ダメな大人の見本的な人生
74:コスプレ
衣織があまりにも恐る恐ると言った様子で問いかけるので、どんな返事をしたらいいのかわからない。
おそらく〝わからないのー? 私だよー〟みたいな感じのノリで言えば解決するのだろうが、もしかしたら相当似合っていなくて衣織が認識できないのでは、という分不相応承知のコスプレが美来の冷静さを奪っていた。
「何見つめ合ってるの?」
実柚里は呆れた様子で言うと、ポンポンと美来の肩を叩いた。
「美来さんだよ、美来さん」
「え、あ……美来さん?」
衣織はまた美来の顔をまじまじと見る。
そして次はすぐに口を開いた。
「ごめんね、美来さん。全然わかんなかった。……雰囲気、違うから」
「似合ってない、かな」
「ううん。そんな事ない。似合ってるよ」
衣織は首を振って、いつもよりおとなしい感じでそういう。
いつもと違う衣織になんだか少し不安になる。
「美来ちゃんの平成ギャル、いいわよね~」
「美妙子さんもよく似合ってますよ」
衣織の平常運転に、美妙子は頬に手を当てる。
「やだ。そんなに褒めても何も出ないわよ。はいどうぞ」
美妙子は衣織に飲み物を手渡すと、カウンターの向こうに戻っていった。
それから美来はしばらく実柚里と衣織と三人で酒を飲んでいた。
実柚里は可愛い顔をしているので、二人で並んでいると高校生を誑かした大学生感がある。まあ、実柚里はおそらく誑かされたりはしないだろうが。
美来はふと我に返って、この恰好、やっぱりちょっと痛かったかな。と冷静になっていた。
しかし、もう着てしまったものは仕方ない。今更誰に何を言われようが、泣こうが笑おうが、コスプレは一着しかなく、今年のハロウィンは今日という一日しかないのだ。
「ちょっと回ってくるね」
美来はそういって、衣織と実柚里の側から離れた。
他人任せで申し訳ないが、自己肯定感を上げてもらおう。そう思った美来は馴染みのメンバーの所へと足を運ぶ。彼らの側には、以前はよく通っていたが最近は遠のいていた客もいて、久しぶりの会話で盛り上がった。久しぶりに来る客は「ハルくんは?」という。やはりみんな、ハルが好きなのだろう。
たくさん酒を飲んで、たくさん写真を撮る。そして今日来ないハルに送り付けた。
もちろん忘れずに実柚里の写真も。一度二人の所へ戻って写真を撮った。
しかし既読無視。ハルはそういうヤツだからわかっていた事だが。
楽しい時間は、あっというまに過ぎる。まず帰って行ったのは藤ヶ谷夫妻だった。それを皮切りに段々と人が減っていく。
人数が減り始める頃にはもう、美来は完全に出来上がっていた。
「この年になって制服って……誰にも刺さらないんじゃないかなあ?」
「そんな事ないわよー。好きな人は好きよきっと。だって、本当にやっちゃったら犯罪でしょ? でも年齢超えてりゃ同意あればいいのよ。脱がせる楽しみがあるじゃない」
「そっかあ」
いつの間にか酔っぱらっていた美妙子とふたりでエゲツ度中の上の女子トークを繰り広げながら、美来は酒を煽った。
「美来さん、明日も仕事でしょ」
「……ああ、そうだ」
衣織に言われて明日も仕事という現実を思い出す。
実柚里はすでにいない。おそらく帰ったのだろう。声をかけてくれたのだろうが、美来は残念ながら全く覚えていなかった。
そして仕方なく、清算を済ませて外に出た。
衣織は当然の様に美来の隣を歩く。
「衣織くん」
「うん」
「なにしてるの?」
「美来さん事送ってるの」
「そっかあ」
完全にぼんやりとした頭。冷たい風でも、酔いはあまり醒めない。
「いつもありがとうね、衣織くん」
「うん。どういたしまして」
衣織の簡素な言葉。気持ちよく酔っていて。明日は仕事という現実。
なんだか全て、見て見ぬふりをしたくなる。
こうやって人生は過ぎていくのだろう。
だったら人生なんて、そう長くは必要ない。
「コーヒー」
ぼそりと呟く衣織に、美来は視線を移した。
「コーヒー飲みたい」
衣織は目を合わせない。しかしその代わり、ゆっくりと美来の手を握った。
「……淹れてくれる?」
平坦な口調で問いかける衣織。しかしどこか緊張しているようにも思えた。大切な話でもあるのだろうか。
「別にいいけど、淹れるって程のものじゃ……インスタントだし……」
「じゃあ、お邪魔します」
「はい……どうそ」
家からまだ距離がある状態で、なぜか家の中に入れる約束をしてしまった。
酔って散漫になった思考の中でも、自分の意志のなさがを自覚している。しかし酒というのは、酔いというのは凄いもので、散漫な思考がまるで霧をかけたように、事実から連鎖する罪悪感とかそんなものを掻き消す。
