに寄って帰ろうがよく会う。
やっぱり本当にストーカーしているのではないかと鈍った頭でも明確に疑っていた。
「美来さんは18時が退社時間なんですか?」
「はい、そうで……」
そこまで言いかけて、思考が止まった。
別に退社時間なんてどうでもいい。大体どこも似たり寄ったりだろう。
どうして名前を知っているんだ。
教えていないはずだ。
だって、彼の名前を知らない。
ぞっとするような恐怖。
しかしすぐに〝きっと衣織が名前を呼んだから知っているんだろう〟という所に収まる。
なんだなんだ、そういう事か。という納得は、底知れない恐怖に一層布をかぶせただけ。
「最近、あの男の子をあまり見なくなりましたけど」
〝あの男の子〟は衣織の事だ。目の前で腕を引いて去っていった男の子なんだから、そしてぶち撒かれたビールを片付ける原因を作った張本人なのだから忘れようにも忘れられないだろう。
〝最近〟という言葉が、無意識に薄く爪を立てる。
この男に会うのはいつも、衣織がいない時じゃないか。
「あの子は弟さんですか?」
今まで衣織の事を深く聞くことはなかったのだから、今日に限ってやめてほしい。
もしかするとごく普通の世間話程度の質問なのかもしれないが、疑っている状況では何もかもが恐怖に傾く判断材料になってしまう。
「違います」
明確な恐怖心。自分の声が不自然ではないかどうかすら、美来にはわからなかった。
相変わらずジム帰りの様な服を着ている男に、ヒールを履いた女が走って逃げきれるとも思えなかった。そもそも家を知られては困るのに、どこに逃げればいいのか。
逃げられない。しかし誰かに連絡をしようにも、もし怪しい行動とみなされたら。
衣織との関係を彼氏と答えようか。しかし、もしも逆上させてしまったら。
どうしてこうなってしまったのだろう。距離を近付けすぎたのが原因なのだろうか。でも、ただ挨拶をされたから挨拶をし返しただけの話で。
頭の中は無意識に原因追及に勤しんでいた。
現状、何の役にも立ちはしない。
「じゃあ――」
これが〝じゃあ、また〟の別れの挨拶ならどれだけいいか。
男がこれから言うであろう言葉の返事を、まだ決めていない。
「――どういうご関係、」
「二人でデートしたりお泊りしたりする仲」
すぐ真後ろから聞こえた声。
脳みそが安心を判断して身体の緊張を解くよう指令を出すより前に、心の奥深い部分が安心する。
やっぱりそうなのか、とまた言葉にもならない心の奥底で思う。
隣の男が、しまった、という顔をしたから。
「俺と美来さんの間に入り込む隙とか一ミリもないから。諦めなよ、ストーカー」
心底安心したからかもしれないし、もしかして安心していなくても同じことを思うのかもしれない。
衣織から出た〝ストーカー〟という言葉に、いろいろな感情が浮かぶ。
お前だけは。お前だけは絶対に、ひと様に向かって〝ストーカー〟と言うな。
目当ての女と関係を持つ為だけに合コンを設置して、家を特定して、行き付けのスナックを特定して、知らない間に連絡先を知っているお前だけは、絶対に二度と人さまに向かって〝ストーカー〟なんて下品な言葉を吐くんじゃない。
と喉元まで言葉が出かかった。
「コイツさー、美来さんに付きまとってたんだよ。本物のストーカーじゃん。どんな神経してるの?」
だからね? それはね? 君も一緒だよね? という言葉だけがパニックになった頭の中にぽつりと浮かぶ。
「まさか家まで特定してたりしないよね? とりあえずスマホ出して」
お前はしたよな? 介抱するフリして家まで上がり込んでやることやったよな?
しかしそれと並行したところで、ストーカー疑惑がかかったお兄さんがまさか本当の〝ストーカー〟だったなんて。という衝撃も走っている。
本来特大ブーメランとなるはずの言葉は衣織をすり抜ける仕様になっているらしい。
パニックになった頭は情報が処理しきれず、美来はただその場に立ち尽くしていた。