別に今日一日くらいはいいんじゃないか。適度に離れた距離が急激に近付くなんてことはないんじゃないか。それに、衣織がもし本当に真剣な話があるとして、酒の力もなしに話を聞く事なんて絶対にできない。
酔いだけは醒まさない様にしないと。ビールはあったんだっけ。そんなことをぼんやりした頭で考えているうちにアパートについて、美来はドアの前で鍵を探した。
鍵を開けると、衣織がドアを持っていてくれる。美来が中に入ると、衣織も同じように部屋の中に入った。
「お邪魔します」
「すぐ淹れるね」
「着替えとかした後でいいよ。しんどいでしょ」
さらりとそう言われて、確かにそうか。と思った。部屋着もすっぴんもすでに衣織にはさらしているので、恥ずかしいと思う必要はない。そう思うと、もともと抜けていた気がさらに抜ける。化粧がなんだか重たい。さっぱりしたいという気持ちだけが残った。
「じゃあちょっと、化粧落とす」
「どうぞどうぞ。先にリビングに行っておくね」
「うん。すぐいくー」
衣織が廊下を通ってリビングに移動する様子を横目に、美来はその足で洗面所に向かって化粧を落とした。
美来は最後に今の自分の姿を目に焼き付けてカラコンを外した。
それから気合を入れた時にしか使わないアイメイク専用のリムーバーで濃い化粧を落としていく。次に全体をいつもの化粧落としで落とした。
肌が少し突っ張る感じが、なんだか化粧が落ちているなと感じる。水で洗い流して鏡を見ると、先ほどの面影が微塵もなかった。
確かにこの様子では別人と思われても仕方ないかと、あまりの違いに美来は呆れ笑いを浮かべた。
「ふー。さっぱりしたー」
スキンケアを済ませてから洗面所を出てリビングに続くドアを開いたが、リビングは真っ暗。その中に衣織がぽつりと立っていた。
「電気ぐらいつけたら?」
美来は呆れた様子で言いながら、衣織から電気のスイッチに視線を移し手を伸ばした。
しかし衣織は足早にこちらに歩いてきたかと思うと、美来の顔を両手で掴んで上を向かせた。
「いつもの美来さんに戻った」
衣織は平坦で、だけど真剣な口調で言う。
一体どういう状況なのだろう。
衣織がおかしいのか、それとも酔っている自分がおかしいのか。判別がつかない。
散漫な思考が収束してやっと、衣織が口付けて舌を絡めているという事実に気付くのだから、よほど酔っているのだと思う。
「しよ、美来さん」
ほんの少し。ほんの少しだけ酔いがさめる。
せっかく距離が取れたというのに、それはまずいのではと理性が言う。
おそらく〝わからないのー? 私だよー〟みたいな感じのノリで言えば解決するのだろうが、もしかしたら相当似合っていなくて衣織が認識できないのでは、という分不相応承知のコスプレが美来の冷静さを奪っていた。
「何見つめ合ってるの?」
実柚里は呆れた様子で言うと、ポンポンと美来の肩を叩いた。
「美来さんだよ、美来さん」
「え、あ……美来さん?」
衣織はまた美来の顔をまじまじと見る。
そして次はすぐに口を開いた。
「ごめんね、美来さん。全然わかんなかった。……雰囲気、違うから」
「似合ってない、かな」
「ううん。そんな事ない。似合ってるよ」
衣織は首を振って、いつもよりおとなしい感じでそういう。
いつもと違う衣織になんだか少し不安になる。
「美来ちゃんの平成ギャル、いいわよね~」
「美妙子さんもよく似合ってますよ」
衣織の平常運転に、美妙子は頬に手を当てる。
「やだ。そんなに褒めても何も出ないわよ。はいどうぞ」
美妙子は衣織に飲み物を手渡すと、カウンターの向こうに戻っていった。
それから美来はしばらく実柚里と衣織と三人で酒を飲んでいた。
実柚里は可愛い顔をしているので、二人で並んでいると高校生を誑かした大学生感がある。まあ、実柚里はおそらく誑かされたりはしないだろうが。
美来はふと我に返って、この恰好、やっぱりちょっと痛かったかな。と冷静になっていた。
しかし、もう着てしまったものは仕方ない。今更誰に何を言われようが、泣こうが笑おうが、コスプレは一着しかなく、今年のハロウィンは今日という一日しかないのだ。
「ちょっと回ってくるね」
美来はそういって、衣織と実柚里の側から離れた。
他人任せで申し訳ないが、自己肯定感を上げてもらおう。そう思った美来は馴染みのメンバーの所へと足を運ぶ。彼らの側には、以前はよく通っていたが最近は遠のいていた客もいて、久しぶりの会話で盛り上がった。久しぶりに来る客は「ハルくんは?」という。やはりみんな、ハルが好きなのだろう。
たくさん酒を飲んで、たくさん写真を撮る。そして今日来ないハルに送り付けた。
もちろん忘れずに実柚里の写真も。一度二人の所へ戻って写真を撮った。
しかし既読無視。ハルはそういうヤツだからわかっていた事だが。
楽しい時間は、あっというまに過ぎる。まず帰って行ったのは藤ヶ谷夫妻だった。それを皮切りに段々と人が減っていく。
人数が減り始める頃にはもう、美来は完全に出来上がっていた。
「この年になって制服って……誰にも刺さらないんじゃないかなあ?」
「そんな事ないわよー。好きな人は好きよきっと。だって、本当にやっちゃったら犯罪でしょ? でも年齢超えてりゃ同意あればいいのよ。脱がせる楽しみがあるじゃない」
「そっかあ」
いつの間にか酔っぱらっていた美妙子とふたりでエゲツ度中の上の女子トークを繰り広げながら、美来は酒を煽った。
「美来さん、明日も仕事でしょ」
「……ああ、そうだ」
衣織に言われて明日も仕事という現実を思い出す。
実柚里はすでにいない。おそらく帰ったのだろう。声をかけてくれたのだろうが、美来は残念ながら全く覚えていなかった。
そして仕方なく、清算を済ませて外に出た。
衣織は当然の様に美来の隣を歩く。
「衣織くん」
「うん」
「なにしてるの?」
「美来さん事送ってるの」
「そっかあ」
完全にぼんやりとした頭。冷たい風でも、酔いはあまり醒めない。
「いつもありがとうね、衣織くん」
「うん。どういたしまして」
衣織の簡素な言葉。気持ちよく酔っていて。明日は仕事という現実。
なんだか全て、見て見ぬふりをしたくなる。
こうやって人生は過ぎていくのだろう。
だったら人生なんて、そう長くは必要ない。
「コーヒー」
ぼそりと呟く衣織に、美来は視線を移した。
「コーヒー飲みたい」
衣織は目を合わせない。しかしその代わり、ゆっくりと美来の手を握った。
「……淹れてくれる?」
平坦な口調で問いかける衣織。しかしどこか緊張しているようにも思えた。大切な話でもあるのだろうか。
「別にいいけど、淹れるって程のものじゃ……インスタントだし……」
「じゃあ、お邪魔します」
「はい……どうそ」
家からまだ距離がある状態で、なぜか家の中に入れる約束をしてしまった。
酔って散漫になった思考の中でも、自分の意志のなさがを自覚している。しかし酒というのは、酔いというのは凄いもので、散漫な思考がまるで霧をかけたように、事実から連鎖する罪悪感とかそんなものを掻き消す。
別に今日一日くらいはいいんじゃないか。適度に離れた距離が急激に近付くなんてことはないんじゃないか。それに、衣織がもし本当に真剣な話があるとして、酒の力もなしに話を聞く事なんて絶対にできない。
酔いだけは醒まさない様にしないと。ビールはあったんだっけ。そんなことをぼんやりした頭で考えているうちにアパートについて、美来はドアの前で鍵を探した。
鍵を開けると、衣織がドアを持っていてくれる。美来が中に入ると、衣織も同じように部屋の中に入った。
「お邪魔します」
「すぐ淹れるね」
「着替えとかした後でいいよ。しんどいでしょ」
さらりとそう言われて、確かにそうか。と思った。部屋着もすっぴんもすでに衣織にはさらしているので、恥ずかしいと思う必要はない。そう思うと、もともと抜けていた気がさらに抜ける。化粧がなんだか重たい。さっぱりしたいという気持ちだけが残った。
「じゃあちょっと、化粧落とす」
「どうぞどうぞ。先にリビングに行っておくね」
「うん。すぐいくー」
衣織が廊下を通ってリビングに移動する様子を横目に、美来はその足で洗面所に向かって化粧を落とした。
美来は最後に今の自分の姿を目に焼き付けてカラコンを外した。
それから気合を入れた時にしか使わないアイメイク専用のリムーバーで濃い化粧を落としていく。次に全体をいつもの化粧落としで落とした。
肌が少し突っ張る感じが、なんだか化粧が落ちているなと感じる。水で洗い流して鏡を見ると、先ほどの面影が微塵もなかった。
確かにこの様子では別人と思われても仕方ないかと、あまりの違いに美来は呆れ笑いを浮かべた。
「ふー。さっぱりしたー」
スキンケアを済ませてから洗面所を出てリビングに続くドアを開いたが、リビングは真っ暗。その中に衣織がぽつりと立っていた。
「電気ぐらいつけたら?」
美来は呆れた様子で言いながら、衣織から電気のスイッチに視線を移し手を伸ばした。
しかし衣織は足早にこちらに歩いてきたかと思うと、美来の顔を両手で掴んで上を向かせた。
「いつもの美来さんに戻った」
衣織は平坦で、だけど真剣な口調で言う。
一体どういう状況なのだろう。
衣織がおかしいのか、それとも酔っている自分がおかしいのか。判別がつかない。
散漫な思考が収束してやっと、衣織が口付けて舌を絡めているという事実に気付くのだから、よほど酔っているのだと思う。
「しよ、美来さん」
ほんの少し。ほんの少しだけ酔いがさめる。
せっかく距離が取れたというのに、それはまずいのではと理性が言う。